花瓶から はらはら零れる 梅の花
タイルに落ちる 水滴のよう
一月の下旬から二月一杯、忙しかった。三月を迎え、ようやく少しは落ち着ける可能性がありそう。
気づけば、梅の花が見えるようになったり、雨で零れ落ちたりしていた。陽の光も幾分か暖かくなり、風は心持ち穏やかになっていた。
前回の随筆を書いたのが、凡そ一カ月前。前々回の随筆を書いたのが、凡そ二カ月前。月に一度程度の更新になりそうなのが、怖いところではあるけれども、それが自分と随筆を書くという行為の距離感なのかもしれない。
あまりに久し振り過ぎて、どういう筆致で書いていたのか思い出すところから始めなければならない。何本か随筆を読み返すと、敬体と常体が混ざっている。最初の随筆は常体なので、今後は常体でいこうと思う。
仕事量自体に変化はなかったはずなのだけれど、どうも心身の部分で重たい何かを引きずっている感覚に苛まれていた。
この重たい何かは大体の場合、小説が思うように書けない苦しみやストレスから生み出され、酒に溺れる日々が続き、セルフネグレクトのように食事が疎かになり、コンビニで済ませ、不摂生へと名前に変わり、やがて全身の不調へと繋がる。
これでは良くないと思い立つことは何度もあるのだけれど、計画が続いたことはない。禁煙するぞ、ダイエットするぞ、と決意して、三日後や一週間後に同じ発言をしている時と同じであの時の感覚に陥る。
小説が思うように書けない要因は、また別の日に書く。ほぼ書き上げていて、後は細かいところを直したり、図を挿入する程度。
書き上げたのがこちら→「描写について今一度考えている話」
こうして考えて、言葉に起こして、自分の使う言葉と少し離れることで、課題を解決する糸口を見つけ出せると、生活は瞬く間に好転した。
湯船に浸かり、ゆっくりと物事を考えたりすることができている。ぼうっと半日程度過ごすこともできるようになっている。山の影を眺めたり、空を見上げたりという自然に目を向けるようになった。
好転して良い調子だったので、この状態を維持できるように生活を見直した。早起きをする、というようなものではない。
何にどれくらいお金を使っているのか把握するため、家計簿をつけるようにしたのだ。三月の一日から。表計算アプリを使用して、スマホでもPCでも付けられるようになっている。
自分の生活に足りないものは多くあるけれど、一番に足りなくなるのは、お金だ。貯蓄だ。
社会人として何年も生活しているけれど、今まで貯金らしい貯金をしたことはない。江戸っ子というわけではないけれど、宵越しの銭は持たない主義で、書籍や飲食や旅行などに使っていた。
こういう生活が悪いわけではないのだけれど、僕は去年や今年から、ひとり出版社の代表として動いている。小説を書きながら、長く続けていこうという気持ちはある。
となると、この主義は相性が悪い。
少しずつ貯金ができたら幸いである。
ゆとりや余裕を取り戻し、ゆっくりとした生活や暮らしを送れれば、またとない幸せである。