スクリーンタイムは効果があった。ただし、最初の二日間だけ少しきつい。
実際に一週間使ってみて、どう変わったのかを記録として残しておく。
・スクリーンタイムを導入した理由
SNSを頻繁に見ているわけではないけれど、一日の累計で考えると、結構見ているのではないか、と思うようになっている。
通勤時や仕事の休憩中、作業の合間などに確認していることが多い。
別に悪いことではないのだけれど、何だか、この細切れとした時間の使い方が勿体ないような気がしてならない。
情報収集という使い方ではなく、適当におすすめを見ているだけである。YouTubeで適当にショート動画を見ている、あの時の感覚に近い。
おすすめとして表示される内容も自分の好みではない。僕が知りたいのは、精々、地元の飲食店ぐらいだ。
その間、何か別のことができるのではないかと思い、SNSにスクリーンタイムを設けてみた。
SNSに投稿するのは、HP等を更新した時なので、投稿に使う時間が多くない。となれば、何となく見ている時間が長いのだろう。
一日二時間使えば、上限になるように設定し、経過を見守ることにした。
2026/03/25から一週間の記録である。
・初日 2026/03/25
そんなに使っているつもりはなかったのだが、昼間には制限を迎えた。驚いた。
日付を越えてから設定したので、真夜中の分も踏まえているのだろう、と考えることにした。
使えなくなったところで困ることはないだろうと思っていたのだが、ふとした時に、少し確認してみようと思い、アプリを起動しようとして、名前の端に砂時計のマークがついていて、あぁまだ制限中だった、と思い出す。
強制ではないので、延長をタップすれば容易にSNSは見られるのだが、何の用事もないのに初日から延長してしまうのは、意志の弱さを露呈してしまい、悔しさが募る。
堪えて、この時間をどうしようか、と考える。適当に書籍を読んだり、投稿する記事や小説について考えを巡らせたり、生成AIと壁打ちする機会にした。
良い機会を得ているのだけれど、何となくSNSを確認したい衝動や欲求は生まれる。自分の中で、何かを我慢しているあの時の感覚が、薄い焦りが指先や手先に膜を張っているような感覚がある。
制限が解かれると、速攻でSNSにアクセスした。パブロフの犬のようだ。
・二日目 2026/03/26
制限を迎えたのは昼間だった。夜や真夜中に、ざっと確認する、というのを繰り返しているので、それで制限を迎えている。
二度目の制限である。二度目ともなると慣れたもので、驚きは少なく、はいはい制限ね、という気持ちで迎えられた。
困ることがあるとすれば、DM関係。通知を入れれば済む話なのかもしれないけれど、通知は基本的に切りたい人間である。これは何もSNSの通知に限った話ではなく、全ての通知を切っている。
集中モードの仕事をオンにして、全てのデバイスで有効にしている。特定の連絡先以外からの連絡は通知にすら届かないように設定している。
DM関係で困ったと思っていたけれど、まぁ二時間の間で確認すれば良いだろうし、連絡が何度も続くようなものであれば、延長すれば済む。
そういうところに落ち着いた。
SNSの制限がかかった時間帯は、
電子書籍や紙媒体の本を読む
小説などの執筆
何もしない
という三つのことを主にしている。
電子書籍を読んでいるのだけれど、こうやって頻度が上がると、スマホのアプリとしてのKindleではなく、それ専用の端末が欲しくなってくる。画面が小さいのが困る。読んでいる量に対して進みが遅いような気がする。
紙媒体での一頁を三分割や四分割など画面の大きさに応じて何分割もされているような気がして、集中できない。
……買うか?
何度か買ったことはあるのだけれど、いずれも使う頻度が下がったり、動作が遅いことがあって売っている。
動作の遅さが気になるのならば、iPad miniとかにするか……?
