良人の亡霊

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「良人の亡霊」

 

主人が死んで間もなくの頃は、残りの作品の扱い方で新聞社や出版社の方が主人の部屋に訪れることがあったけれど、大体の片が付くと、訪れることはなくなり、私一人になった。

毎朝、顔を出すリビングや主人の部屋として使われていた八畳の和室をいつものようにそっと覗くも、どこにも主人の姿もなければ、当然、キーボードを叩く音もしなかった。ページをめくられることのなくなった何冊もの本が何も言わず、主人の帰りを待っている。

壁にくっつけた机の前に座り、背中を丸め、刻一刻とキーボードを叩く音が続いたかと思えば、腹立たしくデリートボタンを連打する。溜め息が零れ、よっと一声上げ、畳が軋み、リビングへと姿を見せる。

そうして、きみは偉いね、よく辞められたね、と羨むような眼差しを私に向ける。

そんな時間は、もう戻ってこない。くも膜下出血により入院した頃から、心のどこかで、そんなことを考えていたのだけれど、その時は、ただ、気や予感という類のものだった。大部分では、主人はまだ若く、回復するだろうと思っていた。訃報を聞いたのはすぐ。三十半ばで亡くなるなんて考えもしなかった。

私達は大学の同期で、文芸サークルで知り合い、大学を卒業してしばらく経った後も恋人であり続け、結婚した。私は社会人として働くようになった頃には、書くことをやめた。私にとって書くということは大学生までで、社会人として働く一方で主婦として時間が割かれるようになると、自然と書くことから遠ざかった。

主人は大学の頃からずっと書き続け、それをそのまま仕事にした。私のと比べて、主人のは芯の通った娯楽小説であったり、書評であったりした。主人が書いていたシリーズものが人気を博し、分譲マンションを買う話が食卓に持ち上がった時、私は心底、書き物を辞めて良かったと思った。この才能ある人と一つ屋根の下で暮らしていれば、嫌でも自分のものと比べてしまいそうだったから。知り合ってからずっと、比べていたのかもしれない。自分の書くより、この人の書く話の方が良くて、面白くて、この人が物を書く時間がずっとあればいいのに、と思っていた。

主人がリビングでぼうっと空を見上げたり、往来に視線を落としている時、そして、何も言わずに私の姿を眺めている時、その疲れ切った瞳に私への羨望や嫉妬の情が燃えている時、私は不思議な、言いようのない優越感に浸っていた。

編集の方に二人で暮らしている間のことを書けば生活の足しになるだろう、という主人の遺言は、私の生活を見守る一方で、書く苦しみへ、自分と同じような苦しみに導こうとする罠のようだった。主人が亡くなられて間もなくの頃、編集の方から打診があったのだけれど時期が時期だったため、明確には返事をせず、保留のまま冬が終わり、慌ただしい年末年始が終わり、春が過ぎた頃になると、編集の方から連絡などはなかった。事が事であるため書かれないのは仕方ないと判断されたのだろう。
けれども、私は、まだ明確な返事は出せない曖昧な状態だった。

料理も洗濯も掃除も私だけではなく、主人のタイミングもあったから、明確にいつできるということはなく、一日の間のどこかで家事をすることがあり、一日の内、自由な時間はあるようでなかった。しかし今は、何もしないまとまった時間ができていることに気づき、主人の遺言に従うかどうか考えることが増えた。

大学の頃から、私は一人で暮らしたことがなかった。実家で暮らして、同棲をして、このマンションで共に過ごすことになった。一人の時間はあったけれど、常に家に誰かが居て、何かを手伝ったり、一緒に何かをしたりすることがあり、一人ぼっちになるのは今が初めてだった。読書も映画も、社会人になって主婦になって、触れる時間がなくなり、家にある作品にはどれも主人とも思い出が染み付いていて、今改めて見てしまえば、その思い出を壊してしまいそうだった。二人で楽しんだ作品の数々が一人で視聴した作品に上書きされてしまう。

時は私達のことを気にせず流れ続けた。主人の一回忌を数ヶ月後に控えた頃、柔らかな光を受け、新緑が眩しく見える頃、出版社から手紙が送られた。封を切ると、私の心身を心配し、労う文章と一緒に全く別の封筒が入っていた。去年の消印で、丁度、主人が入院した頃だ。労う文章の続きには、その封筒のことが書かれている。曰く、主人宛てのファンレター、と。

