理由を答えよ

PDFファイル版(文庫サイズ・縦書き)

「理由を答えよ」

昼食の買い出しの帰りで久し振りに開けた家のポストには、家賃の請求書や電気代の請求書や広告の下に、一通の封筒が置いてあった。通販で何か買った覚えは最近ないし、酔っ払った時に衝動買いした記憶も最近ないし、そんなメールも届いていない。もしかしたら知らない間に確認してしまったのかと不安に思ったけど他の郵便物と一緒に持った少し重たさを覚える封筒にはどこの通販会社の名前もない。

A四が折らずに入る封筒の真ん中に、黒いペンで私の名前と住所が細い文字で簡素に書かれている。裏を返すと、送り主の名前が同じような文字で書かれている。細い文字だけれど、払いや跳ねに大胆な動きが加えられた癖のある文字。

加賀奏からの郵便。随分と久し振りに見た名前と文字。様々な懐かしい感情に胸を打たれながら、何週間も前の消印から、いつの間にか年が明けていたことを知らされた。

エレベーターで自分の家へと向かいながら、加賀のことを思い返す。

私が彼女と知り合ったのは私がまだ高校で英語を教えていた頃で、確か前々職。新卒で他の職場で働いていたけれど、五月病が長引いたように憂鬱な気持ちが続いて、新卒で就職した会社は長続きしなかった。

大学の時にとりあえずで採った教員免許が功を奏して、そこの高校に配属された。

加賀は私より前に配属され、国語の教師として教鞭を執っている年下の女だった。加賀は口数が多い方ではなかったが、だからといって話すことに遠慮を覚えるようなお淑やかなタイプでもなかった。言ってしまえば、無駄話が好きではない人間であり、本人もそのことを自覚しているタイプ。他人と無駄に話すぐらいなら、本を読んでいたいと考えている人間。初めて話した時、お喋りは嫌いです、と言い切って本を読み始めた仏頂面を、私は未だに容易に思い出せる。こんなに分かりやすく他人へ嫌悪感を示す年下の先輩がいることを、はじめて見たから。

そういう加賀は一人で過ごすことが多く、生徒からは怖いと思われる教師の一人であり、言葉を目より耳から得たいと思っている私との相性は当然良くなかった。愛想は良くした方が良いという私からのアドバイスに、媚びを売るのは得意じゃないんです、と答える彼女を私は不思議と嫌いになれなかった。

加賀は私が退職するまで、私のことをずっと好きではない人間にカテゴライズしていたと思うけど、私は加賀のことをそういうカテゴリーに分類することはなかった。遠慮なく、悪く言ってしまえば非常識に近しい無愛想さで会話を断ち切ろうとするふてぶてしい態度や自分の好悪をはっきりと言い切る言葉選びや知性を、私は面白いと感じている。職を転々として、多くの大人や子供と接して、失業保険と退職金で休養を得ている今でも、加賀ほど面白い人間は稀な存在。加賀は自分に正直で、真面目なんだと思う。本人の口からは一度もそんな言葉聞いたことないけど。

家に帰って、何日か分の食材を冷蔵庫などにしまうと、電気代と家賃の支払い催促の葉書はタブレットの上に置いておいて、加賀から届いた郵便物を照明に照らし、中身を透かす。黒い四角い影は、手紙や葉書よりかは大きい。職場で何か私の忘れ物があったのかもと考えてみたけど、忘れ物が加賀から送られてくるとは思えない。加賀が見つけたとしても、他の者に届けるように言うだけだろう。

封を切る前に私は改めて宛名や宛先と送り主を確認する。何度確認しても、私に宛てられた郵便であり、加賀から送られた物である。一人で本を読みたい、人と好んで話したくない加賀は、当然ながら人と連絡を必要以上に取ることはない。仕事の都合で連絡を取り合うかもしれないと言って、連絡先を交換したことがあるが、加賀から着信が来たことは一度もない。私から金曜の夜というか日付が変わって土曜の真夜中に覚えのない着信を入れたことはあっても。月曜に加賀と顔を合わせても、土曜のことは何も言わないし雰囲気にも出さないし、私は日曜の段階で昨夜の自分の行動を理解して反省する。

