※本作は、「理由を答えよ」に登場した二人の物語となっております。
事前に一読されると、一層楽しめると思われます。
「記述問題を回答するのに必要な字数」
私は、如月菫が嫌いだ。
どこが嫌いなのかというと、よく喋るところはもちろん、付け加えることが許されるのならば人のことを気にせずお構いなしに喋るところも嫌いだ。声が大きく、感情的になりがちなところも私の性に合わない。すらっと背の高いところも見下ろされているようで嫌いだ。
如月と私は、同じ高校で教鞭を執っていた。私が国語で、如月が英語。執っていたというのは如月が退職しただけで、私は相変わらず続けている。
如月が退職した時は、ほっとした。隣で騒がしい人が一人減って、私は彼女が来るまでの日常だった静かな日々が戻ってきた。本を読み、食事を作り、教壇に立つ日々。ルーティーンを繰り返すだけの生活。完成された日常だった。
如月は、人から直接、嫌いです、と言われたのにも拘らず、接しようとするタイプで、こういうところも嫌いな要素の一つだ。
最も嫌いなところは……。
「聞いてる?」
考えたなくないところを無理に考えようとした時、如月から声をかけられた。
私は嫌いな女とご飯を食べている。
スペイン風居酒屋に足を運んで、向かい合って、サーモンのカルパッチョを分け合ったりして、ワインを飲んでいる。
私は聞いてなかったと答えるのも癪だったので、黙って如月の目を見た。目尻が少し下がった、丸く大きな目。じっと人の目を見る趣味はないので流れるように視線を下へ。綺麗に鼻筋が通っているのを眺めて、もう秋なのに全然夏の気配を漂わせる快活な赤い唇に視線が一瞬留まる。初めて会った時、如月を嫌いだと一瞬で私に悟らせた、よく動く大きな唇へと。
じっと唇を見ているのも嫌だったので、視線を更に落として空いている皿に向ける。残っていたはずのアヒージョは、如月の取り皿にあった。いつの間にさらえていたらしい。
生徒達に、面接の時は緊張しないようにネクタイの辺りを見ると自信がないように見えるから、目以外の顔のどこかを見た方が良い、と話したことを思い出す。
如月の何も詰まってないような軽そうな狭い額にまで視線を上げる。
私は如月と会話を交わしたくないので、こうやって黙ることがある。如月の話の多くは無意味で、私にとって必要のない情報の数々なので、頭に入れて留めておくことではない。こういうふうに黙っていると、如月は勝手に喋る。
「それじゃ、もう一回話すわね」
彼女は小さな、回転の速くない頭を使って、聞いていなかったらしいのでもう一度話した方が良い、と解釈したらしい。
同じ話をこの短期間で二度も聞かされるのは嫌なので、私はようやく口を開けた。
「結構です」
拒んでも、如月は嫌な顔一つしない。大きな目を心持ち開いてみせて、はっはと明瞭に笑う。お酒をよく飲む如月は、酔っていると普段よりよく笑う。私の好奇心を煽るように。
「そう? 聞きたくない?」
「聞きたくありません」
如月は口の中に貯まっていたいくつもの言葉を飲み飲んで、口角を上げた。
「そう、残念」
如月とこういうふうに過ごす夜はある。如月が教師を教師を辞める前は十回に一回ぐらいの頻度であった。細かい理由は思い出したくないので思い出さないけど、私の家の冷蔵庫が空だったりしたり、残業が続いてスーパーで買い物をできなかったりした時、家で食べるか外で食べるか悩むことがある。再三悩み続けて、如月と会っている。
如月が退職してからはこういう夜がなくなると思ったし、そもそも会うことすらなくなるだろうと思っていた。が、ある年の大学入試共通テストの国語の問題を読んだ時、ふと彼女のことを思い出した。彼女が何をどう思っているのか気になって、問題に採用された本を送った。私から。血迷ったとした思えない行為だけれど、気になったことをそのままにしておくことが、私にはできない。何かしらの行動に出てしまう。
それから、こういう食事の席が設けられるのが復活した。会う頻度は前と変わらない。ただ、如月は退職して暇らしく、連絡が来る頻度は上がった。
