63円の縁

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「63円の縁」

高橋健二は大学の冬休みに実家へと帰省し、何日ものんびりしていた。実家で一人で暮らす祖母は、講義とバイトとサークル活動という大学生らしく忙しい日々に疲れた健二と違い、きびきびと二階へと続く階段を上ったり下りたりしたり、踏み台を巧みに使って高い所の拭き掃除をしていた。健二も手伝おうとしたのだが、お盆と年末年始にしかここに足を運ばない孫には、勝手が分からず、炬燵を定位置として動かないことしかできない。丁度、昔この家で飼っていた猫のように。

ゆえに健二は帰省してから居間の炬燵でくつろぎ、テレビを見て過ごしている。健二の前には、数日前に祖母から渡された一枚の年賀葉書が置いてある。祖母曰く、大掃除の時に見つかったので、書きたいなら書けばいい、とのことだ。

祖母は年賀葉書を渡しても、以降の健二のことなど気にかけることなく、大掃除を終わらせ、今では台所で年越し蕎麦の用意をしている。

祖母は二人分の年越しそばを作り終えると、炬燵へと戻ってくる。

「まだ書いてないの?」

健二は白紙のままの年賀葉書を机の端に追い遣って、自分を守るかのように呟いた。

「急過ぎるんよ」

祖母は健二の右隣、テレビが真正面に見える所に座ると、蕎麦を啜って慮るように言う。

「……健二あんたもしかして、大学でひとりぼっちかい?」

「今はこういうのも全部、スマホでやるんだよ」

健二はそう言って、ズボンのポケットからスマホを取り出した。母親や兄と姉から連絡が来ている通知が画面には表示されている。

健二が実家に帰ってきたのは、クリスマスが終わった頃で、父親と母親よりも早い。父親も母親も今夜、年越しの瞬間に間に合うように来るらしい。

健二としては大晦日の日付が変わる頃に父親達と同じように実家に帰っても良かったのだが、祖母の様子を一足先に見に行くように言われた。兄や姉も健二のように一人で暮らしているのだから、何も健二だけがまるで命令かのように言われたわけではないのだが、社会人である上の二人と大学生である健二とでは、どちらが融通が効くかは火を見るより明らかで、誰が一足先に行くのかは明白だった。

社会人の二人は大晦日と三が日の四連休を取るのが精一杯らしい。健二はこれを、二人共、面倒なことを避けるためにそう言っていると思っている。夏のお盆の頃は休めて、冬が難しいということがあるのだろうか、と疑っている。そんなふうに疑ってしまうのは、実家が建てられている場所が場所だからだ。

高橋家の実家は、都心部から離れた所にある。二階建ての家は特急に乗り、車を走らせた、山の麓に見えてくる。

何をするにもバスか車がなければならない。車を出せば、駅前にある大きなショッピングモールや商店街にアクセスできる。コンビニへ行くのにも、車を出さねばならない。健二も兄も姉も、不便だと思っている。だから、兄と姉は年が明けてから帰省するのだろう、と思っている。

健二は夏と冬に帰る度に辺鄙な所だと痛感するが、祖母は全然そんなことを思っていないらしい。祖父が亡くなる前からも車に乗っていたが、今では大切な社会との繋がりも車が担ってくれている、らしい。車に乗るのが一層楽しくなった、とも言っていた。

健二には全く分からない感覚だった。多くのことをスマホで済ませ、コンビニと通販を愛用して家からはあまり出ない健二には、祖母のことがよく分からない。

分からないのはそういう感覚だけではなく、年賀葉書のこともそうだ。祖母はよく葉書を書く。

息子や孫のことを気にかけるのは、暑中見舞いと寒中見舞いと年賀葉書を書き終えた後だ。社会との繋がりが薄い年齢を迎えた祖母にとって、これら三つの葉書は大切な公的な仕事のようだった。これは何も還暦を迎えた頃に始まったことではなく、健二や父親達がまだこの家で祖父母達と暮らしていた時からのことだ。毎年、書いている。健二も祖母に倣い、書くこともあったが、中学に入学した頃にスマホを手に入れてからは、書かなくなった。名前は知っているが住所を知らない友達の方が遥かに多い。

