芥川龍之介の手帳六の翻刻について

本稿は下記の記事及び研究について素人が考察しております。

非常に簡単に書きますと、芥川龍之介の「手帳六」が翻刻され、いくつか新しいことが発見されたというものです。何故改めて、「手帳六」を翻刻しようと思われたのか、翻刻の歴史はどうなっているのか、翻刻した内容などにつきましては、下記のサイトから各々でご確認ください。

本題の「手帳六」の翻刻に触れる前に、そもそも「手帳六」とは何なのかということ、手帳が翻刻されることによって、どのような研究が見えてくるのかという二つの前提条件を確認しようと思います。

 

それから、翻刻によって明らかにされたフロイトと芥川龍之介について今一度見つめ直そうという目的があります。

手帳六の翻刻によって見えてくる中国視察との関係については、別途で記事を作成しようと考えておりますので今しばらくお待ちいただけると幸いです。

 

※芥川龍之介の作品のリンクは青空文庫に飛びます。

※研究論文につきましては、Amazonにある場合はそちらのリンクとなっております。

 

・「手帳六」とはなにか

芥川龍之介の手帳は、十二冊あると言われております。手帳一は1916年辺りから書かれ、「鼻」などと関わりがあり、手帳九と関わりのある作品は「河童」や「歯車」などがあります。

今回、翻刻された「手帳六」は、中国旅行中に記された可能性が高いとのことです。全集未収録のメモも明らかになりまして、中国旅行について記された「支那遊記」と関わりがある部分が多々見受けられます。また、フロイトに関心を懐いていたことも見て取れます。

フロイトの精神分析と文学理論及び芥川龍之介の関係性について考察しながら、そもそもとして手帳という資料がどのくらい作家研究に役立つのか浅学でありますが考えていこうと思います。お付き合いしていただければ幸いです。

・手帳と作家研究について

作家にとって、手帳というのは読者の存在を意識しない書き物であり、内面を整理する時のように書き綴る日記とも違い、時としてメモ書きのために使われたり、作品を書くまでの素案や資料のために書かれることがあります。

今回の「手帳六」も、そのような面で使われている部分があるのは、上記からも何となくでありますがご理解していだけることでしょう。

そのため手帳は、作家個人の非常にパーソナルな部分が見て取れます。

何に関心を懐き、何を調べようと思ったのか……。

 

多くの作品の出発点とも言える。あるいは、作家の頭の中にあった作品が初めて紙に書き落とされた、ともいえるかもしれません。

そうした関心事、メモ書きの中に、フロイトがあり、彼の論文に取り上げられた作品があります。

「手帳六」の翻刻されたことにより、芥川龍之介とフロイトとの関係を定説より早くなったと見て取れるかもしれません。

それほどまでに芥川龍之介がフロイトに関心を寄せていたのはどうしてなのでしょうか。フロイトの何が、芥川龍之介を惹きつけたのでありましょうか。

・フロイトと芥川龍之介の関係

フロイトと芥川龍之介の関係は1925年以降が定説とされております。

1925年以降が定説なのかといいますと、「海のほとり」(1925年9月1日発行の「中央公論」にて掲載)や「死後」(1925年9月1日発行「改造」に掲載)で、フロイトや夢や夢分析について言及しているためでしょう。「海のほとり」においては、識域下の我、という無意識に関する表現も用いられておりますし。

フロイトの精神分析と近代文学の関係については、新田篤氏の「日本近代文学におけるフロイト精神分析の受容」に詳しく書かれております。精神分析学が、明治から大正、昭和の文学の分野においてどのように論じられ、影響を与えたかということについて書かれております。

芥川龍之介とフロイト(フロイド)の関係については、一柳廣孝の「消えた「フロイド」――芥川龍之介「死後」」に詳しく書かれております。

英文学者でもあり文芸評論家でもある厨川白村は自著「苦悶の象徴」(「改造」大正十年一月)の内で、精神分析の理論を礎にし、文学作品と夢の関係を論じております。一部を引用いたします。

文芸は純然たる生命の表現であり、外界の抑圧矯正から全く離れて、絶対自由の心境に立って個性を表現し得る唯一の世界である。

人生の苦悩が夢の場合に欲望が扮装し変装して出てくると同じ様に、文芸作品においては自然人生の色々な事象を身にまとって象徴化して現れる。

厨川はその「苦悶の象徴」の中で、「ヒステリーの研究」や「夢解釈」についても詳しく紹介しています。

「海のほとり」や「死後」が書かれた時分は、芥川龍之介の短い生涯の晩年にあたり、「侏儒の言葉」を「文藝春秋」に掲載したり、所謂「保吉もの」が書かれた時期でもあります。私小説に近しい作品を発表していた頃。

この頃の芥川龍之介は新しい表現方法や作品について考えていた時期でもありますので、フロイトの理論やそれに伴う文学との関係性を試そうとしたのかもしれませんね。

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