編集で一度中身を確認した後、何かの折に作家に郵送されると説明されたのは、遺品整理の際に、書斎の棚から何通もの葉書や封筒が出てきた時だった。

今時に随分と珍しい、と思ったが、色々な郵便物が送られてくる中で、主人が露骨に喜ぶことがあったことを思い返すと、どうやらそれほど珍しくもないのかもしれない。

差出人の名前や住所を確認するが、見覚えはない。私達の知り合いに、静岡三島に住まう春日藤子はいなかった。

封を切ると、落ち着いた茶の香りが鼻先を掠めた。

便箋には少し丸みを帯びた小さなペン字が綴られている。主人が生前出版した小説の感想が書かれていることもあれば、主人の体調を気にかける言葉が続いたり、幾つか前に書いていたのであろう旅のことなどが書かれていた。当然のように、返事を待っている、と結ばれるその手紙。

主人宛てのファンレターの数々は、まだ棚に仕舞ったままになっていた。どうしますか? と訊かれた時、処分してほしいとは言えなかった。私には関係のない手紙の数々だったけれど、きっと処分してしまえばもう二度と、小説家としての主人に出会えなくなってしまいそうで、主人の片影を見出すことができないようで恐ろしかった。片付けてしまえば、もうそこから主人のことをすっかり忘れて過ごしてしまいそうで、部屋も主人が生前過ごしていた時と何一つ変えなかった。

棚にしまわれたファンレターを引っ張り出すと、春日藤子の名前の手紙は何通もあった。両手で持ちきれないほどの量があり、主人が作家として活動しはじめた頃から、春日藤子はファンレターを送っているようだ。

この手紙の返事はどうするべきなのだろうか。きっと、春日藤子は今でも主人からの返事を待っている。私が主人の帰りを待っているように。けれども、もう主人は帰って来ない。そのことは、春日藤子も知っていることだろう。主人と春日藤子の関係は、ここで断ち切られたのである。返事はもう、書かれないのである。

しかし、私と春日藤子との関係は今日始まったばかりであり、作家として活動を続けた主人を支えてくれた感謝や労いの言葉を掛けた方が良いのかもしれない。けれども、元は主人に送られた手紙であり、私が勝手に返事を書いていいようなものではない。

主人と付き合いのあった編集の方に連絡をして、私が書いてもいいのでしょうか、と尋ねると、構わないと思います、という言葉が返ってきた。もうご存知かもしれませんが亡くなったことを伝えるのは務めの一つだと思います、と穏やかで優しい言葉が続いた。

ペンを執ったけれど、言葉は全然出てこない。大学生の頃はあれほど書いていた言葉の数々は長い社会生活の間に全て忘れてしまったようだった。どういう言葉を書けばいいのか輪郭を思い浮かべることはできるのだけれど、そこからどういう言葉を書けばいいのか分からない。

きっと、春日藤子が求めているのは、主人のことで、もう作品は書かれてないということで、私が伝えられるのはそれくらいのことしかない。

そんなことだと分かっているのに、これっきりの関係で終わる彼女にかける言葉は全然出てこない。
こうして誰かに文章を送るのは今回が初めてではない。主人がキーボードを叩く音を背中で聞きながら、あるいは主人がひょっと私の書いている文章を覗き込むこともあったりした。そうして、相変わらずひんやりとした文章を書くんだねぇ、と零す。主人はよく私の文章をそう形容した。ひんやりだとか体温が低いだとか冬だとか雪だとか雨だとか……。

私はそのいずれの言葉に反応することは少なく、小説家という虚構を描く人間の言葉を真正面に信じることはほとんどなく、ただその瞳や指先や声音に生じる熱で、主人の心持ちを判断していた。

私の文章について話す主人は、いずれも素直な驚嘆や喜びや尊敬があった。けれども、私は自分の書く文章が、主人にそう表現される文章の数々が嫌いだった。私の理想とする文章と対極だったから。

主人が私の文章について話す時、主人の心には、何故書くことを辞められたのか……という疑問が続く気配があった。でもそういう言葉を続くかもしれないというのは、ただ私の思い込みに過ぎず、主人は一度も私にそういう言葉を続けなかった。

大学を卒業して私が書かないのを気にかけた主人と、書かない理由を話したような覚えがある。その時は、自分の書く文章が嫌いだと正直に告白できず、忙しくて余裕がない、と答えた。嫌いと正直に答えてしまえば、私の書いた文章を褒めてくれる主人の感性まで否定してしまいそうで、怖かった。主人の才能ごと否定してしまいそうで。

