芥川龍之介と菊池寛の共訳「アリス物語」について

「アリス物語」は、文藝春秋・興文社発行「小学生全集」シリーズの一冊として、発行された共訳です。

「アリス物語」が発行されたのが、昭和二年十一月十八日。芥川龍之介が自殺したのは、同年の七月。菊池寛は本書の末に共訳について、こう記してます。

この「アリス物語」と「ピーターパン」とは、芥川龍之介氏の担任のもので、生前多少手をつけていてくれたものを、僕が後を引き受けて、完成したものです。故人の記念のため、これと「ピーターパン」とは共訳ということにしておきました。

共訳にした経緯はこの一文から把握できますが、「共訳」について二つの疑問が生じると思います。

 

・どちらか一方の翻訳は終わっていたのではないか

芥川龍之介がどのようにアリスとピーターパンを翻訳する作業に着手していたのか分かりませんが、どちらか一方の翻訳できていて、一方の翻訳ができていなくて菊池寛が後を引き受け「共訳」という形を採用した。

・アリス物語とピーターパンどちらも未完成であった

どちらの作品の翻訳も芥川龍之介が手をつけていたが、どちらも完成まで漕ぎ着けることができていなかったため、菊池寛が後を引き受け、「共訳」ということにした。

上記の二つの説のどちらが正しいのか、どちらとも間違っているのか悩ましい部分でありますが、両方に共通しているのは、上記の菊池寛の文章だけでは、どこからどこまでが芥川龍之介の翻訳なのか分からないというところです。

アリス物語の末尾以外で、芥川龍之介と菊池寛が本作の翻訳について触れている資料は見当たりません。ですので翻訳の範囲については、翻訳された「アリス物語」本書から考えていくしかありません。

ここでは、一つの表現から、翻訳の範囲を考えていきたいと思います。

芥川龍之介と菊池寛が翻訳した「アリス物語」には、特徴的な表現があります。それが、「あすこ」という表現。

この「あすこ」という表現は、「あそこ」の東京・江戸の訛りであり、芥川龍之介の作品に度々登場する単語です。菊池寛の作品では、「あそこ」という表現の方が多く見て取れます。

そこで、この「あすこ」という表現が度々登場する七章までを芥川龍之介の翻訳とし、八章からを菊池寛の表現とする説があります。

詳しく書くことも可能ですが、木下信一氏の「芥川龍之介・菊池寛共訳「アリス物語」の謎」という先行研究がありますので、そちらをご確認ください。

訛りだけではなく、下訳と先行訳の類似点、訳語の不整合、言葉遊びの翻訳方法などに注目し、謎を明らかにしようと試みた論文です。

澤西祐典氏の「芥川龍之介・菊池寛共訳『アリス物語』・『ピーターパン』に関する基礎的研究」というものもありますので、完成が待ち遠しいです。

二人が翻訳したアリス物語は、国立国会図書館デジタルコレクションにて無償で公開されております。

https://dl.ndl.go.jp/pid/1717293/1/1

紙媒体で読みたい方は、第一章と第二章の翻訳が掲載されてます「芥川龍之介選 英米怪異・幻想譚」(編訳者:澤西祐典 柴田元幸)をお買い求めください。

2023年現段階では、どちらがどこまで翻訳したのかは定かになっておりませんことを記載しておきます。

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