木曜日の使い方

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「木曜日の使い方」

露天風呂には、宮内あきの姿しかない。湯船に浸かると、内風呂より少し熱かった。頭や肩を濡らす小雨が冷たく、心地良い。あきは露天風呂から辺り一面に広がる雨雲を見上げ、どうしてこんな日に、こんな時間にこんなところに足を運んだのか思い返す。

今はゴールデンウィークでもお盆休みでも年末年始でもない。六月の下旬、平日の木曜日であり、午前十一時。

あきはそんな時分に、温泉旅行に来ている。しかも、友達と二人で。会社の人間ではない女。

あきが働く会社の経理部は、あきを含めて五名しかいないこともあり有給を申請する時は、事前に一言話した上で申請されることが多い。互いに被ることがなくスムーズに有給を取得できるように。あきも度々、有給を申請していた。ただ年に二度あるかどうかという程度でほとんどの場合、他の社員の有給消化を優先している。部下が有給を取得しやすい環境を作るのも、あきの仕事の一つであったから。

あきは何も仕事が好きだとか、仕事にやりがいを見出しているとかいうわけではない。休みの使い方は、大学時代から続けている一人暮らしの時から得意ではなかった。正午を回る前には起きて、家事を全て終わらせると困ってしまう。残りの休みをどうしようか、と考えてしまう。一時はアルバイトに精を出すことがあったが、そこまでして金を稼いだところで使う余裕がないことに気づかされ、ほどほどの仕事量に落ち着く。

昨年度の末頃に部長から、来年度のどこかで連続して三日の有給を消化してほしいと話された。最近決まった正社員の有休消化義務を、部長やあきから行えば部下達も一層有給を消化しやすいだろう、と部長は考えているようだ。尤もこの有給消化義務は年度の中で五日の有給を消化するものであり、三日連続で消化する必要はない。

あきは周りの方が良ければと遠回しに断ってみたのだが、同僚や部下達から是非休んでほしいと言われてしまった。いつ頃か良いかと部長に確認され、あきはいつでもいいです、と淡々と答えた。

決算の対応に追われる四月や五月に連続して三日の有給消化は取れないが、個人住民税に関する処理に追われる六月頃ならば何とかなるのではないかとあきを除く経理部メンバーで話し合われたようで、六月下旬の水曜日から金曜日が有給となり、土曜日と日曜日に休日出勤されるようなことはないようにする。

そんな五連休の日時を部長から通達されたのが、四月の頃。

降って湧いて出た五連休の使い道を、あきが悩んだのは言うまでもない。三連休でも最終日は暇を痛感してしまう人間に、五連休は長い。会社の仕事を持ち帰って連休の間にも仕事を片付けようと考えたが、個人情報がどこで漏れるか分からない危険性を考え断念した。加えて、あきに快適な連休を捧げようと経理部の面々はよく働いてくれた。曰く、有給を普段から優先してくれているお礼らしい。そう部下から言われると、休みの使い方に困っていると相談しづらい。

「考え事ばかりは良くないと思うわ」

内風呂へと続くドアが開いたかと思えば、湯気の向こうから、気遣うようで全然気遣う素振りが感じられない確認をされる。あきは無意識のうちに眉間に寄っていたしわをそのままにして、呆れたように声を上げる。

「誰のせいだと思ってんの?」

「私かな?」

露天風呂の水面が揺れ、この二日で見慣れた姿が明るい声と共に近づいてくる。均整の取れた色の白い身体。普段下ろしている髪は湯船に触れないようにまとめ上げられ、白い額が露になっている。

全然自分のせいと思っていない声音に、あきは訊く。

「本当にそう思ってる?」

近くにやってきた淡い顔立ちをした女は昨日から続いているゆるい声で答える。

「ワーカーホリック気味のあなたを救っただけ感謝して」

「別にワーカーホリックじゃないけど?」

「有給何日残ってんの?」

「残り十七」

「立派なワーカーホリックよ」

「まだ六月だからよ」

「去年も似たようなこと言ってなかった?」

「人の数字について考えることはできるのね」

「他の人の数字だからね」

あきは来年度に長い連休ができるかもしれないという話を、度々この女にしていた。フリーのイラストレーターとして活躍する柳田京子とは共通の知り合いの結婚披露宴で出会い、現在まで度々会う関係が続いている。

