星のキャンバス

※本作はチャットGPTが出力したキャラクター・プロットをベースに、書き手が変更等を加えた物語です。

 

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PDFファイル版(文庫サイズ・縦書き)

 

「星のキャンバス」

晴れの日は、いつも天体を観に行く。大学の天文台を追い出されるのが、午後六時。夜が浅い時間。高いビル群の照明が眩しくて、星々や月が一番美しい時間には程遠い。

バックパックに望遠鏡や双眼鏡などと一緒にアウトドア用品も詰めて、秋の夜に備えて念の為の防寒着の用意も忘れない。夜が深くなった頃にバイクを走らせる。美しい星空に似合う、美味しいコーヒーを探し出すことも忘れない。

最近美しかった星空は、いつですかと尋ねられたら、八月十八日と即答できる。白鳥座やデネブが良く見えたのはもちろんのこと、白鳥座のカッパ流星群が見れたのも良かった。心が震えた。

この夏の中で最も美しかった。

美しいと思ったのは、私だけじゃなかった。専攻が同じ友達に誘われた、とある芸大の秋季作品展で、私はあの星々の輝きと夜とに再会した。観てほしい絵があると言われた意味を理解した。

開催中は、何度も足を運ぶほどに気に入っている。シャッターを切るのとは違う、一枚の絵としてキャンバスに切り取ったあの情熱的な絵を。肉眼で見たら、細い糸のような白鳥座カッパ流星群の動きも、しっかり描かれているあの油彩画。あの絵の作者もきっと星が好きなのだろうと思うと、自分のことのように嬉しくなる。

 

「あの」

「あっ、もう閉めちゃうですよ」

夜色のエプロンをつけたお店の人は、通りに置いていた看板をエレベーターへと運ぼうとしていた。お店の人は申しわけなさそうに教えてくれる。私は何か間違いを犯しているような気がして、時計に視線を落とす。

「……お持ち帰りは?」

「テイクアウトですか……? ちょっと聞いてきますね」

胸につけているネームプレートに、アルバイト・佐藤という字。佐藤さんは私の小さな声に大きな声と明るい笑顔を返して、看板と一緒にエレベーターに戻る。

私が川辺近くのビルの一角に入っているこのカフェを度々使うようになったのは、天体観測を行う地点から歩いて行けるということもあるけれど、それだけじゃない。コーヒーが美味しく飲めるだけでなく、二十二時を過ぎても営業しているところだ。

佐藤さんが言ったように、店内で過ごすのは無理だけど、持ち帰るだけなら、遅くまで営業してくれている。コンビニのコーヒーやチェーン店のコーヒーとは違う一味違うコーヒーが飲める。

エレベーターのドアが開くと、佐藤さんは朗らかな笑みを浮かべていた。

「どうぞ!」

と、私の手を取り、一緒に上まで。乗り込んだ時、綺麗に一本に結ばれた茶色の長い髪が揺れる。まだ外は暖かいのに、赤くなっている耳がはっきりと見えた。

私は全然そんなことを気にしていないのに、言い訳するように佐藤さんは言う。小さなエレベーターの中で聞こえていないと思うには難しい声量。

「いやぁ、ごめんなさい。私がいた時には、テイクアウトとかやってなくて。つい……。マスターも言ってくれれば良かったのに……」

どういう反応をすればいいのか分からなくて、相槌を打つように、はぁ……と返す。佐藤さんはお客さんである私に、そういう事情を話すべきではないと判断したようで、別のことを口にする。

「あ、何にされます?」

「ブラック、大きいサイズで」

「……今頃に飲んで、大丈夫です?」

コーヒーを頼んだ時とは思えない言葉に、私は困ったように佐藤さんを見返した。佐藤さんは大きな瞳を困ったように泳がせる。何か言葉を探しているようだった。エレベーターは目当ての階に着いて、佐藤さんがドアを開けてくれた。