が、今こうして年賀葉書を渡され、書く相手が思い浮かばなかったわけではない。この年賀葉書を送りたい相手の顔はすぐに思い浮かんだ。

大学に入学してから知り合った年上の女性で、早川楓。

大学に入学したが高校生の感覚を引きずっている健二にとって、二つ年上の楓は随分と落ち着いていた女性に見えた。同じサークルに所属した健二を可愛がってくれることもあれば、単位を取るコツなんていうのも教えてくれる、優しくて気の利く女性である。

スマホで連絡を取り合うことはあるが、年賀葉書を送れるかどうか、となると難しい。

どこに住んでいるのかは、同じバイト先で残業した時や飲み会で酔っ払った楓を送ることもあり、知っているが書いて送るとなると難しくなる。そもそも送っていいのか分からない。スマホで新年の挨拶や誕生日を祝うことはできるが、年賀葉書はそういうのとは違うと思う。

祖母は全然そんなことは気にしていないようだが、健二達の世代にとって、葉書は重い。スマホもあるのにどうしてわざわざ、葉書を? と思う。健二は葉書を受け取ることがあったとしたら、きっとそう思う。健二達の世代にとって、葉書を書き送るという行為は一つも二つも昔の行為であり、葉書自体の持つ重量以上の重さがある。

電話をかけ、年賀葉書を送りたいので住所を教えてください、と一言言う必要があるし、宛名と住所を書き、裏面に書く文章を考え、投函しなければならない。そういう手間暇かかることは、重い。

「伸びるよ」

祖母に言われ、健二はそばを啜る。食べながら、筆まめの祖母に尋ねる。

「何、書くの?」

「何書くって何が?」

「年賀状だよ」

「え?」

「え?」

祖母は健二の質問に大層驚いたように目を丸くして、あっけからんとした調子で答える。

「何でも良いじゃない」

祖母の言っていることが間違っていると思っているわけではなく、健二は心のどこかで祖母のその発言を正しいと思っている。思っているが、その発言を受けて実行に移せるかどうかは別のことである。理論としては正しいと思うが、健二自身の心や感情の部分では納得できない。

「……それマジで言ってる?」

「書きたい人がいれば、書きたいことなんてたくさん浮かぶよ」

それができれば苦労しないのだが、祖母には伝わっていないようだった。健二は堪えきれなかった落胆を滲ませる。

「俺は婆ちゃんみたいに慣れてないの。ないの、なんかテンプレみたいなやつ」

「……そんなテンプレの年賀状をもらって、嬉しい?」

祖母に問われ、健二は押し黙った。黙ってはいけないと分かっていたし、こうして黙ることが、そういうテンプレートに染まった葉書に対する健二の答えだと証明することも分かっていた。独創的である必要も、オリジナリティ溢れた文章を書きたいというわけではない。ただ折角、年賀葉書を書くのに型にハマった文言しか書けないのは、嫌だ。そういう文章を書くのならば、スマホでスタンプ一つ送れば良い。

「今日、送っても明日には届かないじゃん」

年賀葉書を書くことが疎くなった健二でも、大晦日にポストの投函して元旦に相手に届かないことは分かる。健二の記憶が正しければ、クリスマスに書き上げ、投函しなければいなかったはずだ。

だから書かなくても良い理由にならないことは、健二には分かっているし、間に合わないから書かないと言われた祖母が年賀葉書を健二から取り上げることをしないことも分かっていた。健二に、寒中見舞いという年賀葉書以外で冬場に葉書を出す必要があることを教えたのは、誰でもない祖母だ。

だから、次に祖母の口から出る言葉は、寒中見舞いにするかい、だ。

「だったら……」

「しないし、書かない」

健二は祖母に皆まで言われる前に拒んだ。

テレビから流れる歌番組が、居間を支配する。

葉書を書くことに慣れた、送られることにも慣れている祖母ならば寒中見舞いの扱いもお手のものだだろう。しかし健二には扱いが難しく、きっと受け取った楓もどうすればいいのか、どういう対応をすればいいのか分からなくなる。年賀葉書であれば、寒中見舞いよりも扱いやすい。送ってもおかしくはない、と思われるだろう。そういう昔のことを好むのだろう、と好意的に捉えられるかもしれない。