相談するとすぐさま、温泉旅行に行きましょうと提案され、宿や交通手段などを決められた。旅行の食事は当日突然別のものが食べたくなるかもしれないので現地で適当に選ぶことになった。火曜日の仕事終わりに駅前で合流し、西から漂ってきそうな梅雨の気配から逃げるように東へと走る特急電車に乗り、三泊四日の温泉旅行がはじまった。

本来なら知り合いの結婚披露宴という場だけで終わるであろう縁が現在まで続いているのは、京子が数字に強い方ではなく、あきが数字に強いことが明らかになったためだった。

何年か前の三月に確定申告の相談をされ、あきも京子も大変な目に遭遇し、そこから少なからず月に一度は会う関係を続けている。あきが何かするのではなく、京子に経費の計算を確認させたり、領収書の整理をさせる程度。監督役としてあきがいる。京子が判断に困った時に、あきへと質問する。そんな関係。

何年か前の確定申告を終えた時、次からは税理士に丸投げすればいいのではないかと提案したが、それほどの売上はないと言われてから二人で定期的に確認することにしている。一年のことを数週間で終わらせるのではなく、一ヶ月のことを一ヶ月の終わりか月の初めにするべきと京子に何度言ったか分からない。納期が決まっている仕事だと思えば、普段の仕事と変わらないでしょと心構えのアドバイスを送ったことはあるが、普段の仕事の納期はもっとスパンが短いと返される。

そんなことを言いながら事務作業を見守る。休みが度々、京子のために費やされることをあきはあまり嫌だとは考えていない。普段行かないような飲食店に案内されたり、普段買わないような物が通販で送られたりする生活は、京子を手伝ったことによる分かりやすい達成感を与えてくれる。

そういう関係だと思っていたのだが、三泊四日の温泉旅行を一緒にするとは思わなかった。この旅行も分かりやすい報酬の一つかもしれないと思ったが、既にその月はもう美味しいお取り寄せを通販で送られていた。

つまり、断ることもできたのだが、京子が容易に素早く次々と決めたので、あきは断る余裕がなかった。ただ、行きの特急電車の中でも繰り返し訊いたことを再び口にする。それが精一杯、あきができる抵抗手段のように思えた。

「……暇じゃない?」

隣で羽を伸ばす京子は、しっかりとこの旅行を満喫しているように、暇を肯定してみせる。

「旅行って基本そうじゃない?」

「こう、もう少しあるじゃない。観光とか」

自分で言ってみて、随分と旅行の計画がみすぼらしいものだったが、間違っていないだろう。駅前から宿に至るまでの景観は良かった。しかしその感動も驚きも、一昨日の夜と昨日の朝で味わい尽くしたような気がしてならない。バスやタクシーに乗って更に足を伸ばせば何かあるかもしれないが、この雨の中を動く気にはなれない。

「する? 観光?」

京子は尋ねてくれるが、あきの乗り気ではない胸の内を読み切っているように、どうせしないと思うけど、という気持ちがありありと見て取れる。

「三日連続ってなると飽きるわね」

あきはそうまとめて、湯船から出た。後ろから昼は何を食べたいのかと尋ねられ、手軽に食べられて冷蔵庫に置いておけるパンやサンドイッチを希望した。昨日は定休日でしまっていた最寄りのカフェがテイクアウトもできることも伝えて。遠回しに、買ってきてほしいということを伝えてみたのだが、京子からは意外そうな声が返ってきた。

「あった? そんなカフェ」

あきは露天風呂の淵に腰を下ろし、足だけを湯につける。降りかかる雨が火照った身体を冷ましてくれる。

「あったわよ、通りに。ほら、小さなゲームセンターの前」

より具体的に教えてみるが、全然分かっていなさそうな自信に満ちた返事が返ってくる。

「ああ、あそこ。え、でも、テイクアウトなんかしてた?」

「してるわよ」

「いつ見たの?」

「火曜の夜。覚えてない?」

「……よく見てるわねぇ」

京子は感慨深くを呟く。あきの呆れ返った視線に気づかないように。

あきは京子がそのカフェで酔い覚ましの珈琲か紅茶を飲みたいと言ったことを覚えている。何種類かのパンやサンドイッチもあれば、ランチメニューがあることも知っている。というか、京子が看板を片付けている従業員に聞いているのを覚えているだけだ。