如月のことは嫌いだし、連絡を取り合ったり、会うことはしたくないのだけれど、だからといってご飯に罪があるわけじゃない。私の気分が家で食事を用意したくないというだけ、外で食べる。如月の存在は、おまけだ。
私がいくら如月のことを、晩ご飯に付属しているおまけと考えたところで、如月は気にしないし、変わらず喋る。最初に晩ご飯を一緒に食べることになった時に、如月はおまけであることを話すと、それで良いと簡単な一言にまとめられた。如月は不思議な人間で、好意の懐かれていない人間と同じ場所で同じ時間を過ごすことに抵抗がない。変に気を遣う必要がないので楽、と酔っ払った本人から教えてもらった。如月が気を遣っているところを見たことがないけれど。
「どう思う?」
聞かなくていい話の連続だけれど、如月からこうして尋ねられることがある。尋ねられると、無視するわけにはいかないという意識が働いて、どうしようか、と考える。バケットと一緒に飲んでいた白ワインを置いて。考えたところで話を全く聞いていないので如月の質問に答えることはできない。仕方なしに会話を進展させる。
「何がです?」
「再就職」
短い返答に、当然といった調子で返す。
「したら良いじゃないですか」
「するしないの話じゃないの」
「貯金が残っているんでしたら、もうしばらく余暇を楽しんでも良いと思います」
「そういう話をしたいわけじゃないのよ」
私は自分のグラスが空になりそうだったので、メニューから新しいお酒を探す。似たような系統のワインはどれも、メインにおすすめ、と手書きのような文字で書かれている。
「聞いてる?」
「聞きたくありませんでしたので、聞いてません」
「加賀は、どうなの?」
「質問の意図が分かりません」
回答にばつを与える時のように言い切る。
如月はこういうふうに漠然とした問いを投げかけてくることは過去に何度かあった。自分はどうしたらいいのだろう、ということを確かめる時に用いられる如月の癖。私は如月がどういう職に就き、どういう人生を歩むか知ったことではない。
「加賀は、どうして教師になったの?」
「そういうお話は、ここじゃないところでお願いします」
私は如月の再就職の相談を受けるためにここに来ているわけではない。職場の子達、まだ二十歳にもなっていない、成人を迎えるかどうかの年齢の子達の就職に関することであれば、考えを巡らせるけれど、如月のことで手伝おうと思う気になれない。英語ができて、教師として働いていた経歴もあるのだから、私が考えているよりも再就職は簡単だろう。
新しいお酒を注文すると、如月も私と同じのを注文する。それからメニューをぱらぱらとめくって、チーズの盛り合わせを頼む。何か追加で頼む? とメニューを差し向けられ、無言で受け取って元の位置にしまう。
「加賀は、どうして教師になったの?」
店員がテーブルを離れると、頬杖をついた如月は同じ質問を私にする。私はそんな昔のことを思い出す趣味も興味も持ち合わせていないので、簡潔に答える。
「教員免許を取得しましたので」
如月の考えていた答えと違ったらしく、重ねて尋ねられる。
「え、それだけ?」
「はい」
笑いたいのを堪えているように、如月の頬が震える。
「他に、こう、ないの?」
「ありません」
「え、っと、いいの、それで?」
「何か問題でも?」
「あ、いや、別にないけど……」
ないけど……と如月は続けて呟く。
私はそういう質問をしたくはなかったけれど、そういう質問をする流れが、私達の間に生じる。私から、どうして如月は教師なったのか、と尋ねる気は起きなかったので、如月から話すのを黙って待つことにする。
如月は、意外ね、と笑う。
「加賀は、私みたいな適当な理由じゃなくて、ちゃんとした動機とかあると思った。国語の教師だし、あるじゃない、そういうやつ。古典とか小説とか随筆が素晴らしかったので、その素晴らしさを生徒達にも教えたいとかさ」
如月は私を昔を振り返させるのに長けている。
大学の時にそういうことを考えていたことがあったのを、思い出す。今の私では、そういう動機もあったのかもしれない、と思うことしかできない。それが別だということを、生徒達に教えられた。素晴らしい作品を、素晴らしい作品であるがままに伝えるのに、教師は向いていない。
「別です」
「別?」
