【東方】友達の病

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「友達の病」

人里の往来は、山の紅葉が全て枯れ、梢がその細い身を鋭い風に晒される頃には穏やかになり、本格的な冬を迎える頃になると人影が疎に見える程度になった。

多くの者は家で過ごすようになり、年の瀬に準備をしたり、年明けの話に花を咲かせることもあれば、普段ならば生じない暇をどうにかしようと語り合う。

貸本屋である鈴奈庵は、そういう暇をどう使えばいいか分からない人間に溢れ、多くの商店にはみられない多忙な日々を送っていた。冬に備えて綿の入った衣類に衣替えをした本居小鈴の額には汗が広がり、客の趣味に合う本を探すため狭い店内で動き回っていた。

日が暮れる頃になると、人の波は皆、あるべき家へと帰るためにさっと引き、鈴奈庵はようやく本来のというべき落ち着きを取り戻す。落ち着きを取り戻すが、小鈴の仕事は終わることはなく、貸した本の期日や期日までにちゃんと返されていているかということを確認しなければならず、暇にでも、と用意された茶はもう随分と冷たい。

稗田阿求が借りていた本を返しに来たのはそんな折りで、往来で人混みとすれ違ったのは、阿求は不思議そうに店の外に一瞬、見た。疲労困憊な小鈴を労うように声をかける。

阿求は阿求で忙しいのか、どうも顔色が良くないように見えるがきっと影のせいだろう。

「……大変そうね、眠れている?」

「眠れているけれど大変よ、代わってくれる? そっちは?」

「それじゃ、小鈴が私の代わりをする?」

もしかすれば阿求の方が忙しくないような気がして、小鈴は僅かに考え、苦い声で応じる。

「……良いかもしれないわね」

阿求は微笑を返し、本を返す。

「疲れてるわよ」

小鈴はここ最近の生活で慣れたのか、阿求から受け取った本を正しく返されているのか確認しながら溜め息を零す。

「そりゃ疲れるわよ。みんな、本を読むんだもん。去年や一昨年はそんなことなかったのよ?」

「良いことじゃない。多くの人間が本を読むようになって」

「そうかもしれないけれど……」

小鈴は釈然としない様子で口籠る。

人里で本を読む者が増えることが悪いとは思わない。貸本屋を商いとする鈴奈庵にとって、果たしてどこが悪いと口にできようが。小鈴は溜め息を零し、

「一気に増えすぎよ」

と、恨めしそうに呟く。人里で商いを営む家は、彼岸の時分だけで一年の利益に近い富を手にする所がある、と小鈴は聞かされたことがある。そういう家ならば彼岸が終われば閑古鳥が鳴くため、彼岸を乗り越えればそれで済む。

しかし鈴奈庵の人波は一昨日も昨日も今日も、絶えず一定の勢いを保っている。年の瀬が近づけば落ち着くのかもしれないが、それまで何度日が昇るのを数えればいいのだろうか。その日は、あまりに遠いような気がしてならない。

そもそも、小鈴が勝手に年の瀬が近づけば落ち着くであろう、と思い込んでいるだけで、本当にそうなるかは分からない。むしろ、多くの商店が年明けに備え早く店を閉めることを考えると、開いている店に顔を出される可能性は十二分にあるのではないだろうか。鈴奈庵も流石に早く暖簾を下ろしてくれると思うのが。

師走というのがこれほどまでに汗をかく時期になるとは思わなかった。唯一の救いがあるとすれば……。

「書かないでくれて助かったわ」

稗田阿求は幻想郷縁起を日々の生活の柱とする一方で、ミステリー作家アガサクリスQとして小説の執筆をしている。梅雨から夏にかけては何作の作品を書き上げ、一冊の本として貸本屋に並べていたのだが、この頃は全然そんな話を阿求の口から聞かない。

「……か、書く気ではいるのよ」

元々、幻想郷縁起を作る一方で書いていた作品群であるため、幻想郷縁起の編纂が立て込んでいるのであろうと思っているのだが、阿求の弱々しい返事を聞くとどうやら、そういう事だけではないらしい。

人里の人間が本を読む習慣が出来上がっている今の状況を考えると、アガサクリスQの役目は終わったとでも言いたいのだろうか。

しかしそれならば阿求は胸を張って答えるはずだろう。小鈴は忙殺された日常を取り戻すように、視線を泳がせる阿求に訊く。

小鈴の声はそれまであった疲労の色が消え、どこか軽やかで楽しげで期待に満ちている。

「何かあったの?」

阿求はどう答えればいいのか迷っているように口を閉ざし、顎に手を添え、ああでもないこうでもないと言いたげに首を左右に振る。

「そんなに勿体ぶること?」

阿求のその素振りが、アガサクリスQとしての活動ができていないことは、阿求自身の何かが起因であることを小鈴は見抜いた。自分が悪くない場合、阿求はすぐにそう答えてくれるから。