そういうわけなので、加賀から何かが送られるということは考えられない。しかし私がどれだけ有り得ないと思ったところで、郵便物が嘘をつくはずがない。

困惑を断ち切るように、私は加賀から送られた郵便の封を切る。中には一冊の文庫本と二つ折りにされた一筆箋。一筆箋を開くと、お久しぶりですとかお元気ですかなどという挨拶はなく、

――百三十五頁から百三十八頁。

という一文が書かれているだけ。同封されている文庫本の頁数を指し示していることは分かる。分かったところで謎が謎を呼んだことには変わりなく、なにこれ、という当然過ぎる独り言が、リビングに滑り落ちる。該当箇所を読めば、加賀がこんな郵便を送ってきた理由も分かるのだろうか。私は学校での加賀しか知らないが、オフでの加賀は意外にもこういうサプライズを好んでやるのかもしれない。と、一瞬考えてみたけれど、すぐに、あの加賀がそんなことをするわけがないと否定する。

よく分からない思いを抱えたまま、私は正解を求めるように加賀から送られた文庫本を読むことにした。文庫本のタイトルははじめて見たものだったけれど、作者には見覚えがあった。母校でドイツ語を教えてもらった恩師が昔書いた本。

私と加賀の大学は別だったろうし、同じ大学であっても在籍期間は被っていないだろう。だろう、と不安げなのは、私が大学在学中にサークル活動とアルバイトに明け暮れた時があり、うっかり留年したり一週間ぐらい旅行したり、長い夏休みの期間全てを海外旅行に費やしたりした学生だったので、顔と名前が一致しない知り合いが多い。その知り合いの中に加賀の顔は浮かんでこない。やはり、私達が出会ったのは、社会人になってからで、恩師は関係ない。

恩師の書いた本ことだから、中身は言語に関する硬い論文か旅行に関するエッセイだろうと思っていたが、本の中身は私の想像を裏切るように、小説だった。短編集ではなく、一冊の長編小説。

小説を最初から読む前に、加賀が指定した頁を確認する。物語の節目になっているのでそこから読むこともできそうだったが、そこから読み始めると何が何だか分からなくなってしまいそうで、最初から読む気でいる。

読もうと思った時、スマホが震え、一件の通知が飛んでくる。昼食と台所の掃除という予定は、今朝立てたもので、失業中に自堕落な生活を送らないように寝る前と朝起きた時に一日の予定を立て、リマインドしている。

昼食も台所の掃除も、読書の後に移し替えることは可能だ。でもそうすると、数時間後の私は、昼食だけ食べて、台所の掃除は明日に回してしまうだろう。そうして今日の夜か明日の朝に、達成できなかった一つのことを後悔してしまいそうな未来まで見える。

加賀から郵送された本は、台所の掃除の後に読むことにしよう。掃除を達成した後のご褒美のように。ただ、加賀に感謝するのはどこか好まないので、この小説を書いてくださった恩師に感謝することにした。

昼食を終えて、台所を綺麗にしてご機嫌だったので、珈琲を淹れて、私はようやく一息つくことにした。日はもう随分と高いところに昇っており、掃除の時から開けていた窓から健やかな光と冷たい風が入ってくる。そっと窓を閉めて、私はようやく加賀から届いた本を最初から読み始めた。

物語は恩師がドイツへ旅に出た時のエッセイに限りなく近しい。

旅先で感じた異国と祖国と言語に関する物事が、一人称視点で描かれる。多くの異文化に触れたことによる自らの異物感は、テキストに不安や心配という形で表現され続ける。母国語よりも不慣れな外国語を使い、旅を続ける恩師は楽しげなのかもしれないが、時として痛々しく映る。恩師の味気ない、乾燥した冬の寝起きを思わせる気だるい文体は、はっきりと言えば私に合わない。加賀はそんなことを気にせず読むかもしれないけど。

自分で買った本なら、もう読むのはやめて、本棚にしまっているタイプの本。恩師には申しわけないと思うけど、つまらない本を好き好んで読んでいられるほどの読書家ではない私は。