「作品が素晴らしいと思うことと、素晴らしい作品だから教えようと思うのは別です」
新しいワインが私達のテーブルに届けられた。如月は短く、まぁそうなんだけれど……と笑ってまとめる。
それから、
「飽きない?」
と、全然脈絡のない言葉を口にする。
私は答えず、冷たくきりっとしたワインの味わいを楽しみながら、如月が何にに飽きているのか話すのを待つ。待ちながら、大方の予想はできる自分が、随分と長く如月と付き合いがあることを憎らしく思った。
如月が教師を辞めると時、同じように、飽きたと話していたことを覚えている。覚えているというより、今の発言で思い出した、想起。私は別に驚きも怒りも呆れもせず、そうですか、と言ったことも流れるように思い出した。如月が教師を、人に教えるのを飽きようが、私には関係がなかった。
実際、関係はないだろう。が、如月が職に就いてもらわないと、連絡を受ける頻度が変わらないので困る。断る理由は、行きたくないという一言で済むのだけれど、毎回その一言を送るのは面倒だ。それに割り勘の支払いのことを考えると、無職で嫌いな女に半分を出させるのも気に障る。支払いはイーブンなのに、私の気持ちの上では全然イーブンではない。
如月が詳しく話そうとしていることに先回りして答えを口にしても良かったけれど、私と如月は阿吽の呼吸でも以心伝心の仲でもないので、黙っている。黙って、朗らかに結ばれる如月の口元を見る。
「人に教え続けるの、飽きるのよねぇ……」
赤く波打つ唇から零れた言葉は、独り言のようだった。目の前に人がいて、その人の反応を探っているような調子でもなかった。自分の気持ちを言葉にしているだけの言葉。
「聞いてる?」
独り言だと思ったのは私だけのようで、如月は大きな瞳を呆れたように細めて、私を見た。
「聞いてませんでした」
「もう一回言うわよ?」
答えを待たずに如月は先程と寸分も変わらない調子で言う。
「人に教え続けるの、飽きるのよねぇ……」
「だから、再就職を先延ばしにしている、と?」
如月の目がつまらなさそうに丸くなる。
「そんなに行間読む必要ないわ」
「行間を読ませたいのでしたら、分かるように話す必要があります」
「はいはい私のせい私のせい。まぁつまり、別の職に就きたいわけよ」
「良いと思います。別の職で」
賛同すると、如月は不平を口にする。
「もう少し人の気持ちについて学んだ方が良いと思うわ」
「嫌いな人の気持ちを考えて、どうするんでしょうか?」
「今後の人付き合いが楽になるわ」
如月の言いたいことが全く分からないわけではない。理に適っている、と心の一部分では思う。嫌いな人のどういうところが嫌いなのかを要素分けして、今後の人付き合いに役立てるというのは、今後のことを考えれば役に立つだろう。しかし、私はそういうことを考えたくない。そんな特殊な趣味を持ちたくない。
しかし、この状況は? と疑問符を突き立てる自分自身を見出す。私は如月菫が嫌いだ。よく喋り、声の大きいところとか、早春を思わせる名前が全然似合わないところとか、人から嫌いと言われても素直に肯定できるところだとか嫌いだ。そういうのは嫌いを構成する一要素であって、全てではない。小さな要素がいくつも合わさって嫌いになるということもある。
私は如月をどう思っているのだろうか。如月は再就職については、別の職を探すという方向に舵を切った。色々と彼女なりに考えて、教師という職を再び選ぶことはしなくなった。とりあえずで教員免許を取得して、何となくで選んだ道ではなく、別の道を歩もうとしている。
私が如月を嫌いだという感情は最初から今まで何一つ変わることなく、嫌いなままなのだろうか。自分に問いかけてみるが、嫌いから始まっている疑問が辿り着くのは、やはり嫌いだ、というものでしかなかった。嫌いならば嫌いで良いと思う自分もいるが、こう問われていると、やはり嫌いであるという再確認だけでは納得できそうになかった。
全然酔っ払ってなさそうな涼しい顔を見上げて訊く。
「わざわざ、そんなことを?」
「行間を読ませたいのなら……」
「私、あなたのことが嫌いです、と既に伝えてますよね?」
「うん」
「他に何が必要ですか?」