火曜の夜にこの地に降り立った時、あきも京子も車内でビールを飲んだこともあって、少なからず平常とは違う感覚を味わっていたことは確かだ。ただあきはこの後に宿に行って、チェックインをして、部屋に通されるということを覚えていたので程々にしていた。

が、京子は随分と楽しげで、今のような朗らかな調子に明るさが加わって、端的に言うと酔っ払って五月蝿い女になっていた。五月蝿いのは今に始まったことではないが、酔っ払うまでは考えてなかった。車内で二本目のビールを開けたところで止めた方が良かったのかもしれない。

京子とあきが会う時は、経費に関する書類や領収書や文書を扱うため共に白面である。その作業の終わりに頂く飲食も、京子はもてなす側という意識が働いているのか、酔って楽しげな様子は見て取れない。

京子はこの温泉旅行を楽しみにしており、あきを旅のお供にしたのは確定申告の前準備を手伝ってくれたお礼ではない。一人の友達として、この旅行を共にしている。

そう考えると嬉しい気持ちもあるのだが、それでもやはり三泊四日の旅行は長い。暇になってしまう。しかし、暇になってしまうのを恐れるように予定を詰めるとそれはそれで疲れる。暇になるか、疲れを覚えるか。どちらを選ぶかとなれば、あきは前者を採る。休みの日にまでわざわざ疲れたくない。京子もそのことは口には出さないが分かってくれているようで、あきが度々、暇を口にしても無理に予定を立てるようなことはしない。

ただそれでも、今日は一日中、暇である。それに、この地も梅雨入りしたらしく今夜も明朝も雨のようだ。一昨日、昨日と泊まった部屋に篭るのは絶好の日なのかもしれない。

「そろそろ買いに行く?」

京子は湯船から出て、あきの脇を通り抜けようとする。その背中に、あきは確認する。

「雨の中を?」

京子の足が止まり、首だけを動かしあきを外に出るように促す理由を並べる。

「傘も履き物を借りられるし、仮に濡れたとしてもお風呂も入り放題だし問題なくない?」

あきは雨の日は出かけたくないタイプだったが、その理由を明らかにしたところで京子を説得するのは難しいように思え、別の理由を並べる。

「お風呂上がりはゆっくりしたいのよ」

あきは京子を追い越し風呂場を抜け、脱衣所に向かう。そっか、それじゃ仕方ないという微笑は、少し遠いところから聞こえた。

手早くラフな格好に着替えると、長い髪をドライヤーで乾かす。追いかけるように脱衣所に来た京子の大きな声が脱衣所に響く。

「それじゃ、何か買ってきてあげるわ。ゆっくりしててちょうだい」

あきは髪を乾かす片手間に、すぐに希望を口にする。

「何かランチのセットがあればそれ。選べれるんだったら、美味しそうなやつでお願い。なかったら、クロワッサンとサンドイッチ。飲み物はアイスコーヒーでよろしくね」

「そんだけ決まってて行きたくないのね」

「言ったでしょ、お風呂上がりはゆっくりしたいの」

そうしてあきは部屋へと戻り、京子は外へ出た。

雨は止むことはなく、曇天が空一杯に広がる。通りから少し離れたところにある宿の二階の角部屋はいつまでも静かだ。十二畳の和室は二人で泊まるには十分。床間や窓際のスペースもあれば次の間も備え付けられている。雨が窓を叩く微かな音と柱に取り付けられた時計が進む音だけが流れ落ちる。

窓際のスペースからは広い中庭を見下ろせるのを、あきは少し気に入っている。今は緑の葉が雨に打たれるのを見るだけだが、桜や紅葉の時分になれば息を呑む景色が広がっていることだろう。

この旅行で分かったことはいくつもある。京子の朝は午前六時からはじまること、地方の朝刊を読むこと、必ず日に二回は運動の習慣として散歩に出ること、日付が変わる前には寝ること、普段はあまり喋らないこと、酒に弱いこと。