私は仕方なく頁をめくり、読み進める。

旅は続けられ、物語は恩師の歩くペースに合わせるように時に立ち止まり、時に何かを確かめるように落ち着いた足取りになり、時に駆ける。

加賀が指定していた頁は、そんな恩師が旅先で出会った日本人との出会いから始まる。久し振りに母国語で会話をすることにある種の安心と喜びを味わう。旅をすること、母国を遠くから見つめて改めて発見すること、日常の何気ないものを発見すること。そんな会話の応酬。恩師の考えが綴られ、加賀の指定した頁は終わる。

恩師の旅はそこで終わることはなく続く。ドイツの旅を終えた恩師は日本へと帰国し、再び旅人と再会する。物語の会話の中ではどこにも帰国したら会おうと約束した場面はなく、全くの偶然の産物。

恩師はその旅人と旅の感想を話し、共感することもあれば反論することもある。そうして、恩師の日常が何気ないものという極めて個人的な感覚で支えられていることを自覚したところで、物語は終わる。

ようやく本を閉じられた達成感に、私は珈琲に口をつける。もうぬるくなって、苦味が目立つ珈琲に変わっていた。恩師には後で面白くなかったって言っておこう。高いところにあった日は傾き、茜色の光を辺りに振り撒いている。

加賀がこんな本を突然送ってきた理由は、やはり分からない。読めば分かるかもしれないと思った自分が馬鹿みたいだ。

私は加賀のように、書かれた文章を読んで、書いた人間の心情とかを考えるのは得意ではない。直接、本人に訊いた方が早いと考えるタイプ。書き言葉は、私にとってしてみれば、きっかけの一つに過ぎない。

スマホの連絡先の中から、加賀の電話番号を探し出し、電話をかける。授業はもう終わっている頃だろう。呼び出しのコールが一回、二回、三回と続く。加賀がすぐに電話に出ないことは、前から知っている。四回、五回と呼び出し音が続き、留守番電話サービスへと繋がる。伝言を吹き込むことなく一度切り、またかける。

一度、二度と呼び出し音が続く。三度目に差し掛かろうとした時、

「何でしょうか?」

と、他人行儀を取り繕った、けれども言葉の節々にははっきりと不機嫌さを思わせる声が割り込んできた。一時によく聞いた声。

「うわ、出た」

そんな早く出ると思ってなかったので、つい、率直な驚きが言葉になって、スマホを耳から離す。画面には、加賀と電話していることを示すアイコンや名前や通話時間が表示されている。離した電話口から、少しの沈黙があって、

「間違い電話でしたら切ってください」

と冷たく催促される。

加賀は私に本を送ったことを忘れているような口振りだった。私が週末の真夜中に電話をしたことを覚えていない時のそれを思わせる態度。

加賀とこうして話すのはいつ以来だろうか。退職した時以来だから、色々と話すことはあるはずだ。加賀は省いたけれど、久し振りとか元気だとか最近どうとかそういうふうに声をかけてもいい。でも、私と加賀の間にそういう典型的な挨拶はいつでもなかった。私が省くようになった。加賀はそういう挨拶よりも、何よりも先に会話という行為を終わらせたいタイプだったから。

だから私の言葉は短いものになる。

「本、読んだわ」

加賀から返事は返って来ず、電話が切られたような沈黙が落ちる。加賀との会話で沈黙を味わったことは何度もあるけど、今までで体験したことがない奇妙な沈黙だった。会話を終わらせるために意図的に口を閉ざす時とは違う、考えている時のそれ。

加賀は話すよりも沈黙で語ることがあるタイプで、他の人に話すと何を言っているか分からないだろうけれど、加賀は沈黙で喋るタイプだ。人が黙ると喋らなくなることを分かっているので、加賀はよく口を閉ざす。ある程度沈黙が続くと、加賀の方から話を終わらせる。聞きたいことはもうない、と宣言するように。