店内は思っていたよりも暗かった。照明は多く吊るしてあるのに点いていないものが大半で、夜空に見える星のような明るさ。どこかに置いてある時計が動く音だけが聞こえる。

数人が座れるカウンターに、ソファ席が数席。カウンターの中には、困っているのか呆れているのかお客さんを迎える微笑と呼ぶには難しい笑みを浮かべている男性が一人。

先に入った佐藤さんを気に掛けることなく、いらっしゃいませ、と声をかけられる。

かつかつと佐藤さんは靴音を鳴らして、厨房へ入る。

「マスター、テイクアウトやってるって先に言ってくれないと困ります」

「……オーダーは聞いてますか?」

「ブラック、大きいやつで。本当に言ってました?」

「ノートにサインしてたのは、佐藤さんでしょう」

「……そうでしたっけ?」

「そうです」

マスターは立ち竦んでいる私に視線を移して、浮かべるのに慣れた微笑を顔に用意し、ドアの側に置いている丸椅子に腰掛けるように促してくれる。佐藤さんは他のテーブルの掃除の途中だったらしく、厨房から出てきて、すぐに掃除に取り掛かる。

マスターはすぐにブラックを用意してくれた。お熱くなっておりますので、という言葉も添えてくれる。佐藤さんに聞こえないように、先ほどのことを謝罪し、続けてこう言う。

「星は、見えますか?」

私はどう答えればいいのか分からず黙っていたけれど、この辺りではよく見えることに変わりはないので、頷いた。マスターは満足気に笑うと、またお待ちしております、と頭を下げる。遅れて、佐藤さんの明るい、ありがとうございました、という声が響いてきた。
南北を流れる川の岸辺にアウトドア用のチェアを置いて、身を沈める。

肉眼の先には、南の空が広がっている。ビル群の照明は光を落とし、山もビルも夜の空も区別がつかなくなっていて、一つ、また一つと星が見えてくる。

もっとバイクを走らせて、キャンプとかしても良かったかもしれないけど、夏は色々と大変だし、明日の講義とかのことを考えると億劫になる。

星を見上げる時間は静かで誰にも邪魔されず、孤独で、一人で星と向き合っているようで良かった。誰かのペースに合わせる必要もなく、ペースに合わせようと考える必要もなく、自由だ。私達の世界のことを微塵も気にかけず、とてつもなく長い時間。私達が触れることのできないほど遠い距離に存在している星々の光を、見ている。

今こうして眺めている以外の星の記憶が蘇る。八月十八日の星空。肉眼で見たはずのなのに、あの油彩画の方が遥かに熱を持って、私の頭の片隅にある。

夏の夜の、じっとりとした暑さを我慢して見上げた時とは違う。空調が整えられた館内で、昼間で、多くの人達と一緒のように各々が一人となって、好きなように絵を鑑賞していたあの時。

私があの絵に囚われているのは、きっと、あの絵を描いた人と私が同じ星空を眺めていたと知っているからだろう。そして、あの星空を記憶に留めるだけではなく、一枚の絵画として世に発表したことに対する熱意。

私は、あの絵の描き手に共感を覚えているのかもしれない。同じように眺めて、美しいと思った心を知りたい。

一生の間でもう見ることはない星空。もしもう一度観られたところで、一枚の油彩画としてこの世に残されるかどうかは、私には分からない。油彩画の筆を持ったことがない私には、あの絵の描き手のことなど分からない。

しかし、あの夜の一瞬に心を揺り動かされたことは確かだろう。そうじゃなければ、筆を執らない。一枚の油彩画として、世に残さない。
翌日の日が高い頃、私は秋季作品展へと足を運んでいた。展示されている絵は、前に見た時と変わりはない。一つ一つを見ながら、目当ての絵画に向けて胸が高鳴る。他に展示されている絵画と同じような大きさだけど、キャンバスへ切り取られた瞬間は、他の絵と違う。瞬間的な美、凝縮された光と闇の美しさが、あの絵には存在していた。

自分の心までもが、あの時々へと帰っていく感覚。郷愁という二文字、思い出という三文字で片付けるには、近すぎる過去。きっと私は、この絵画を見る度に、あの夜のことを思い出すのだろう。

