「滑走路」について

「小説の時代だけれど俺たちでなんとかしようぜ。絶対にな」

 という短歌を第一歌集に収めた歌人。この第一歌集が最後になってしまい、一人の読者として悲しく思う。同時に、この「滑走路」という歌集を、現代のプロレタリア文学と呼ばれてしまうのも悲しい。確かに、プロレタリア文学と呼ぶに値する歌集かもしれない。

屋上で珈琲を飲む かろうじておれにも職がある現在は

ぼくも非正規きみも非正規秋がきて牛丼屋にて牛丼を食べる

非正規という受け入れがたき現状を受け入れながら生きているのだ

箱詰めの社会の底で潰された蜜柑の如き若者がいる

今日も雑務で明日も雑務だろうけど朝になったら出かけてゆくよ

非正規の友よ、負けるな ぼくはただ書類の整理ばかりしている

シュレッダーのごみ捨てにゆく シュレッダーのごみは誰かが捨てねばならず

コピー用紙補充しながらこのままで終わるわけにはいかぬ人生

 非正規雇用や就職難を詠んだ若者の短歌。不安定な社会的立場を表現した短歌。プロレタリア文学足り得るものであろう。しかし、そう論じた時、他の短歌はどうなるのであろうか。

抑圧されたままでいるなよ ぼくたちは三十一文字で鳥になるのだ

歌一首湧いてくるなり柔らかい心の部位を刺激されつつ

思いつくたびに紙片に書きつける言葉よ羽化の直前であれ

ひとの数だけ歌がある不思議かな たった三十一文字なのに

 三十一文字という限られた文字数の中で、歌人は幾つもの思いを詠み上げている。その幾つもの歌人の思いに目を向けず、プロレタリア文学や非正規雇用にばかり注目されてしまうのは、時流のせいだろうか。この歌集を読み終え、僕は真っ先にこの歌集がプロレタリア文学という言葉にまとめられるのに憤りを覚えた。そして、その言葉に釣られ読んだ僕自身を恥じた。プロレタリア文学の側面もあるが、全てがプロレタリア文学ではないのである。全ての短歌が、社会に対する怨嗟や憎悪で形作られているわけではない。

 僕が敬愛する芥川龍之介は晩年に「河童」や「或阿呆の一生」や「歯車」を書いた。そうして、自殺した。そのこともあってか、芥川龍之介は厭世主義であるとか知識人の敗北だとか呼ばれることがあった。きっと現在も呼ばれていることであろう。しかし、彼の作品は「河童」や「歯車」等の晩年の作品が全てではない。初期を見れば「羅生門」や「鼻」があり、中期を見れば、「蜜柑」や「舞踏会」等、色々な作品を書いている。

 この歌集も同じである。歌人の様々な思いが収録されている。プロレタリア文学という言葉に惑わされ、この歌人の瑞々しい現代的な感覚に触れられなかった方に向けて、この歌人を様々な角度から見てほしい。僕は彼のようにあるいは彼等歌人のように短歌は詠めない。けれども、ある短歌を読み、それについて考えることで、

「小説の時代だけれど俺たちでなんとかしようぜ。絶対にな」

 という短歌を詠んだ歌人の助けになられるのではないかと思った。僕は、この歌集の中でこの短歌が一番良いと考えている。若々しく挑戦的で、何かしてやろうと思う歌人の思いが見える。この短歌は

ライバルであれども意見交換をしあえる無二の親友である

 という短歌の次に掲載されている。歌人か親友かどちらが言ったのか分からない。しかし、俺たちでなんとかしようぜ、という共になんとかしようと思いがある。何をどうするのかは分からない、それでもなんとかしたいという気持ちがある。短歌と向き合う歌人の姿、現代短歌という環境で歌壇でなんとかしようとする歌人。そういう芸術に対する歌人の思いに強く胸を打たれたのである。歌人ができることはきっと、多くはない。短歌を詠むということ以外にできることは多くないだろう。まだ若い、歌人ゆえに。僕はこの歌人の思いに共感したのである。けれども僕はこの歌人よりも若く、小説の畑で汗水を垂らしている人間である。歌人よりできることは多くない。それでも、なんとかしたく、こうしてこの歌集について書いている。

 社会や芸術についてだけではなく、

脳裏には恋の記憶の部屋がありそこにあなたが暮らし始めた

きみからのメールを待っているあいだ送信メール読み返したり

 というような恋に関する短歌も幾つも収録されている。また、在りし日のことについても詠んでおり、一冊の歌集から歌人の人生が見える。二十代の頃、三十代の頃。この歌人が歳を重ね、この社会や自らの人生についてどのような短歌を詠むのか、楽しみにしていた。けれども、もう二度と読めないのである。歌人が三十二歳という若さで、この世を去ったからである。


 

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