だから加賀と話す時、私は自分が話す時よりも沈黙に耳を傾け、吟味する。その沈黙が何を語っているのかを。

今だってそうだ。しかし何を考えることがあるというのだろうか。やはり、加賀は私に本を送ったのを覚えていなかったのだろうか。あるいはもしかすれば、私に送る予定ではなかった本が何かの手違いで私の元に届いてしまったのかもしれない。

「ここはあなたの日記帳ではありません」

長いようで短かった沈黙を破った加賀の言葉に重ねるように確認する。

「送ったでしょ?」

また沈黙が落ちたが、今度は慣れた沈黙だった。何を言っているのか、と問うような沈黙。はじめてこの沈黙を味わった時、何か自分が悪いような気をして会話を終わらせたことがあり、加賀はそんなことを覚えているのか度々この手段を使う。久し振りに味わった苦い沈黙を破ったのは意外にも加賀の呆れ返った声。

「今は二月二十日です」

「それがどうかしたの?」

「送ったのは一月二十日頃だったと記憶してますが?」

封筒の消印を確認すると加賀の言った日付と近い。相変わらず細かいことまで覚えているらしい。

「あなたは毎日郵便を見るタイプ?」

訊いても、返ってくるのは沈黙。会って話していたら、こちらの発言を疑うようにじっと見られているような、そんな沈黙。

加賀は帰った時に毎回ポストを確認するタイプらしいが、私はそんなに律儀じゃない。一時は毎日ポストを開けていたけれど、チラシばかりだと思ってからは、頻度は減った。連絡の多くはスマホに来るし、郵便を送ったんですが、と言われてポストを確認することもある。そういうわけで送られた郵便の確認が遅くなるのは、加賀だからというわけではない。

私が黙っていると本を送られた謎は永遠に解かれない様子だったので、理由を話すように促す。

「それで、一体どうして本を?」

「読まれたんですね」

意外、という言葉が続きそうで続かず、私は素直な感想を返す。

「面白くなかったわ」

「だと思います」

「加賀も?」

「私は面白いと思いました」

「どこが?」

「文章」

加賀が私より多くの本を、文章に触れている場面は過去に何度も見た。国語や日本語を教えるのに、英語の文章に触れている場面も見たことがある。どうしたのそれ、と訊いたら、教科書の作者を紹介された。アメリカで育ち、日本語でも小説を書く作者を。だから、英語で書かれた作品にも触れているらしい。

加賀が私よりも文章に明るいことは知っているが、あの文章の面白味を感じるのは難しくないだろうか。

どこに面白味を感じたのか説明されても分からないだろうし、加賀に説明を求める気もない。加賀に説明する気はないだろうし。ただ、加賀は面白いと思ったのだろうと思うだけで、深く掘り下げる気はない。私はそういう文章よりも、物語の面白さについて考えたいタイプだから。

ただわずかな可能性が胸に浮かんだので、口にする。

「面白かったから送ったってわけ?」

加賀がそういうことをしないと頭では分かっているのだけど、もしかしたらという可能性を考えると口角が上がる。可愛いところもあるじゃないと思いながら、いやいや加賀だぞと即座に思い直す。

即座に思ったことは正しかったようで、苛立ちを感じさせる不味い沈黙が私達の間に広がる。私はなるべく沈黙を感じさせなかったように、短い言葉で意図を問う。

「じゃ、何よ」

「大学入試で出題されたので」

「どこの?」

「共通テスト」

「いつ?」

「今年」

「これが?」

加賀に訊いたようで自分自身に確かめるような言葉。スマホを片手に、テーブルに置いたままのタブレットを起動して、調べる。

自分がさっきまで読んだ文章が、加賀が指定していた頁の文章が画面に表示される。旅人同士の出会いと別れが、味気ない文章で綴られ、文章の所々に傍線が引かれている。設問に目を通すと、傍線部が表現していることに近しいものはどれか選びなさい、と書かれている。

自然と生まれた沈黙を破ったのは、私の困ったような溜め息だった。私は問題を作った側でもないし問題を解く側でもないので、この出題について多く考えることはないだろう。しかも、国語の問題であり、かつて教鞭を執っていた英語ではない。問題の難易度とか出題意図とかそういうことを考える気はない。