じっと見ていると、背後から控えめな声をかけられた。

「あの」

「あ、済みません、邪魔しちゃいましたね……」

ちらっと後ろを見て、すぐに次の絵画を見に行こうとした。私の足が動いたのと、私の手が取られたのはほとんど同時だった。展示会で起こり得ない出来事に驚いて、振り向くと、昨日の夜に出会った人が立っていた。

茶色の長い髪に、大きな瞳。人懐っこい笑顔を浮かべている女の人。昨日の夜はアルバイト先の制服だったのに、今日は随分と真面目な格好をしている。腕には、案内係という腕章をつけている。

佐藤さんがいる。戸惑う私に、佐藤さんも戸惑いながらはっきりとした声で告げる。

「熱心にご覧になっていただきありがとうございます」

辺りに展示されている絵に視線を投げてみる。どこにも佐藤という名前は見当たらない。ぐるっと見渡した最後の絵、私が夢中になったあの夜の記憶を切り取った絵画に、

――佐藤あやか

という名前があった。

え、という私の悲鳴に似た叫び声は寸でのところで飲み込めた。佐藤さんは何かを言いたくて、うずうずしているようだった。私の手を取って、展示会を歩き回る。私と佐藤さんの足はどんどんと出口へと向かっていた。佐藤さんは途中で、案内係という腕章を近くの学生へと投げ渡して、

「私、この人に絵の説明しないといけないから」

と、早口で言う。

腕章を受け取った学生の抗議の声から逃げるように、佐藤さんの足取りはまた早くなる。弾んでいるかのような足取りは、早く展示会を抜け出そうとしているようだった。

流れるように展示会の絵達と別れながら、先を行く佐藤さんが教えてくれる。熱を帯びた声を潜めて。

「よく見に来る人がいるって教えてくれたから、見張ってた」

どういう言葉を返すのが適切なのか分からなかったけど、展示会では似つかわしくない言葉を拾い上げる。

「見張り?」

「うん、そう、見張り。出会ってみたかった。私の描いた絵を何度も見に来てくれる人と」

佐藤さんと私は展示会場を出た。

近くのカフェに移って、佐藤さんは笑顔を浮かべて改めて名乗ってくれる。

「佐藤あやかです。はじめまして……? は、ちょっと変か。もう知っているかもしれないけど、あの油絵の作者。油画専攻の三年。あなたは?」

どう名乗ればいいか悩んだけど、佐藤さんの自己紹介にあやかることにした。

「高橋はるかです。天文学部専攻の三年です」

「はるか……さん? 二十一?」

「二十一歳です」

「じゃ、はるかだ。いいよ、敬語なくて。同い年なんだし」

落ちてきそうだった沈黙は、店員さんが二人分のコーヒーを持ってきてくれたお陰でどうにかなった。

佐藤さんは、何かに気づいたように声を上げる。

「ん? 天文学部?」

「厳密に言いますと、理学部天文学科です」

「うちになくない?」

私に訊かれても分からないので、私は私なりに自分の立場を説明する。

「部外者です」

奇妙な沈黙を味わっていると、佐藤さんが首を傾げながら訊いてくる。

「……えっと、色々と訊いていいです?」

「構いませんけど……」

「はるかは、うちの学生じゃないってことだよね?」

「そうです」

「学生の秋季作品展に足を運んでくれてるよね?」

「そうですね」

「何度も来てるよね」

「そうですね」

「……どうして?」

「どうして?」

足を運ぶ理由を訊かれているのだろう。私は正直に答えた。目の前にその絵を描いた作者がいようとも構わず。

「八月十八日の夜空があるので」

それ以外に理由はなかった。もしあの展示会にあの絵がなければ、私は一回だけ足を運んで、もう一度も行くことはなかったと確信している。

佐藤さんは続けて、問いかけてくる。

「どうして?」

今度は私が訊く番になった。

「どうして、というのは?」

佐藤さんは指を折りながら教えてくれる。

「油画専攻でも美術に明るいわけでもなく、展示会に知り合いがいるわけでもなく、外部の学生が連日、同じ絵を見るために足を運ぶ理由」

佐藤さんは一度そこで言葉を切って、んー、と悩んでいる素振りを見せるように呟いて、堪えていた気持ちを吐き出すように慎重に言う。

「何か間違いでもあった?」

私は笑顔を浮かべて、答える。

「いえ、ありませんでした。ただ、嬉しかったんです。あの瞬間を、あの星の流れを、一枚の絵に残してくれる方がいるってことが。……きっと、確認したかったんだと思います」