苦い過去を過去を思い出すと、指先も頭も言葉を紡ぐことを思い出したのか、返事は少しずつ書けるようになった。

返事のお礼を書き、主人ではないことを詫び、自らの立場を明らかにし、事情を簡単に書いた。あなたが何者なのか分からないけれど、主人の著作を読み続け、支えていただき感謝していることも続いた。

それ以上、何を書けばいいのか分からなかったけれど、返事は待ち望んでことを最後に書いた。

私と春日藤子の関係はこれで始まり、終わる。私達を繋いでいたものはもう何もない。

けれども、春日藤子からの返事は翌週には届いた。主人にファンレターを書いていたのと同じ封筒で、同じ香りで、同じ便箋で返事が送られてきた。

春日藤子は、主人の訃報を信じていなかったのだけれど遺稿をまとめた本や私からの返事で信じざるを得ない状況になったと告白してくれた。それから、私を気遣うように教えてくれてたお礼が続き、自分に元にある主人の書簡をどうするべきか悩んでいる、と。本来であれば自分が持っておくべき物であるが、事が事である以上、私が持っておく方が良いのではないか、と。

主人と春日藤子が、ただ作家と読者の関係であると思う一方で、一線を超えていることも有り得ることのような気がしてならない。それは、気や予感という類のもので、きっと、私の思い過ごしだ。主人が亡くなった今、そんなことを確認して何になるのか分からない。けれど、確かめたい。二人の関係を明らかにせず、この気をそのままにしておくのは、怖かった。何もしなかったら、主人の時のようなことが起きてしまいそうだった。

主人と春日藤子の関係は、きっと、私が思っている通り、作家と読者の関係で、そこにやましいものは何もない。主人が関係を越えるような勇気はない。そういう人だ。

それでも信じられないのは、きっと春日藤子と言葉でしか繋がっていないからだろう。優しく私を気遣ってくれるその言葉の数々だけでは、彼女のことが分からない。

そこからのやり取りは早く、例年より何十日も早い梅雨入りの頃には、私達は静岡三島にある茶寮で顔を合わせることになった。

私が静岡に向かう日は梅雨の時期に珍しい晴れ間だった。誰かと会うのは久し振りで、メイクも服も随分と時間がかかった。梅雨の合間だというのに、外は夏のように強い陽射しが降り注いでいるせいで、何をどう合わせればいいのか分からず、失礼のないようシックなワンピースに地味なパンプスを合わせて家を出た。

三島駅で降りて、少し歩くと川のせせらぎが聞こえてくる。散策路のように広がる飛び石を歩く者もいれば、川の中を歩いている者もいた。主人と共に来ていれば、きっと主人は川の中をサンダルか何かで歩いて、私はその姿を飛び石の上から眺めていることだろう。ローヒールなどを履いて。

川のせせらぎが遠くに聞こえる商店街の中に、彼女の指定する茶寮はあった。店員に待ち合わせしていることを伝えると、店の奥にあるテーブル席に案内された。テーブル席の奥は全面ガラス張りで、人気の少ない商店街が続いている。

主人の遺稿集を読む眼鏡をかけた女。傍らには駅前の百貨店の紙袋が二つ置いてある。

濃いチークに締め色を入れた女。白いブラウスの一番上のボタンまで留めて、ラベンダーカラーの花柄なロングスカートに身を包む。私とそれほど歳は変わらないように思える。けれど、その細長い指に見える皺や左手の薬指に嵌められた古ぼけた指輪から微かな老いを感じる。

「春日藤子です」

僅かに低い声。立ち上がり丁寧に頭を下げた彼女に、私も応じる。頭を下げた時、彼女の白いパンプスが映った。ロングスカートとパンプスの隙間から微かに見えた足首は、濃い色のストッキングで素肌が見えるのを守っている。

それから軽く挨拶をして、私達は示し合わせたように口を開けなかった。店内に流れる雅楽の音が嫌に大きく聞こえる。

何度か返事を書き合い、話せることは幾つもあるのに、私達は不思議と無言だった。紙袋の中身について訊けば、会話はすぐに始まるのに、私は訊けなかった。

訊けば、私の思い描いている主人の姿が崩れてしまいそうで、私の知らない主人がそこにはいて、春日藤子と関係を保っている。そういう現実を知る勇気が、まだなかった。別の女の人に手を出すことなどしないと知っているはずなのに、そんな主人を認められない、多くの小説を書き、知り合いが増え、遊ぶようになった。主人は変わった。そう思っている。主人がほとんど家で仕事をしていたことは、私がよく知っているのに。