iPad無印とかも候補にあったのだけれど、取り回し、重さを考えると、面倒である。
制限が解かれると、昨日よりは落ち着いて対応できた。お、解かれているな。使えるな、ということを目視して、今はそんなに必要ではないのでタップやアクセスしなくて良いな、という気になった。
・三日目 2026/03/27
制限を迎えなかった。前日や前々日に比べると明らかにSNSの使用頻度が減った。アプリを開くことはあっても通知が来ていないか確認する程度でしかなく、ポストに目を通す頻度は驚くほどに減った。
こうなるとまとまった時間が生まれる。
これはこれで困った。とりあえず、どうしようか、何をしようかと考える。
スクリーンタイムを導入してから、SNS以外のことについて考える時間が増えた。こうして雑記を書いているのも、その延長である。記録として残しておこうという意識が働き、筆を執っている。
まとまった時間が作れていることに気づいてからは、初日にあった焦りはすっかり消え去り、空いた時間はゆっくりしたりしている。YouTubeや書籍などのコンテンツに触れず、のんびりしている。まだ陽の高い時分に、眠たいわけでもなく横になってみることだってある。
・四日目 2026/03/28
制限を迎えなかった。前日のような驚きはなく、まぁそんなものだろうという気になっている。
試しにスクリーンタイムを確認すると、SNSの利用時間が明らかに下がっており、その分ChatGPTやKindleの時間が増えている。思考の整理や壁打ちやプロットの組み立てやちょっとしたテストなどに使っている。
別の作業をしている時に、SNSを確認したくなる衝動もない。
作業が多くなっているので、SNSとは違う息抜きが欲しくなっている。家の中に居続けるのは、飽きてくる。
散歩も悪くないのだけれど、もう少し遠出がしたい。日帰り旅行という距離感や規模感は、日常に組み込むのは難しい。
隣町の隣へと行った。電車やバスを使った。昼前に家を出て、日が傾くまでには帰ってくる。普段では通り過ぎるような駅で降りて、辺りを散策して、適当な飲食店で食事を摂って、帰ってくる。
そんな感じのことをしている。発見が多く、これが良い息抜きになっている。
・五日目 2026/03/30
起きたら、制限が掛かっていた。今回は明確に理由が分かる。やっぱり制限を迎えたか、という納得がある。
HPやnoteに記事を投稿したため、それがどれくらいのインプレッションを得ているのか確認したくなり、アクセスした頻度がここ数日よりも増えたためだ。
仕方ないことなのかもしれないと割り切り、その日はSNSに触れずに過ごした。小説を書くとか本を読むとか散歩をするとかしているけれど、集中できる時とできない時という波が訪れる。頻度が増えて、一日の長さを痛感している。考えられる暇な時間にしたいことの候補がなくなっている。全身で暇を浴びている。
・六日目 2026/03/31
真昼間、家でスマホで十分ぐらい見ていたら、制限五分前の画面に切り替わった。深夜にスマホでSNSを確認したこともなければ、二度寝前に見ていた記憶もない。これはいくらなんでも急過ぎないかと思い、設定を確認しに行く。
デバイス間で共有にチェックが入っていた。家ではMac miniを使用してブラウザでSNSを開いた。このスマホ以外でのSNSの使用時間も含まれており、容易に制限を迎えてしまったのではないだろうか。
スマホで見ていた時間と制限が訪れるタイミングが合っていないと思っていたのだが、そう考えると納得できる。
スマホでSNSを見る時間を減らしたいだけなので、チェックを外した。PCのブラウザでSNSにアクセスすることはあるが、スマホのように高頻度というわけではない。
ブックマークにSNSを登録しておらず、アプリも導入していないので、毎回ブラウザの検索欄に各種SNSを入力してアクセスしている。タブを開いたままにすることなく、毎回使い終えたら閉じている。この一連の作業が中々に面倒ということもあり、PCによるSNSのアクセスは多くない。
・七日目 2026/04/01
適宜SNSを確認しているが、制限を迎えることはない。
何もしていない時間が増えたことで、HPの更新頻度を上げるために色々と考えたり、新しい小説を書いたり、公募原稿に向けて小説を書き進めたりしている。
・七日間使って分かったこと
・SNSの使用時間は自然に減る
・最初の二日間は軽いストレスがある
・三日目以降はほとんど気にならなくなる
・空いた時間の使い方を考える必要がある
・一日二時間程度の制限でも十分効果がある
スクリーンタイムは我慢する仕組みというより、時間の使い方を強制的に見直させる仕組みだと感じた。
・今後について
もっと何日も制限に引っかかり、延長に次ぐ延長を繰り返すと思っていたのだが、全然そんなことはなかった。
初日や二日目のような、あのストレス過多を迎えると思っていたのだが、そんなこともない。
得られたものは、まとまった時間であり、このまとまった時間のお陰でできることは増えた。物事について色々と考えを巡らすことができたのは大きい。生活にゆとりや余裕ができたような気がしてならない。
HPの更新頻度が増えたのは、このまとまった時間や考えられたことによる成果の一つである。
この期間に書いた記事は「【PR記事】国語辞典と類語辞典の選び方と使い分け|小説を書く人のための最初の一冊」や「【PR記事】現代短歌はどこから読むべきか──「海のうた」を入口にして考える」である。どちらも、こうして生まれた時間を使って書いたものである。
SNSに制限をかけている現状に慣れたので、今後もこのまま一日二時間という制限を続けていこうと思う。