京子は暇を享受できるタイプであること。そういう京子といると、あきが暇の扱いが苦手なことを改めて確認できた。幸いなことがあるとすれば、京子があきのペースを乱さない人間であり、沈黙を苦としない人間だということだろう。

あきが分厚い小説を読んだりしていても、窓際の小さなスペースに出て変わり映えしない景色を眺めたりしても、京子は何も言わない。

何も言わないからといってその間、京子が仕事をしているわけでもない。いつでもどこでも仕事ができるのを、あきは知っている。普段から仕事で使っているタブレットを起動したり、アナログでラフを考えたり、取材としてカメラを首から提げて出かけるようなこともない。

ただ部屋で、時計の秒針の単調な動きに耳を傾けたり、香り高い畳の上で惰眠を貪ったり、ぼんやりと外の景色を眺める。そんなふうに二日を過ごしており、三日目もそんなつもりで過ごす気なのかもしれない。

京子のそんな姿が、あきには暇に堪えられない人のように映り、仕事をしてもいいわよ気にしないから、と助け舟を出したら、心底意外そうな目を向けられ、どうして旅先で仕事をする必要があるのか、と言われた。フリーランスはいつでも仕事ができるからこそ、いつ休むかは自分でしっかりと決めないといけないらしい。この旅行は休むための旅行なのだから仕事はしない、と宣言された。

自己管理ができないとフリーランスではやっていけないというのを、あきは度々聞かされていた。あきがその話をはじめて耳にした時、領収書の整理はできないのに? と言ったが、それとこれとは話が違うらしい。京子の言う自己管理は体調面に関することだった。

そう言われると確かに京子は自己管理が上手いと思う。京子は職業柄、家で仕事を済ませることはほとんどだ。大雑把な部分は家でなくても何とかなるらしいのだが、本格的に仕事をするとなると、家での方が集中できるらしい。ただ家で仕事が多くなるとオンとオフの境界が曖昧になるようで困ると言っていた。

あきも最近は家で過ごすことが多かったが、オンとオフの境界が曖昧になるようなことはなく、よく分からない感覚だった。京子のようにエアロバイクを導入したり、一日のどこかにヨガを嗜んだりすることはないし、プロテインを飲むようなこともない。

あきは週に五日は会社に出勤しなければならない人間であり、そこそこに運動はできていると信じている。実際、体型が大きく変わったということはここ数年程度はない、この三日の間で脱衣所にある大きな鏡の前で度々体型を確認しても、無駄な肉が増えたことはない。

だから風呂上がりに窓際で雨音に耳を傾けながらアイスを齧っても全然問題ないのである。京子から無事に店を見つけたことやランチのパンのセットが買えたメッセージが届き、少し早い昼食になるだろうと分かっていても。

アイスを半分ぐらい食べたところで、紙袋を持った京子が帰ってきた。京子が歩くと、コーヒーと小麦の香りが部屋に漂う。

「……本当にゆっくりしてるじゃない」

意外そうに呟く京子に、あきは当然といった調子で応じる。

「おかえり、だから言ったでしょ?」

「あ、ただいま。どっちで食べる?」

「あなたが来た方が早いわ」

あきは正面の空いている椅子を指さし、京子を促す。

部屋の真ん中に置いてある紫檀の机で買ってきた食事を摂ることもあれば、窓際の小さなスペースで机を挟んで食事を摂ることもある。二人で話し合って決めたことではなく、朝が早い京子が寝ているあきを邪魔しないようにコーヒーや紅茶を窓際の小さなスペースまで運び、クッキーなどの菓子を摘む。

あきは柔らかな香りの動きに鼻腔をくすぐられ、眠たい頭を無理に起こすことなく京子のカップからぬるくなった飲み物を貰い、ゆっくりと頭を起こす。

「この旅行で分かったことがあるわ」

京子は持っていた紙袋を机に置くと、中からパンとサンドイッチとカップサラダとアイスコーヒーを取り出し、あきの方へ寄せる。あきは礼を口にしてから、アイスコーヒーにストローを挿し、京子の言葉を繰り返す。