「別にいらないけど? ただ」
如月は言葉を区切る。次にどういうことを問われるか想像できたけど、会話を再開させるのは私の役目のように思えた。
「ただ?」
如月は笑う。
「そんなに嫌いな人間と、どうして会っているの?」
答えに窮して、唇を噛む。如月は鼻歌を歌いながら、ワインを口へと運ぶ。答えらしい答えを用意することはできる。如月がその答えに納得し理解するだろうということも分かる。しかし改めて答えた時、その白々しさに私自身が納得できない。
私達は、今後会うことがない未来を選択できる縁の切れ目があった。如月の退職というこれ以上ないものが、私達の間にあった。事実、如月が退職してから私達は会わなかった。会う必要はなかったし、会う理由もなかった。如月の退職は少なからず、別れの理由として十分機能していたのでないだろうか。
しかし私達は、如月が退職した後も連絡を取り合い、同じ場所と時間を共にしている。
事の発端は、私だ。私が本を郵送して、この関係は復活した。本を送ったのは、大学入試共通テストとして出題された問題に目を通し、全文を読んだ時に、如月のことを思い出したからだ。
全文を読んだ如月から連絡を受けた時、私は、思い出した、と如月に説明した。如月は追求しなかったし、久し振りにご飯を共にした時も話題に出さなかった。極めて個人的な感覚でまとめられた。それで終わったと思った。如月も納得したのだから。それで良かったのではないだろうか。私も如月も、それで事は上手くまとめられたのではないだろうか。今更蒸し返して、どういうつもりなのだろうか。
「最低ですね」
如月から着信を受けたある日、そんなことを口にして切ったことを思い出す。同じ言葉を口にする日が来るとは思わなかった。如月は口元に楽しげな笑みを濃く浮かべている。全然酔っ払っていないようだ。
「私は良いのよ、別に。嫌いであろうと、極めて個人的な感覚であろうと。でも、あなた自身は、それで納得できているの?」
それで良いです、と答えられるはずなのに答えられなかった。問いは、考える猶予を、私に与えた。
私が意図的に言語化しなかったことを、如月は伝えてくる。私は残っているワインを飲み干して、チェイサーを二つ注文する。
酔った頭で答えても良かったのかもしれないけれど、お酒の力を借りないと考えられないことではない。自分の気持ちを考える時、私はお酒の力を借りない。借りたくない。
私自身が、あるいは如月が疑問に思っていることは、極めて個人的な感覚とは何か、というもの。傍線部の感覚とは何か答えなさい、と出題されているようだった。問いも答えも、私の胸の内にしかなく、正否を決めるのも私だ。
私は如月菫が嫌いだ。連絡を取り合うようになったのも、思い出したからであり、そこに好き嫌いの感情はなかった。なかったはずだ、あの時の私は。しかし果たして本当にそうだったのだろうか、と現在の私は疑問を呈する。あの時には見えなかったものが、今では見えるのではないだろうか。
答案を見直すように、考える。
そもそも前提から間違っているのではないだろうか。
つまり、私は如月菫のことを嫌いではないのではないか。
私は長い溜め息をついた。最悪……という悪態が、口の端から零れた。
如月の愉快な笑い声が嫌に大きく聞こえる。どう訊くのが適切なのか分からなかったこともあり、私は正直に尋ねる。この人に今更気を遣っても、意味がない。
「満足ですか?」
「加賀は、どう?」
質問を質問で返され、私は正直に答える。
「戸惑いと怒りで複雑です」
「私が嫌いじゃないことが、そんなに?」
本人から直接言われると、余計に腹立たしさを覚える。
「そうですよ」
短く、怒りを滲ませる。如月は笑って受け流す。こういうところも、好きじゃない。嫌いなところだ。
嫌いな要素を考えて、でも、と反論をしようとする私自身を見出す。
多分、正解なんだと思う。如月を嫌いではないというとは。多分という仮定は、きっと私が納得も理解もできていないからだ。納得も理解もできていないけれど、感情の面において否定できそうにないので、そういうことだと思う。
「いつ……?」
疑問はそのまま口から滑り落ちた。