人気と書かれている茶とお菓子のセットを二人分頼むと、春日藤子はそっと私を見上げた。訝しむような視線。彼女にとって、先生の妻であり、存在していることが不思議なようだった。確かめるように、春日藤子は小さな声で尋ねる。

「……奥さんなんですね」

「え、えぇ……主人は何も?」

「いえ、……本当に結婚されているとは思わなくて。そういうこととは遠いところにいるようなイメージでしたので」

「イメージ?」

「先生にとって小説が全てのように思えましたので」

私もそう思っていました、という言葉は、頼んだ品を持って来られた店員の慎ましい声で遮られた。
春日藤子は私の言葉を再び尋ねるようなことはなく、茶とお菓子を食べている。細長い、指先に皺の見える手で。私は全く無遠慮に、彼女の隣に目を遣り、

「それが主人と手紙ですが?」

「よろしければ、どうぞ」

と、二つの紙袋を私の隣の椅子に置いた。紙袋の中には、上が一番古い手紙のようで、ずっと定期的に続けられたようだった。

「読んでも構いませんか?」

「ええ、構いませんよ」

春日藤子と主人の関係が始まったのは、主人のデビュー作からの頃から始まっている。そして、亡くなる近くまで。主人という作家が生きていたことを証明するかのような女。

見慣れた字が見慣れた紙に広がっている。少し丸みの帯びた崩れた字。私が何度注意しても、ペンが動く速さで書くとこうなるんだよ、と笑って逃げていた字。

春日藤子から直筆の手紙を受け取った主人は、返事が遅くなったことを謝った後、非常に驚き、どういう返事を書けばいいのか迷い、悩んだと続ける。直筆の手紙であるだけはなく、顔馴染み以外から、自分のデビュー作について反応を頂けたことに対して、どのような言葉を返せばいいのか分からない、と。

ただ、デビュー間もない自分という作家が、創作活動という途方もない海の中で生きられる灯りを見つけたようで大変に感謝している。どれほど感謝しても足りない。

そんな言葉で結ばれ、主人と春日藤子との関係が続いていく。

「あなたは、先生の作品を読まれたことはありますか?」

「少しは……」

と答えたけれど、私は主人がプロの小説家として活動してからの作品は読んだことがなかった。主人の書斎の本棚にしまわれていて、いつでも読めたのに、私は読まなかった。私が知っている主人の作品は、いずれも大学のサークルの時で、私も主人も互いに小説を書いていたあの時代だった。

小説家として活動する主人の作品を読んでしまえば、私との思い出をあの才能で塗り潰されてしまいそうで恐ろしかった。

すらすらと主人の作品について語る春日藤子の言葉は、私の耳に全然入ってこなかった。適当に相槌を打って、誤魔化しに誤魔化しを続け、その話が終わるのを待った。

春日藤子の声や態度は、自分がどれほど主人を知っているのかと誇るものは微塵も感じられなかった。どこか主人に同情を示すような気配があった。主人からの手紙の中に、春日藤子の旦那の訃報に触れられていた。

独り身となった春日藤子は今までよりも一層、作品から滲み出る孤独に共感したらしい。

主人がそんな作品を書くとは知らなかった。もっと優しく、読者に寄り添った話を書く人だった。

「ですから、先生の奥さんがおられたということを信じられなかったんです」

と、春日藤子が言った時、その目の端にまだ私という存在を認めていないような暗い色が漂っていた。それは、私という存在を疑っているのではなく、主人との間に、私には言えない何かがあると物語っていた。

春日藤子の言葉に応じることなく、私は主人の手紙を読み続け、その何かを探り当てようとした。手紙の中には当たり障りのない言葉や返事が続いていたが、熱海への取材旅行や新作小説を書くのに手伝ってほしい、という言葉が見られるようになり、主人と春日藤子が言葉を超えた繋がりを有していたのは明白だった。

だから私という存在をみとめたくなかったのだろうか。もし主人が今も春日藤子と関わりを持っていたとしたら、私は遠い未来で一人になってしまったのかもしれない。今の一人とはぜんぜん違う、烈しい痛みと失望が伴う一人の生活。

他の誰かと一緒になるのならば、こういう形で主人が私の元を離れて一人になったほうが良かった。

この歳でまた誰かと生活を共にするための準備をするのは難しいだろうから。きっと、主人との思い出や習慣が、新しい生活を邪魔してしまう。

一人になっても、こうして主人の影に生活を支配されているのだから。

春日藤子は主人が作品を発表する度に、手紙を送っていて、主人は毎回ちゃんと返事を書いていた。お礼の言葉の後には、決まって作品のことを少し書いている。書き上げることに苦労したけれど、こうして読まれて良かった、と。

