二月に入ってからですが、「毎日書く」を復活させました。
復活させた、という表現の通り、今までの度々、毎日書くということをやっていたのですが、三日坊主の連続。あるいは作品を一つ書き上げて、終わりでした。
無理せず作品を書くことを続けられているので現状のスタイルで良いのではないか、と思っていたのですが、お風呂に入っている時や寝る前に、こう思います。
……Youtubeで適当に動画探して適当に見たり、SNS各種を見ている時間、無駄だったし、他のこと、何か生産的なこと、未来のことに繋げられる何かをした方が良かったなぁ、と。
そういう次第に、二月から「毎日書く」を復活させました。
これまでの毎日書くとの相違点として、書くハードルを下げるという一点を意識してます。
書くハードルを限界まで下げて、「毎日書く」を続けて、一つでも良いので作品を書き上げていくぞ、という考えです。
ただ「毎日書く」を目的にするのではなく、「一つでも良いので作品を書き上げる」ための目標として、「毎日書く」があるわけです。
「一つでも良いので作品を書き上げる」も目的ではなく、目標の一つでして、「一年で小説を書き上げて、作品を書き上げた時の違和感の言語化の習慣化→言語化した違和感を次作で活かせるようにする→作品を書き上げて違和感を言語化するためには数が必要」という、思考過程があります。
こういう小説を上手く書くための目的のために存在しているのですが、それはまた別の機会に書きたいと思います。一年間でやっていこう、という計画ですので。
今回の「毎日書く」が今までとの毎日書くとの違いは、大きく分けて三つあります。
・書く」ハードルを下げる。これまでの「毎日書く」はどうして継続できなかったのか
・書けたの目視化
・上手い下手は後で考える
上記三つについて、考えていこうと思います。
・「書く」ハードルを下げる。これまでの「毎日書く」はどうして継続できなかったのか
二月から毎日書くぞと思ったところで、これまでと同じような「毎日書く」という意識で行おうとしても、三日坊主か今書きかけている小説を書き上げた段階で、毎日書かなくなる未来が見えます。
今までの「毎日書く」は、
・とりあえずPCの前に座って、テキストエディタを開いて、何かを書く。
というものでした。
小説というのは書かねば始まらず、書き上げなければ終わりません。ですので、書く必要があるのですが、その前にPCの前に座って、作業をするというのが難しいのではないか、と考えた次第です。
PCの前に座ってからも、あまりにも誘惑が多いです。書かない理由を作るのに並べられる言い訳が揃い過ぎてます。
資料を探すのにWEBブラウザを検索したり、その流れでYoutubeを開いたり、気分が上げられるように適当に音楽を探したり、ちらっとSNS各種を確認したり……。
こうして書いている途中、何度Youtubeで動画を視聴したことでしょう。
僕は現在、「縦式」というテキストエディタを使用して、小説を買いてます。サイトにアップロードしている記事はApple純正のメモ帳です。小説のネタの管理はnotionです。いずれのアプリもMac miniでもiPhoneでも、どちらでも使えるアプリです。
別にPCの前に座らないと書けない、という作業環境ではないのです。PCを使わないとアプリの本来の性能を引き出せないというものでもないです。
iPhoneがあれば、どこでも書けるという環境なのです。
ですので、とりあえずPCの前に座って、という部分変更をかけられるわけです。
今回の「毎日書く」は、PCに前に座ってというわけではなく、
iPhoneでも良いから、一行でも一文字でも良いから書く。何文字書けたとか、何時間集中して書くということを考慮せず、書けたか・書けなかったかを判断基準にする。
そういう「毎日書く」ですので、五分iPhoneで小説を一行書き進めただけでも、書けたという判断をしています。
・書けたの目視化
Notionのカレンダービューで、書けた日にチェックを入れてます。
こんな感じです。
毎日書くを続けているわけですが、昨日・一昨日に書けたかどうかを思い出すことは可能です。ですが、今日になって変更を加えたので、字数としてはプラスマイナスゼロということがあります。
そうなった時、書いてはいるけれど書き進められなかったという意識の働きをしてしまいます。ネガティヴな記憶、継続しようと思ったのにできなかった記憶、後悔は頭に残りがちです。
「毎日書く」という目標は達成できているのにも拘らず。一週間、二週間と毎日書けているのに、書き進められなかったという一点に囚われ、後悔を覚えます。
ですので、notionのカレンダービューで一目見て、「毎日書いている」と分かるようにしています。
自分は継続できているぞ、というのが一発で分かるのでモチベーションの維持・管理に役立ちます。
禁酒を続けているので分かるのですが、二週間一ヶ月と続けられると、それを破った時にまたゼロから始めることへの危機感、面倒さが、続けることの意志補強に繋がることがあります。
目視化しているのは、そういう絶対に訪れる、一回ぐらい破っても大丈夫だろうという慢心の時のモチベーション管理のためです。
・上手い下手は後で考える
「毎日書く」を続けようとすると、心の中で悪魔が囁きます。
毎日書いても、下手だったら意味なくね?
と。
そういうことを思いたい気持ちは分かります。
ですが、そもそも論として、作品を書き上げないと上手い下手の判断はできないわけです。書き上げていない作品の上手い下手と思う心は、幻です。気のせいです。そんなことは作品を書き上げてから考えて、同じ失敗をしないように次へ活かしましょう。
書いている途中に何度も、この作品下手じゃないか? 具体的には、ここらへん下手じゃないか? と思うことはあります(詳しくは「「良くない小説を書き上げてしまった時の対処法の話」」に書いてます)。
この「毎日書く」は、「上手い小説を書くために」の手段としてあるわけではありません。
「毎日書く」ことによって「作品を一つでも書き上げられるように」なり、「書き上げた作品の違和感を言語化する・言語化することを習慣化」して、「次の作品をより良いもの」にするための「毎日書く」です。
まとめると、それは「上手い小説を書く」ためではないかと思われるかもしれませんが、「上手い小説を書く」ために、少なくとも二つの思考を、思案を挟んでおりますので、「毎日書く」ことが「上手い小説を書く」ことに直接繋がらないわけです。
「上手い小説を書く」ために、僕ができることは何か、ということを細かく細かく刻んで残った最小のものが、「毎日書く」というものです。
上手い下手は、「毎日書く」という土台が出来上がってから、考えることです。
そんなわけで、明日も書いていこうと思います。