芥川龍之介の「藪の中」研究論文紹介

 先日、Twitterで、芥川龍之介「藪の中」の研究論文等があれば知りたいというツイートを見た。詳しく訊いてみると、作品の構造を中心に、作家論もということであった。芥川龍之介の研究論文は沢山あり、「藪の中」を中心に考えている論文も多くある。ここでは、

 「藪の中」の作品構造について

 「藪の中」を執筆している頃の芥川龍之介について

 の二点に絞り、研究論文や同世代の評論を繙いていこうと考えている。手元にある資料で行うため、最新の研究論文や学生の卒業論文までは追えないことをご了承いただきたい。何か取っ掛かりになれば、幸いである。

 まず「藪の中」という作品自体から見ていきたい。「藪の中」は、『今昔物語』巻第二十九「具妻行丹波国男於大江山被縛語」を主な材料としている。原典との関わりについては、長野嘗一氏「古典と近代作家 芥川龍之介」に詳しい。他の題材については、三嶋譲氏「作品と資料 芥川龍之介」も参考にされると良い。

 『今昔物語』等を題材として書かれた短編小説「藪の中」であるが、殺人と強姦という事件をめぐって四人の目撃者と三人の当事者の証言で形作られている。が、誰が、何故、どのように殺したのか、という真相を明らかにされていない。

 「藪の中」の主題に関して、吉田精一の「人生の真相がいかに把捉し得ぬものかを語ろうとした」という評論があり、現代のような「謎」を明らかにする、「真相」を明らかにするというものは多くなかった。

 それがこうして、「真相」を明らかにしようとする評論や論考が増えたのは、中村光夫・福田恆存・大岡昇平による論争が関わっている。中村光夫「『藪の中』から」で、構成を指摘し、男が自殺なのか他殺なのか分からず、もし他殺であれば誰が犯人なのか疑問が残る、と論じた。福田恆存「『藪の中』について」・「フィクションについて」で、「事実」があるのではなく、「心理的な事実」があると反論した。大岡昇平は二者の論に触れ、「芥川龍之介を弁護する 事実と小説の間」の中で、構成に無理なく、本作の主題を「一人の女を争う二人の男、三角関係と呼ばれる男女間の永遠の葛藤」と論じる。

 三者の論争から、いくつもの論考が書かれ、焦点は次第に殺人事件の真相に絞られるようになった。殺人事件の真相という部分については、今現在も不明である。

 こうしていくつもの論考や推理ゲームが発表されたが、「藪の中」という作品がどのような背景があり生まれたのか追っていきたい。「藪の中」は一九二二年『新潮』新年号に掲載された。この頃の芥川龍之介は、塚本文と結婚しており、専業作家として大阪毎日新聞社と社友契約を結び職業作家として活躍している。前年の一九二一年には、大阪毎日新聞社の特派員として中国視察を行っている。四ヶ月の視察は身体に堪えたのか、健康が優れない状態が続いている。

 小穴隆一「『藪の中』について」というエッセイを読むと、「『藪の中』は芥川みずから彼自身のこころの姿を写したものだという断定が口にでた。芥川が死んでもう二十四年目の今日になって、ようやく私はそれに気づいたらしい」とある。

 また、「『藪の中』は、まさしくその頃の芥川のこころのなかを、さりげなくひとごとのように描いている悲痛な作品と思われる」ともある。

 芥川龍之介と小穴の関係については割愛するが、一九二六年鵠沼にて、芥川は小穴に「自分が死んだあと、よくせきのことがあったら、これをあけてくれたまえ」と言って、白封筒を手渡した。

「自分は南部修太郎と一人の女を自分自身では全くその事を知らずに共有していた。それを恥じて死ぬ」

 とあった。この南部修太郎と一人の女については、瀧井孝作「純潔 『藪の中』をめぐりて」にも書かれている。当時芥川は女流歌人のS夫人とひそかな関係を持っており、彼女は芥川と通じたのち、さらに南部修太郎とも同等な関係を持っていた。また、このエッセイの中には、一九二一年の十二月、芥川の家に行くと、芥川は「君が前に話した材料、僕もこんど小説に作ってみたが、『藪の中』という題にして、新潮に出したよ」とある。

 前に話した材料とは、『今昔物語』の話だけではなく、瀧井が語った、「このような貞操の純潔の失われた夫婦は、この後どういう夫婦生活をして行くのか、この場合から尚お後での夫婦の心持が小説に書けると言って、私は、純潔の失った女、もはや純潔ではない女、これを主題にした小説を作りたい」というものである。

 こうした背景を持ち、書かれた「藪の中」である。

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