何に困ったかと言えば、こういうことを知らせた加賀に向けた溜め息。でも、加賀は我関せずといった様子で黙っている。

共通テストが終わった頃に加賀が出題された問題のテキストに目を通すのを、私は毎年見ていた。どうして読むのかと尋ねると、テキストの一部にだけ目を通して分かった気になりたくない、と珍しく強い語気で語られて驚いた。だからといって加賀からそのテキストや作品について話を振られることはない。

加賀にとってしてみれば、共通テストに出てきた作品を読むということは、翌月にあるバレンタインデーに向けて新作のチョコを買う時と変わらない感覚なのかもしれない。私はそんな感覚なのだろうと思っている。本人に訊いたことはないけど。

ただ私に本を送ったことは分からない。私と加賀の共通点はいくつかあるし、この本の作者と私も関係はある。あるんだけど、加賀がそういうことをするタイプじゃないことは同じ職場で顔を合わせて知っているはずだ。

「だから?」

送った理由を明らかにしてもらおうと訊いたら、同じ言葉を返される。

「だから?」

「大学共通テストで使われたから私に送ったの?」

「はい」

「一体急にどうしたの?」

素直に頷かれ、私は更に驚きを包み隠さず問いを重ねた。

沈黙が落ちたが、加賀を相手にしている時に感じるには珍しい沈黙。普通、多くの人がする考える時に口を閉ざした時に生じるあの沈黙。

まさか悩まれるとは思わなかった。いや、悩むか。私が加賀にプレゼントを送ったとして、同じように訊かれても、きっと答えに悩む。

プレゼントされた中身については理解できた。まだ理解できないでいるのは、もう片方。つまり、急にどうしたのか、ということ。

私も加賀もプレゼントを送り合うような仲ではないし、突然に送り合う関係でもない。でも現実の私と加賀は、加賀から突然プレゼントをされた。

加賀は、答える。

「思い出しましたので」

何をとか、誰をとか、どうしてとかそういう言葉は補われなかった。ただ、それだけ。極めて個人的な感覚。

加賀らしいな、と思った。

長年の時を経た再会に、久し振りも元気だった? もなかった私達らしい感覚。突然、いきなり本題に入る遠慮のなさ。会話の途中で当たり前のように沈黙を作り、当たり前のように会話を断ち切る。

正解か不正解かを言い渡されるのを待つ加賀の沈黙に、私も個人的な感覚で答える。

「良いと思うわ、それで」

電話口の向こうで綻んだ沈黙。

加賀がその本を読んだ時、私の他に何人もの顔が浮かんだことだろう。その中から私が選ばれた。どうしてかはきっと加賀自身も分からないだろう。ただ、そうするのが当然のように、一筆執って、本と共に送った。

私との共通点を思い返せば、いくつかある。あるけど、それはきっと、この本を送った時の加賀の思いと同じではない。同じ職場だった、同性だった、デスクが隣だった、他の教師達よりよく話した、電話をよくかけてきた、作者と母校が同じ、外国語を教えている……。

加賀が作品から私を思い返したことは、良いと思う。

良いと思うから聞きたいことは多くなるし、話したいことも多くなる。電話越しでは分からないことが多い。加賀の場合は特に。

電話を切るには最適なタイミングだったけど、私と加賀の電話はまだ切られていなかった。不思議なことに。

懐かしさを噛み締める加賀に、私は訊く。

「今夜、暇?」

「最低ですね」

侮蔑の言葉を聞こえない振りをして、私は淡々と約束を取り付ける。加賀の最寄り駅を口にして、二十時と続ける。

「それじゃ、また後で」

と言って、私は電話を切った。

加賀が来ないかもしれない可能性は十二分にある。普段から誘いは断るタイプだったし。

でも今日は、行きませんと言わなかった。行きませんと言われても、今夜はきっと来るだろうという自信があったけど。

私が話したいことが多くあるように、加賀にも話したいことが多くあるだろうと思う。この本を送った理由とか。

私は鼻歌を歌いながら出掛ける準備をすることにした。

加賀は本から答えを求めるタイプかもしれないけど、私は直接聞くに行くタイプだ。〈了〉


 

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