阿求の返答を待つ間、小鈴は彼女が最近借りていた本を思い出していた。幻想郷縁起を書くために必要な資料が多くあるが、そういう書籍に混じって外の世界から流れ着いた小説もある。それのどれもが、古く、小鈴が見慣れない地方の言葉を翻訳したミステリー小説。

阿求は諦めたように長い溜め息を吐き、白状した。

「書けないのよ」

「……え、その頭は飾り?」

「またサイン本でも用意したら忙しくなるわね」

「……冗談よ冗談」

阿求は小鈴よりも多くのことを知っている。読める言語は限られているが、それを差し引いても、あの小さな身体にはどれほどの知識が詰め込まれているのだろう。その阿求が、書けないというのは驚く。アガサクリスQの新作を求める声は多いので、今は書けない方が小鈴は嬉しいが。

「そんなに忙しいの?」

「あー、いや、あー、まぁ、いや、まぁ……そういうのじゃないのよ。作家の特有のやつというか……」

「そんな知っている前提で病気のことを言われても……」

「多くの作家は書ける時と書けない時があるのよ」

「……あんたもそれってこと?」

「かもしれないわね」

「それで解決策にミステリー小説を読んでみたけれど、まだ書けない、と?」

「……そうなのよ」

阿求の白い頬に青い影がかかる。

小鈴にはよく分からない感覚だった。それでも作家について書かれた本には、阿求が言ったような書けない時期というのは確かに存在する。その書けない時期は行き過ぎると作家に死を選ばせるということも。

そういう状態にいる、らしい。小鈴には分からない感覚だった。

だから、
「書けないなら書かなくて良いんじゃないの? 休んで、書けるようになったら書けばいいんじゃない?」

と、そうするのが当然であろうという調子が口から滑り落ちた。アガサクリスQの次回作を待っている者は多いが、何も作品を書き上げずに筆を置いているわけではない。作品を書き上げ、次作まで筆を置いている状態である。

ならば書けるようになるまで書かない方が自然なような気がする。が、阿求はそう思ってないようで、

「気持ちは分かるんだけどねぇ……」

と、柔らかく否定した。それから今まで言えなかったであろう思いを続ける。

「編纂の途中で絶えず頭の片隅にあるのよ。次はどういう小説を書けばいいか、って。でも、私は小説家ではないのだし、作品を途中で投げ出したわけではないし、書かなくてもいいじゃない? 小説家の真似事はやめて、編纂に集中する。それでこれまでの日常が戻ってくる。それで良い。でも、頭の片隅には薄く普く、次の小説の話……」

小鈴は阿求の悩みがよく分からなかった。小鈴は阿求のように一生を捧げて行わなければならない役目があるわけではないし、ミステリー小説を書いたことはない。阿求の悩みを解決できるような人間ではない。しかし、小鈴は阿求ほどではないが多くの本を読み、貸本屋の看板娘として阿求の数少ない友達である。それに、アガサクリスQという小説家を生み出した一人でもある。

小鈴は少なからず責任というのも感じていた。しかし小鈴は何かを生み出すような行為をしたことがなく、彼女等の書いた小説で商いをしているだけである。

だから、小鈴には、阿求の言う悩みの全てが分からない。分かろうと努めるために、同じように何かを書くほどの暇が、今はない。年の瀬を迎え、新い年を迎えても、その暇が生じるか分からない。もしかすれば春になっても……。

小鈴は悩み阿求に出せる助け舟は、頼りないものだった。しかし、確かな自信があった。

「小説じゃなくても良いんじゃないの」

阿求は呆れたように言い放つ。自分自身のことを思ってくれての発言なので、落ち着いた顔色をしているがその眉間には微かに皺が見える。

「あのね、アガサクリスQは小説家なのよ。ミステリー作家」

「分かってるわよ、だからこそよ」

「だからこそ?」

阿求は小鈴の発言の真意が見えないのか、急かすように訊く。小鈴は焦ることなく、淀みなく阿求に教える。

「ミステリー作家が何を考え書いているのか。気になる人は多いのよ。そこで書けないことに悩んでいることも書いてしまえば、一石二鳥じゃない」

「何が一石二鳥なのよ」

「この作家も苦労して小説を書いているんだなぁ……ってなるでしょう。そうして、だから続きが出るまで待とう。他の読者はこう思うかもしれないわね、だったら次回作が出ないのは仕方ない、と」

「……甘くない?」

「そう? 本を読む習慣がついたのなら、おかしくないと思うわよ私は」

「楽天家ね」

「悲観主義者よりは良いと思うわ。それで、どうする?」

「可能性はある……かしら?」

独り言のように、阿求は言った。

春になっても、鈴奈庵は人波に襲われていた。そこにはアガサクリスQのミステリー小説ではない新作が並んでいたから。〈了〉


 

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