間違いとは方向性が違うけれど、描き手の心を騒々しくさせる一言だったらしく、佐藤さんは目敏く言葉にする。

「確認?」

確認という言葉は、もしかすれば大袈裟だったかもしれない。でも、私はあの絵を見た時、真っ先に思った。

「私だけじゃなかった」

そう、思った。

「私だけじゃなかった……」

佐藤さんは私と同じ言葉を繰り返す。納得も理解もできていない様子を顔一杯に露わにする。どういうこと? という一言が佐藤さんの唇から零れなかったのは、あの絵の作者として譲れないものがあったからかもしれない。

佐藤さんの疑問に答えるのは、私の役目であるように思われた。

「佐藤さんは、あの絵を描いた時、どうしましたか?」

「どうって……描いている時のこと?」

「そうです」

「何を描けば良いのか悩んでて、多分アトリエに籠ってるのが悪いのかなぁって思って、ぶらぶらしてたのよ。そしたら、観れて、これだ! って」

「あの時、あの瞬間、星を見ている人が、私以外にもいるって分かりました。だから、私は、あの絵を見る度に思い出します」

「もしかして、褒められている?」

「……写実的とかそういう表現の方が良かったでしょうか?」

佐藤さんの顔が露骨に曇った。

絵を描くことにプライドを持っている人が、言う。

「それはちょっと、好きじゃないかな。写真も映像もある現代に、わざわざ油画を専攻している人間に向けていい言葉じゃないと思う」

「……済みません」

「あ、いや、別に、はるかに怒っているわけじゃないのよ。ただ、ほら、言われるからさ。つい……」

「でもきっと、だからなんだと思います」

佐藤さんは楽しげに笑う。

「はるかは、変わってるね」

「そうでしょうか?」

「うん、普通だったら、そういう言葉の繋げ方しないと思う」

私が友達が少ない理由を、言い当てられたような気がした。

「済みません……」

「良いよ全然。それで一体、何が、だからなの?」

「写真を撮れる、映像にも残せる現代に、絵で残すという選択を採られたこと。あの瞬間には、それほどの価値があったと感じる人がいる。同じ価値観を持っている人がいる。それを確認できたので、良かったです」

佐藤さんは納得したらしく、誤魔化すように首筋に触れ、長い茶色の髪をなでる。話を自分のことから逸らすように、照れ臭く笑う。

「はるかは、星が好きなんだね」

私はどう答えたらいいのか分からず、俯いて黙った。ブラックで全然飲めるのに、マドラーのスプーンでぐるぐるとかき混ぜる。

晴れの日は星や月を観に行くので、星が好きかと訊かれたり、思われることが多い。天文学を専攻していることもあるし、そう思われることは不思議じゃないと私自身でも思っている。好きなことを学んでいる、と。

でも本当は、と思う私がいる。好きか嫌いかという訊かれ方をするとどう答えていいのか分からなくなる。多分好きなのかもしれないし、もしかすれば嫌いなのかもしれない。

星を観るという行為は、孤独であることを肯定してくれる。肉眼で観ても、望遠鏡や双眼鏡で覗くことがあったとしても、一人であることに後ろ指を指されることはない。

昔から友達を作るのが得意ではなかった私にとって、夜に一人で星を見上げるという行為は、一人であることを肯定してくれるや優しさに満ちていた。そうして気づいたら、大学で物理と数学を学んで、天文学を専攻している。