手紙の多くはいつしか作品を発表し続ける苦悩が目立つ。一人で書き続ける孤独感が、主人を苛むようになった。この頃は書斎やリビングでも酷い有様だった。アルコールが強くないのにお酒を何杯も飲んだり、ただパソコンの前に座っているだけだったり。書くことを辞めた私を羨み、書くことを続けてしまった自分自身を恨んでいるようだった。

けれども、主人は一度も小説を書くことを辞めると口にしなかった。筆を置くことを良しとしなかった。私が少し休んでも……と提案しても、今書くことを辞めてしまえばもう二度と書かなくなり、小説家じゃなくなる、と自らを鼓舞するようだった。

そうやって自らを奮い立たせて書き続けることを選択した主人は、もういない。

最後の手紙は、旅行の誘いで終わり、この旅行は実現されなかった。主人が病院から帰って来れなくなったからだ。もしこの旅行が行われていたら、主人は私の元に帰ってきただろうか。手紙が来る度に喜んでいた主人の姿が瞼の裏に蘇る。

作家としての主人は、春日藤子の側に居た方が良いのかもしれない。私は主人の側にただ居るだけだった。春日藤子のように主人の書いた作品に絶えず言葉を送るような優しく気の利いた読者ではなかった。

「先生がお亡くなりになられた今、このようなことを申しても嘘だと思われるかもしれませんが、私達の間には何もやましいことはありませんでした」

「……信じろ、と?」

「先生は私に指一本触れることはありませんでした」

「でも、共に旅行したりしたのでしたら、それはどうなのでしょう……」

主人が春日藤子と一線を超えていないことは、分かる。小説家と読者の関係を守っているようだけれど、私がいるのに他の女の人と出掛けたりするのはどうなのだろうか。

小説家として活動しているため言葉を操るのは得意だけれど、態度や行動は正直だ。

もし一線を超えているのならば、家でご飯を食べている時や帰ってきた時にぎこちなくなる。変に几帳面になったり、小説を書く手をよく止めて、私の方を申し訳なそうに見上げたりする。ちょっと……と声をかけようとして、私が目を向けると、いやぁ何でもない、とすぐに続けたりする。そういう人だ。

主人は本当に取材で出掛けて、取材として春日藤子と会ったり、食事をしていて、主人の心の中には一欠片も恋愛感情がなければ、浮気という考えすら浮上していないことだろう。

「申しわけありません」

素直に謝られたけれど、春日藤子の胸の内はきっと複雑だろう。手紙の上では一切の恋愛感情は見当たらなかったけれど、その胸に憧れから生じた感情があることは確かだ。

あの先生と一緒にいたい。独り身で孤独感が香り立つあの先生の側に居たい。でも、先生はもういない。独り身だと信じていたのに、世帯を持っている。

「あなたは、主人をどう思っているんですか?」

「先生を……? それは、つまり……?」

戸惑う春日藤子を追い込むように言葉を並べようとして、喉の奥に熱が走り、痛みを帯びた。それでも構わずに言う。

「主人を、私から取ろうとしたんですか?」

春日藤子は無言を貫く。見張った瞳に生じた烈しい動揺は、答え以外の何物でもなかった。目尻に引き締めるように引かれた赤いアイシャドウが、皺に飲み込まれ、春日藤子の顔はようやく年相応に老いた。

私より歳上で、独り身になって、主人を求めた女。春日藤子はそういう女だ。そう強く思っても、何故だか彼女を憎めない。主人の遺品を取り戻すことができたし、春日藤子のことも分かった。もう去るには十分だというのに、私は不思議と恥じるように俯き、口を真っ直ぐ結んでいる彼女を通して主人を見ている。

主人と初めて出会ったのは、大学一年の頃だ。その時の主人に、今の春日藤子はよく似ているのだ。
先輩も誰も居ない文芸サークルルームに居た主人は、その時には一つの小説を書き上げていた。原稿用紙十枚程度の極短い話を。大学に入学するまでの間、暇だったので書いた小説らしい。

その時の主人は小さく、声をかけてもおどおどとしていて、小説を書いていることを恥じている少年だった。人と遊ぶよりも小説を書いている方が楽しいと思っている少年で、そのナイーブな性質が優しく柔らかく温かい彼の小説とよく合った。