健二は楓に嫌われたくないのである。年賀葉書一通を送り、重たい男と思われたくないのである。これが楓以外の異性であれば別にそこまでのことは思わないのだが、楓相手となると話は変わってくる。

しかし健二が年賀葉書を送りたい相手を考えた時、誰よりも早く思い浮かんだのは楓だった。

年賀葉書を送りたい相手であるが、送ることによってマイナスな方向に思われたくない。送らないという行動を採れば、そういうマイナスな方向に健二が思われることはないのだが、そうすれば楓にとって、健二は他の大学生と変わりない。それはそれで好ましく思えない。

曲が終わると、祖母は口を開けた。

「書きたい相手はいるけど、書くことは浮かばない……良いことだよ」

祖母に羨むように見られ、健二は色々と言いたいことがあったがまず真っ先に否定しなければならない部分から言葉にする。

「書きたい人がいるとか言ってなくない?」

健二は祖母に一言も楓のことを、年賀葉書を送りたい相手がいると話した覚えはない。大学でひとりぼっちではないことを伝えただけだ。

祖母は健二の疑問を聞いても、全然驚いた素振りを見せない。

「書きたい相手がいないなら最初に訊くのは、誰に送ればいいのか分からないって訊くと思う」

「相手が誰だろうと書く内容はそんなに変わらないじゃん」

「あんたはそんなことしないと婆ちゃん知ってるよ。あんたはちゃんと相手のことを思うし、だから悩んでいるんだろう?」

「面倒になって、新年の挨拶しか書かない可能性はあるよ?」

「だったらもう書いてるんじゃないか?」

健二は虚を突かれたのか口を閉ざした。蕎麦が伸びる前に食べ終える。祖母はそれ以上は何も言わず、二人分の食器を流しへと持って行く。健二は祖母の丸まった背中に無愛想な言葉を投げかける。

「婆ちゃんは、そういうことなかったわけ?」

筆まめな祖母のことだ、多くの人に葉書や手紙を送る中に、健二と同じような体験をしたことはあるはずだろう。きっともしかすれば、健二よりもそういう経験を何度もしているかもしれない。送りたい相手は思い浮かぶが、どういう文章を書けば良いのか分からない人は、きっといたことだろう。もしかすれば、その人は祖父かもしれない。健二はそんなことを思った。

流しでは水が勢い良く流れ、鍋や丼鉢を洗うガチャガチャという音が響いていた。祖母は大きな音と重なるように、昔を懐かしんだような柔らかい声で答える。

「あったよ」

もし健二が年賀葉書をかくことに悩んでいなければ、相手のことを尋ねたことだろう。今の健二が相手のことを尋ねると、同じように楓のことを話さなければならないように思えた。避けたいことであった。祖母がどのようにして手紙を書いたのか知りたいという思いが勝った。

「……どうしたわけ?」

「どうしたってどういうことさ?」

「相手のことを思って考えたら、書けた?」

「全然だよ。反対に何も書かない方が良いんじゃないか、なんて思うこともあったよ」

年賀葉書を前にして一人思い悩んでいるのが健二だけではないと分かり、心が軽くなり、頬が緩くなる。良かった、と呟いた健二の言葉は、流しに立っている祖母のところまでは届かなかったようだ。

「だから、正直に書いたよ」

思ってもなかった返答に、健二は大きな声を上げた。

「正直?」

「そうさ、きっと他にも書くべきことはあったと思いますが何を書けばいいのか分かりません。でも、あなたとは今後も良い関係でいたいです。そんなことを書いたよ」

きゅっと蛇口が捻られ、水の流れる音が止まった。だから、健二の素直な感想はしっかりと祖母の耳に届いた。

「凄いね……」

「凄くなんかないよ」

「いや、凄いよ。勇気あるね」

「勇気より学が欲しかったねぇ……。辞書には載ってない、上手く自分の気持ちを伝えられる頭がさ……。自分の気持ちを別の言葉に置き換えて伝えられたら、良いことじゃないか」

健二は祖母のように書けるだろうか。楓に自らの気持ちを正直に打ち明けられるとは思えない。できるかもしれないが、あくまでできるかもしれないというもので、確証はどこにもない。