チェイサーを飲もうしていた如月は手を止め、私を見る。私がするように口を閉ざしている。普段あれほど快活に動いていた唇は力強く結ばれていた。答えるのを拒んでいるかのように。
如月は私より先に、私がいつからそう思っていたのか知っている。如月が答えてしまってはいけないと如月自身が分かっているからこそ、普段あれほど喋る女の人が黙っている。
如月に答えを求める気はなかったし、仮に答えられたところで即座に否定するだろうと思った。私が求めているのは私自身による納得と理解であり、如月からヒントが欲しいわけじゃない。
私はいつから、如月のことをそう思っていたのだろう。
如月との出会いは最悪だった。よく喋り、私の平穏を乱す。人のことを慮るのではなく、人と会話することでその人を知ろうとするスタイルは、私の感覚を合わなくてストレスを溜めさせることに長けていた。それでも、如月との会話は他の人達と比べてストレスを覚えにくい一面があった。私が如月と話す時に覚えるその感覚。如月が私の発言に突っ掛かることがなかったり、適当に笑って誤魔化したり受け流すことがある。今も昔も、そういうことをしている時がある。
如月菫には、気を遣う必要もなければ、気を遣われる必要もない。自分に正直であることを肯定されているところが、如月にはある。不思議と。本人が意識的にそう振る舞っているのか分からないけれど。
私は、如月菫が嫌いだった。私は今の今まで、ずっと如月菫の第一印象を引きずっていた。変化は生じていたのだけれど、頑なに認めず、あるいは気付けずにいた。いつから変わっていたのかは、私にはもう分からないし思い出せそうにない。
如月はいつから、私の感情が変わっていたのか覚えているのだろうか。過去の自分自身と対面するようで嫌で恥ずかしいことだけれど、疑問を疑問のまま留めておくようなことが、私にはできない。
「いつからか覚えてますか?」
何を、という確認はなかった。如月の赤い唇が大きく動き、柔らかい声で教えてくれる。
「私が教師を辞めた後かな、ほら、本を送ってくれたじゃない? あの時に、確信した。加賀本人は気づいていないかもしれないけど、私は思ったより好かれているんだな、って」
「ご機嫌ですね」
「加賀もでしょ?」
「分かりません」
「分からない?」
「多くのことが起き過ぎています」
「大変ね」
「原因の人が言うことですか?」
「私が?」
問われた如月が目を丸くする。そういうことを言われるのは心外だ、とでも言うように。如月がそういう反応をするのも分かるし、きっと正常の反応。今は如月に非があるかもしれないけれど、こういう日常を復活させたのは、私自身だ。私が本を送り、如月と話さなければ、こういう時間は今後生まれないはずだった。
原因があるとすれば、きっと私だ。疑問や質問をそのままにしておけなかった、私のせいだ。
「放っておいた方が良かったこともあるんですね」
「それができたら加賀奏じゃないでしょ」
気持ち良いほどに否定して、如月は豪快に笑う。私も可笑しくなって笑った。全然酔っ払ってない如月はまたチェイサーを二人分注文して、訊く。
「次、いつがいい?」
「次?」
「この食事会の日時」
私は自然と冷蔵庫の中身を思い出そうとしていた。中身がほぼ空っぽで、何もない冷蔵庫のことを。明日には買い出しに行けるだろうか、と考える。一日ぐらい買い出しに行かなくても良いのではないか、と思ったけれど、如月にそう伝えるのは嫌だ。私が如月とのことを認めてしまっているようだ。それは、少し、まだ早い。
「いつでも良いです。行きたくなったら行きます」
知り合いが時々使用する便利な言葉で伝える。如月は、スマホを取り出し予定を確認しているように指を動かす。無職で予定なんていつでも空いてそうなのに何を確認する必要があるのだろうと思っていると、如月は訊く。
「じゃ、明日は?」
私は恥を隠すように、きっぱりと答えた。
「私、やっぱりあなたのことを好きになれそうにありません」
「良いわよそれで。また嫌いにならなかったら。行きたくなったら、連絡して」〈了〉
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