好きか嫌いかで訊かれると反応に困る。

黙っていると、佐藤さんの顔は驚くほど優しい顔に変わっていた。慰めるように、沈黙を肯定してくれる。

「良いよ、無理に答えてなくて」

「済みません」

「謝る必要も……いや、うん、こっちこそ変なことを訊いてごめんね」

「佐藤さんは、好きなんですか? 絵を描くこと」

「嫌いかな」

「え?」

思ってもいなかった返事に、動揺がそのまま音になった。

「あ、いや、今は、ね」

慌てて弁明する佐藤さんの声が遠くに聞こえる。

佐藤さんが、私が星が好きだと思い込んでいたように、私も無意識の間に佐藤さんが絵を描くことを好きだと思っていた。自分が美しいと思ったものを、美しいと思ったままキャンバスに描けるという才能を持っていて、佐藤さんは嫌いだと言ってのける。

遠慮が強く出て、黙り込んでしまいがちな私にはできない。

「はるかは、卒論どうする?」

話題が突然現実味を帯びたものになり、私は反射的に正直な気持ちを口にする。

「やめませんか、その話は」

三年の今頃から考えることではないと思うのだけれど、もう少し経てば頭の大部分を占めることになるので、片隅には絶えず存在している。院進を考えている私からしてみれば、勉強に割く時間も必要になるので、どういうふうに動いて時間を作ればいいのか分からない。先のことを考えると憂鬱になる。星を観続けることができれば良かったのだけれど、勉強も必要になってしまうのは苦しいものがある。

私に卒論があるように、佐藤さんには卒制がある。私は大学に入学してからの四年間で学んだことの成果を論文にまとめる必要があるけれど、佐藤さんの場合は少し違うらしい。

「ね、そういうこと。だから、今は嫌い。私の二十一年を否定されてる感じ」

佐藤さんは天井を見上げる。長い茶色の髪は、箒星のように白い首筋を流れる。

「星は良いね」

どういう意味の言葉なのか分からなかった。期待なのか賞賛なのか憧憬なのか。あるいはもっと別の何かなのか。

「絵も良かったです」

星を観ることと絵を描くことは似ている、と私は直感で分かった。

この人と私は、同じだ。

私と佐藤さんは独りぼっちだ。

私が独りで星を観ていた時、佐藤さんはキャンバスに向き合っていた。私が望遠鏡や双眼鏡を手にしている時、佐藤さんは絵筆を手にしている。

夜空に輝く星が美しいのは、何も八月十八日だけではない。佐藤さんの孤独に凝り固まった心に光を射し込むことができるのは、流星群だけじゃない。

私は自分でも意外だと思いながら、意を決して訊いた。

「佐藤さん、今夜空いてますか?」

佐藤さんは意外そうに尋ね返してくる。

「今夜?」

「今夜です」

「十八時とかなら、空いてるけど」

「でしたら、迎えに行きます。あのカフェで待っていてください。星を観に行きましょう」
お互いにコーヒーをテイクアウトして、川辺にアウトドア用のチェアを置いて、南の空に目を向ける。まだビル群の光が消えてなくて眩しく感じる。普段より見える星の数は少ないけれど、疎らに見える。
佐藤さんにチェアへと座ってもらい、私はその隣に腰を下ろして、南の空を見上げる。秋の夜空は空気が澄んでいて、ぽつんとオレンジ色の一等星が見える。秋の夜空に輝く唯一の一等星。

「あれは何?」

佐藤さんはその星を指差し、訊く。私は簡潔に答える。

「南の魚座のフォーマルハウトです」

「フォーマルハウト?」

「星の名前です」

私達の間に沈黙が満ちる。私から誘ったのに、沈黙を生み出して申しわけない気持ちになる。何か絵のきっかけになれば良いと思ったけど、私にできることはもうなかった。でも、夜空を見上げる佐藤さんの横顔を見たり、星を眺めたりする。