祖母が欲した学を、健二は持っているだろうか。大学に進学しなかった祖母からしてみれば、健二は学があるかもしれないが、だったらもう年賀葉書は書き上がっていることだろう。自分の気持ちを上手く伝えられる術を持っていれば……。

健二は祖母のように正直でなければ勇気もなく、頭も良くない。どこにでもいる普通の大学生である。けれども、楓のことを思う気持ちは人一倍ある。そう信じているし、自らの楓への想いを否定したくない。

このままここに居れば、年越しの瞬間まで年賀葉書をどうするか悩んでしまいそうで、健二は重たい腰を上げる。

「ちょっと上で書いてくる」

そう言って、年賀葉書とペンを持ち、二階へと上がる。

「年が明けたら、降りて来なよ」

「もうすぐじゃん」

「婆ちゃんに寂しい思いをさせるんじゃないよ」

「……今年中に降りて来るよ」

一階は祖母の寝床があり、健二達の寝床や荷物は全て二階に置いておくように言われた。

健二に当てがわれた部屋は南向きの四畳半の和室で、かつては父が自室として使っていた部屋である。

読まなくなった本や季節ものの衣類などが部屋の端に置かれ、空いたスペースに健二の寝床を用意されている。南向きの四角い窓の下には、黒い机が置かれており、これは父が昔使っていた物だった。この机で一生懸命勉強して大学に合格したと祖母はよく話し、だから色々と修理してもらってまだ使えるようにしているようだった。

健二はその机の前に腰を下ろし、年賀葉書とペンを置いた。暖房や炬燵や蕎麦で火照る身体を冷ますように、窓を開ける。

夜風がすぐに入り込んで来た。火照った頬や身体に気持ちが良い。

夜空には雲一つなく、どこまでも澄んだ暗闇が広がっている。窓からぐっと身を乗り出してみると、空に少しだけ近づいたような気になる。澄み渡った空に輝く星は、いつ見ても綺麗だった。

星よりもずっと明るい月は欠けていることなく、真ん丸とした姿を、健二の前に曝け出している。月は一ヶ月に一度、全てを曝け出す勇気を手に入れるらしい。

健二は全く唐突に、とある通説を思い出した。夏目漱石が、月が綺麗ですね、という日本語にどういう英語を当てはめ、翻訳したのかを。

健二は満月を眺め、一階では得られなかった勇気を得たように思えた。健二は身体を縮こめると、窓をそっと閉める。年賀葉書に向き合うと、意を決したように息を吐き、ペンを執る。

満月に背中を押されたような気がする。夏目漱石の通説に背中を押されたという方が適切だろう。夏目漱石のことは詳しく知らないが、先生や祖母達に教えてもらった覚えがある。

近代を代表する小説家であり、イギリスに留学したり、大学で教鞭を執っていたような人だ。そんな人でも、愛しているを愛していると訳さない。日本人はそんなふうに愛していると言わないらしい。そういう通説がある。

だから、健二が楓に自らの思いを正直に伝えられないのは当然のことのように思えた。

楓に自分自身のことを悪く思われるのは、好ましくない。しかし、だからといって、このままで良いとは思いたくない。年下の男の子のままだと思われるのは、少しだけ、嫌だ。

自分の気持ちを正直に伝えられるのならば、それがきっと良いだろう。健二は少なくとも、勇気を出して、正直に伝えられることを良いと思っている。が、今の健二にそんな勇気はない。別の言葉で、楓に伝えることしかできない。

別の言葉を用いる以上、正しく伝わるかどうかは分からない。不安がないといえば嘘になる。けれども、何もしないよりはずっとずっと良かった。

健二はようやく年賀葉書を書き始めた。一階では祖母がテレビで鐘の音を聞いているようだった。

 

 

三が日を実家で過ごした早川楓は、久し振りに一人で暮らしている賃貸マンションのポストを開けた。美容院やいつ行ったか覚えていないブランドショップからの新年の挨拶葉書の中に、一通だけ普通の年賀葉書がある。