「分かったこと?」

「あなたが思ったよりも怠惰ってこと」

「……そう?」

「うん。嫌いじゃないけどね。普段から数字のことばかり考えているから、もっとちゃんとしてるのかと思った」

「家でもちゃんとしてたら大変じゃない?」

「それが、宮内の休日なんだね。良い切り替え方だと思う」

京子はオレンジジュースを飲んで楽しげに笑う。あきは何かを言おうとしたが、怠惰な休日を肯定してくれた京子に驚き、何も言えなかった。

京子が暇を享受するように、あきは怠惰を享受しているような気がした。一緒に旅をしている京子が思ったよりも動いてくれるからかもしれないが、あきは一日のほとんどをこの部屋で過ごしている。

怠惰を極めてみようと昼前から酒を飲むことも考えたのだが、常日頃からそういう生活を送っていなかったため、旅先で急にそんなふうに振る舞うことはできなかった。

あきにとってこの旅行は、普段の休みから家事を抜き取っただけのようなものだった。

だからか目の前の女が普段と変わらない時間に起きたり、習慣としている運動を絶えず行ったりしながらも、確実に普段の日常とは違う楽しみ方をしているのが羨ましく思えた。

羨望の発見は、そのままあきの声と乗る。ただ、京子に悟られないように静かな調子を維持していたが。

あきは楽しげな京子の顔を真正面から見つめて、

「私も、分かったことがあるわ」

と口火を切る。

「私のこと?」

「そう」

「当ててみてもいい?」

自信に満ちたように訊いてくる京子に、あきは煽るように口角を上げる。

「当たるかしら?」

「私が思ったよりも働くとか?」

京子は普段の習慣が癖になっているかのように、よく外に出た。何かを買いに行くこともあれば、食事のためにあきを連れ出すこともある。

確かに、この旅行で分かったことの一つなのだが、あきは少なからず当てられたのが気に食わず否定した。

「全然違うわ」

「嘘、え、私かなり外に出てるよ?」

「別に外に出てるのと働くのはイコールじゃないでしょ」

「まぁ、そうだけど……。え、だったらなに?」

「ずっと楽しそうってだけよ」

二人しかいないスペースに、不意な沈黙が落ちた。

あきはてっきり、旅行ってそんなもんじゃない、みたいな京子の自論が返ってくるとばかり思っていた。しかし、当の京子は沈黙を守り、じっとあきの顔を見ている。何かを言いたげなのを待っているようだった。

 

京子の視線を気にせずにアイスコーヒーをすすったり、パンを齧ることもできたのだが、気になるとそのままにしておくことができない。

その瞳が嬉しそうに丸々と輝いていると、訊かないわけにはいかない。

あきは痺れを切らしたかのように、ひとまず一言だけ声をかける。

「……なに?」

あきの声を受けて京子の目元が、ふっと柔らかな微笑を描く。分からないのならばそのままでいい、そう言われているようだった。意外な反応に、あきは京子が楽しんでいると思っているのは自分だけの思い過ごしのように感じ取れ、すぐに言葉を並べる。

「なに、もしかして楽しくない?」

京子の答えは焦りがそのまま音になったかのように早口で、次第に落ち着きを取り戻す。

「いやいや、全然。すごく楽しい。ずっと楽しくて、幸せ。ただ……」

あきは再び訪れそうな沈黙を遠ざけるように、京子の最後の言葉を繰り返す。

「……ただ?」

「楽しい旅行だわ」

同じ言葉を繰り返し微笑する京子に、あきはこの旅行について考えを巡らせる。

楽しいか楽しくないという感情の話になると、あきは京子のように上手く答えられない。旅行自体が好みではない節があるから。

もしこの旅の相手が京子でなければ、もしかすればあきは途中で帰っていたかもしれない。

丁度良く放っておいてくれる京子の距離感が、心地良い。人の休日を怠惰だと言っても肯定してくれるのも有り難かった。

京子の優しい声が耳朶を打つ。

「一つ、提案があるんだけど」

考え事の妨げをした京子に、あきは柔らかく片眉を上げる。

「今日は随分と喋るじゃない?」

「静かにご飯を食べたいタイプじゃないでしょ?」

否定するようなことではなかったので、あきは京子の提案に耳を傾けることにした。

「それで提案って?」

「旅行から帰ったらさ、家に泊りに来ない?」

あきは短く、答えた。

「良い休日の使い方ね」

〈了〉


 

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