東方歌物語「はなひらく」

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季節を問わず、ひまわりが咲き誇っているのだろうと思ったメディスン・メランコリーの目の前にひろがったのは、花らしい花が一つもひらいていない、ちいさな家の側に植えられている木も枝を震わせるだけのつぼみすら見えない夜明けだった。
せっかく手紙を書いて訪れたというのに歓迎されず、肩をいからせ、風見幽香の家に入るとカーテンは閉ざされままになっており夜のようにくらく、丸テーブルに置いてある照明は満月のように艶めき、ペーパーナイフや封の切られた真白な封筒や梅をあしらった便箋やペンにうすい影を落としている。
手紙を読まれて嬉しかったが、主人がベッドで寝息を立てている状況がいっそう腹立たしくなり、大声を浴びせたものの、主人はかすかに色のある声を上げるだけで動く気配を見せず、いよいよ叩き起こすように勢いよく布団の上へ飛び乗れば、幽香はにぶい声を上げ、ようやくうっすらと目を開ける。
自慢の緑髪のいたるところが跳ね、長い前髪の隙間から漏れ出るはげしい眼光に、メディスンは瞬時に飛び降り、見上げることしかできない。
「なに?」
ひくい声に問われ、メディスンは背筋を伸ばし、機械ように首を左右に振り、この時になって、おとなしく幽香の起きるのは待っていればよかったと思いはじめたのだが、事を思い返すと幽香の返事が遅いのが悪いのか、アリスと相談した上でここにやってきてしまったためメディスンが悪いのか、それともアリスが悪いのか全然わからなくなり、胸が嫌に高鳴り、鼻の奥がいたい。
「……そう怯えなくていいじゃない」
微笑されたところで、メディスンの恐怖は治まらず、機嫌が治るまで待ち続けることしかできない、辛うじて口の端から零れたのは、自身の非を認めるような一言であった。
「ご、ごめんなさい。でも、私は悪くないよ」
「どういうこと?」
「だって、私、手紙書いたもん……」
「だからって、こんな時間に来ることないじゃない」
「でも、アリスが」
「アリスが?」
「はやく行けって」
「時間のことじゃないと思うのだけど?」
「え?」
「ばかね」
「アリスが、はやく行った方が幽香もうれしいって言っていたから……」
「本当?」
「ほんとだよ」
部屋はしんとなったが、さきほどのようにおもくるしいものではなく、幽香がカーテンを開けたり、着替えたり、二人分の紅茶を淹れたりとちいさいながらも立て続けに音が鳴り、メディスンはこの時になったようやく侵入者から客人に格上げされたように思え、たかい椅子に腰掛け、幽香を待っているとテーブルの上に広げられた便箋が目に入り、足をぶらぶらと振りながら、幽香は一体どんな返事を書こうとしていたのだろう、アリスと違い、拝啓も時節の挨拶も近況もかしこもなく、ただ、手紙を読んだこととメディスンの来訪を待っていることだけ、そんなシンプルな手紙になることだろうと思っていた。
幽香らしいと思う一方で、メディスンとの間に沢山の言葉は不要と思われ、色々と声をかけてくれたアリスと違うことが何だかくやしくなり、紅茶や軽食を用意する幽香の背中に、構ってもらえるように声をかけた。
「幽香の話をしたよ」
幽香はフライパンを火にかけ、パンを焼くとメディスンに目を遣る。
「誰と?」
「アリスと。この前の春のこと覚えてる?」
「……春? 何かあったかしら」
「もう、幽香はおばあちゃんになっちゃったの?」
幽香はパンの焼き色を気にかけ、少し笑う。
「忘れることもあるのよ」
「去年のことだよ?」
「色々あると忘れてしまうのよ」
「色々って?」
「色々よ、それで去年はどこに行ったの?」
「一緒に、山登りしたじゃない」
「登ったわねぇ、……今年も行くつもりなの?」
「もういいよ」
「どうして?」
「さむいし、疲れるし、天狗とか河童とかこわいし……」
「メディスンもまだまだね」
「だって、スーさんの毒が効かないなんてはじめてだったんだもん」