「……ん?」

顔の前でぐるぐると巻いた分厚いマフラーの中で、疑問符を一つ零す。漏れた息が眼鏡のレンズを曇らせた。眼鏡のレンズをハンカチで拭いて、宛名を見る。

高橋健二と書かれており、大学の後輩からの年賀葉書だと分かった。

消印は健二が住んでいるところではなかった。実家に帰っていると冬休みに入る前に話していたことを思い出す。バイト先のシフトについて相談されたことも思い出す。健二が年末も年始もバイトに入らなかったので、楓は新年を迎えるぎりぎりまでバイト先にいた。

思い返すと少し腹が立つことなのだが、全て去年のことである。新年を迎え、三が日も過ぎた今、蒸し返していい感情ではない。

意外、という一言に、楓は健二に関する全てをまとめて、自動ロックを解除して、エントランスを通り、家へと帰る。

楓はローソファーに背中を預けると、健二から送られた年賀葉書に目を通す。葉書の裏面は、端に謹賀新年と門松が印刷されたシンプルなもの。
――月が綺麗なので、ふと早川さんのことを思い出しました。だから、書こうと思いました。バイトとか色々任せちゃって、済みません。お陰で良い年末年始です。ありがとうございます。返事待ってます。住所は表と違うので、下記まで。ところで、初詣って行きました?――

 

健二の字は見かけによらず細かく、一字一句を丁寧に書こうという気概が見て取れた。大学に提出する書類は適当にテンプレートを微かに変えたものしか書かないのに。

楓はローテーブルに置いたスマホに目を遣った。健二に連絡を入れようと思えば、すぐにできるだろう。電話もすぐだ。年賀葉書を届いたことを伝えるなど、すぐだろう。ついでに年末の五連勤がいかにしんどかったのか伝えても良いのかもしれない。

どうして急に年賀葉書を出したのか訊いても良いのかもしれない。実家に帰っている間に何かあったのだろと想像できるが、それでも色々と訊いても良いのかもしれない。

健二に訊きたいことは色々とある。でもきっと、それはスマホで済まして良いことではないのだろう。スマホで済ませるのならば、健二は新年の迎えた瞬間に連絡を入れるはずだ。でも、健二はそういうことはせず、年賀葉書を選んだ。加えて、返事を書きやすいことが、裏には書いてある。

健二から年賀葉書を受け取り、楓は懐かしい気持ちになった。楓にも年賀葉書を書いている時期があって、確かスマホで友達と連絡を取り合うようになる前は、こうして書いていた。住所を教えてもらい、何を書くのか考え、実際に手を動かし書き、自分の手でポストに投函した。そういう手間暇をかかることをしても苦でもない相手を選んで。

健二にとって、楓はそういう相手なのだろう。

健二に訊きたいことは、とてもだが年賀葉書一枚に収まるような量ではなかったし、何度も葉書を書き合い、届くまで待ち続けられるような関係でもない。健二も楓も、スマホで連絡を取り合う速さに慣れており、その速さを当たり前だと思っている。

だから、楓が健二に年賀葉書を送るのはきっとこれが最初で最後だろう。スマホ一台で連絡を取り合えるこの現代で、わざわざ葉書を選択した年下の男に返事を書くなどということは。

こういうことをするのは、健二より年上である楓の方なのではないだろうか。二つ年が違うだけで、そんなふうに思ってしまうのは、おかしいことかもしれない。

楓は健二から受け取った年賀葉書を小さな鞄にしまい、家を出て、郵便局へ足を運んだ。年賀葉書を一通買った。六十三円だった。

楓はその場で年賀葉書の両面を埋めた。健二のように長い文章は思い浮かばなかった。最低限と思えるような言葉を並べるだけだった。

――今年もよろしく。初詣は、まだ。一緒に行く? まぁ詳しくは冬休みが終わったら話すわ。色々話したいことがあるから――

楓は返事をポストに入れて、家へと帰る。その道中、ふと、健二の書いていた文章を思い出した。

月が綺麗だから楓を思い出すというのは、どういうことなのだろうか。

我、君を愛すと訳せる言葉を、夏目漱石は月が綺麗ですね、と訳した通説がある。

楓は足を止め、出てきたばかりの郵便局を見上げる。

「……まさか、ね?」

スマホですぐに真意を問うことはできたが、そうしてはならないと思った。〈了〉


 

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