意図的に普段と同じように、秋の夜を過ごす。今、佐藤さんは絵に必要な何かを集めていると信じることしかできない。

次に佐藤さんが口を開いたのは、随分と時間が経ってからのように思えた。

「はるかは、優しいんだね」

佐藤さんは顔は星空を離れ、私の顔に移っている。人懐っこい笑みは浮かべておらず、私に寄り添うように柔らかな微笑を浮かべる佐藤さんに、自分の頬が熱くなるのが分かる。

かけられたことのない言葉を、そのまま佐藤さんに返す。

「優しい?」

「うん」

佐藤さんは表情一つ変えることなく、頷く。私は全然自分のどこに優しさがあるのか分からなかった。優しいとは違う、自分勝手な気持ちを懐いていたから。否定したい気持ちはあったけど、佐藤さんの顔を見ているとそういう言葉を並べてしまうのは、失礼なように思えた。

「そうでしょうか……?」

「分かったんだ」

言い切った佐藤さんから、話は全然違うところに転がっていく気配がある。私は自分の内面のことを深掘りされない安心を覚え、佐藤さんを促す。

「分かった? 何をですか?」

「私達は似てる……いや、同じなんだと思う」

何が、とは問う必要はなかった。私の反応は、佐藤さんの想定している反応ではなかったようで、佐藤さんは楽しげに笑う。分かります、という私の言葉が、私の顔に浮かんでいたのか、佐藤さんはからかうように言う。

「分かるんだ」

いつまでも無言でいるわけにはいけないように思えて、私は口を開けた。佐藤さんの気持ちを代弁するように。

「絵を描くのも、星を観るのも独りですから」

「はるかの良いところは、一人よりも独りでいさせてくれるところだね」

「……褒めてます?」

「うん、とっても褒めてる」

佐藤さんはチェアに深くもたれかかって、紺色の空を眺める。

「……悩んでたんだ」

「悩み、ですか」

「うん」

「私が聞いても良いんでしょうか?」

「はるかだから話してるの」

怒られたような気がした。

私が悩みの内容を聞かなくても、佐藤さんはすぐに打ち明けてくれた。

「ふいに切れちゃったんだよね。描き続けて、描き続けて、一体何のためにこうして描いているんだろう、って思ちゃった。我に帰った、というか……モチベーションの管理に失敗したわけ」

悩んでいた、と佐藤さんは過去形を使ったけど、きっと今もそうなんだと思う。

私には分かった。分かります、と言っても良かったのかもしれないけど、私は黙っていた。

独りでキャンバスに向き合い、作品を一つ作り上げる難しさは私には分からないけれど、独りで何かを続ける難しさは、私は知っている。

曇りの日や雨の日に、今日は星を観に行けない、と心のどこかで安心する自分を発見して自己嫌悪に陥るような。好きなのに、好きだったのに、やらなくていい理由を見つけ出して安心した、あの時の感覚。

佐藤さんの味わっている孤独と私の味わっている孤独は、同じ孤独の二文字で表現できるけれど、別物だ。一概に、分かるとまとめていい孤独じゃない。

でも、私と佐藤さんは同じだ。

だから、分かる。

星を観て、救われた。だから、私達はこうして星が見える川辺に共にいる。

「あの絵は、偶然の産物。でも、偶然の産物かもしれないけど……安心してるんだ」

「安心」

私はすぐに同じ言葉を繰り返した。それが、佐藤さんの本音のような気配がしたから。

「うん、私の絵は、人の心を動かす価値があるんだって。はるかが観てくれて、良かった」

「私も、佐藤さんが星を観てくれて良かったです」

佐藤さんは恥ずかしそうに笑った。

「あやかで良いよ」

私がそう呼ぶのが難しいと言ってから気づいた佐藤さんは、言い方を変えた。

「あやかって呼んでほしい。友達ってそういうもんじゃん?」

佐藤さんのように友達が多い生活ではなかったから、私には分からない。突然そう言われても、困る。でも、友達の希望は可能な限り叶えた方が良いのかもしれない。

「……あやか、さん」

佐藤さんは、はっはと笑って、私の最大限の勇気を認めてくれた。

「うん、それでも良いね。これからも、よろしくね、はるか」〈了〉


 

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