そうして私は彼のファンになり、恋をして、寝食を共にするようになった。

まだ大学生だった主人は、ある夜に、こんな話をしてくれたことがある。その頃は私も当然、サークルに所属していて、主人とは違った冷たい、心に素手で触れるようなホラー小説を書いていた。そんなある日の夜に、私の書く話を褒めてくれた。自分にはないことができる人で、誰よりも早く作品を読めるのが嬉しい、と続けてくれた。

私と主人は、互いに互いのファンで、最初の読者になれることを喜んでいた。だから、私達は孤独ではなかったし、私達のかく作品も孤独ではなかった。常に明確に、誰に向けて書けばいいのか知っていた。それが最も自分の力を発揮できるということも。

けれども、主人は作家となり、多くの読者に迎えられ、私の元を離れていってしまった。それで良かった。そういう才能を持った人なのだから。

納得したかったけれど、才能を開花させる主人に恐怖を覚え、書くことをやめた私を羨む主人を見ることで、世間から主人を取り戻せたような気がした。

主人が孤独を味わっていたけれど、作品を公開すれば多くの読者に囲まれる。主人の孤独はある種の代償なのだ。そう思っていた。本当は、全然そんなことないのに。そう思い込むことで、主人との関係を歪ながら保とうとした。

そうして、主人は亡くなった。死んだのだ。

通夜と葬儀の時には溢れて来なかった悲しみが、もう主人はどこにもいないという現実が、今更のように私の胸から溢れようとしていた。後悔が身体を張り裂けんばかりに広がる。

春日藤子の姿がぼやけ、滲む。

「……私、先生と」

不意に漏らした春日藤子の言葉に、どういう言葉を返せばいいのかすら分からない。春日藤子の告白が続く。

「私、先生と死ぬつもりだったんです。自分が歳を重ねて、老眼になって、皺を増えて、白髪も目立つようになって……。夫は若くして亡くなったのですが、それすら羨ましいように思えて。先生は書くことに苦しんでいるようでしたから、そんなに苦しいのなら……と誘ってみました。でも、先生は、大切な人がいるから、それはできないって断られました」

「主人は……人と離れ離れになるのが嫌な人なんです。人を離れ離れにさせるのも嫌な人なんです……」

涙と一緒に零れた言葉は苦かった。主人がそういう人なのを知っていたのに、私は進んで主人から離れた。そうする以外に方法がなかったと思い込んでいた。

「あなたも、死にに行くのでしょうか?」

私がそう訊いたのは、もうそれしか春日藤子の道が残されていないような気がしたからだ。私に主人の手紙を渡して、その役目を終える。そんな予感があった。

春日藤子に答えられるよりも早く、残酷に言葉を並べる。

「もし、まだ、まだ迷っているのでしたら、まだ迷ったままでいてくれませんか?」

亡くなった主人はもう戻ってこない。主人と過ごした日々も変えられない。過去を清算して、前に歩むしかない。その機会を、春日藤子が与えてくれたように思う。

保留のままにしていた依頼に、ようやく答えられそうだった。

「主人がお世話になっていた編集の方から、主人との出来事を書いてみてほしい、という依頼があるんです。手伝っていただけないでしょうか?」

春日藤子は不器用に、驚いたように微笑んだ。

「……私でよければ」

 

 

例年より早く始まった梅雨が明けるのは、早かった。梅雨の間も夏の間も、私は主人との過去を一つずつ丁寧に洗い出し、言葉を紡ぎ、思い出へと仕立てていった。私の知らない主人の姿は、春日藤子が教えてくれた。

そうして本が出来上がる頃には、夏が終わり、秋を迎え、葉が紅葉に染め抜かれるようになった。
私達が書いた本は、主人の一回忌と合わせるように書店に並んだ。

春日藤子から手紙が送られて来たのは、それから数日経った頃だ。私はその手紙を読むよりも前に、その手紙に書かれていることが分かった。

『この手紙を読まれているのは、いつのことでしょうか。もう冬を迎えているでしょうか。それとも、春でしょうか。もしかすれば、私達が初めて出会った初夏になっているかもしれません。なるべく早く読んでほしいこともあり、ファンレターという形ではなく、普通に送っています。

私はこれ以上、老いるのが苦しくて堪りません。あなたや先生といる時は、今のことなど忘れて、過去に生きているようで良かったです。ですが、ふと一人になると、現実に晒されます。今まで、ありがとうございました』

<了>


 

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