昨年の春、メディスンは幽香の家にやって来た、朝焼けを見に行きたいので、どこか連れていってと頼んだところ、幽香は山に登りましょうと答え、空を飛べるのにどうしてわざわざ山を登らなければならないのかと思ったが、幽香と共に出掛けられるのならばどこでもよかったため、山を登ることにしたが、道中、天狗に敵と間違われるわ、河童には通行料を脅されるわ、山頂はまだ冬のように凍えるわ、といくつもの苦難に襲われたため、幽香から今年も登りましょうかと問われれば、メディスンは強く拒否する気だ。
幻想郷の四季と花についてくわしい幽香は、メディスンが後ろをついて歩くと何気ない調子で道端に咲く花や木のことを話してくれた、メディスンは他のことも知りたく今年は山ではないところに連れていってもらいたく、アリスと話し真っ先にやってきたのである。
「それ、しまっておいてちょうだい」
「枕元でいいのー?」
「ええ」
メディスンがテーブルの上の物をしまい、戻ってきた時、幽香もキッチンから二人分の温かい紅茶、サラダ、クロックムッシュを持ってきたところで、幽香の手料理に頬をゆるめ、熱々のたまごやチーズのつまったクロックムッシュにかぶりつく。
「やっぱり、幽香の作るのは美味しいね」
「褒めても何も出ないわよ」
幽香は頬に笑みを浮かべ、紅茶用の角砂糖をメディスンの方へ寄せた。
「アリスの所で色々な紅茶を飲んだからお砂糖がなくてもへーきよ」
甘い香りの紅茶やミルクティーを好むアリスとストレートを好む幽香とでは、茶葉や種類もちがい、メディスンはわずかに両眉を寄せ、角砂糖を溶かそうとしたものの、幽香にそう言ってしまったため、すぐに入れてしまうのははずかしく、幽香が一つだけ角砂糖を入れた物珍しく見上げる。
「たまにはちょっと甘いのも飲みたくなる時があるのよ」
「たまには……そ、そうだよね」
すぐに二つの角砂糖を入れると、甘く飲みやすい、いつもの紅茶になり、メディスンは目的をを思い出した。
「今年はどこへ連れて行ってくれるの?」
「春は花のことがあるからだめ」
「さっきまでの流れは、今年は山じゃなくて他のところに連れていってくれる流れじゃない?」
「どうしてそうなるの?」
「え?」
「誰も今年の春の話と断定してなかったでしょ? 早とちりね」
「いじわる」
「好きに言いなさい」
「いじわる、おに、あくま」
「そんなことを言う子には、おかわりあげないわよ?」
「怒ってるじゃん!」
「冗談よ、じょーだん」
「ほんと?」
「ええ」
そんなことを話していると幽香はてばやく朝食を食べ終え、二杯目の紅茶をメディスンのティーカップに注ぎ、立ち上がり、窓を開け、花畑を見た。すこしおくれてメディスンも朝食を食べ終え、窓枠に手をかけ背伸びをして、幽香の隣に顔を出す。
澄んだ日が当たっても窓の側の枝の先には葉一つなく、花畑には花一つ見えず、影が落ちる土や小高い丘しかあらず、目を凝らすと花畑の所々にかすかながら雪が残っている、 これでは幽香がいくら環境を整えたところで、つぼみがひらくことはない、メディスンは不安そうに幽香の顔を盗み見ると、それまで何事にも動じなかった幽香の顔が引き締まっており、これは何かあるのだろうとメディスンも強張らせたが、指先にぶつかるつめたい風に堪らず幽香のそばを離れ、まだぬくもりが残っているティーカップを包むこむように持つ。
「……冷えるわね」
幽香は窓を閉めた、そこから一歩を動かず悔しそうに花畑を眺めている、幽香の花畑は一つの花が山のように咲くこともあれば、色彩ゆたかな花畑がひろがることもあり、しろい雪のような花々に迎えられたのはメディスンの記憶に新しい、今年もそんなふうにメディスンを迎える気だったのだろうと振り向いた幽香の顔から見て取れる。
「ちょっと手伝ってくれない? 花の調子が良くないみたいなのよ」
「調子……?」
「手伝ってくれたら、夏にお礼でもするから」
「おれい?」
「ええ、駄目かしら?」
「でも、幽香、そう言って、約束破ったじゃん」
「今度は覚えておくから大丈夫よ」
「ほんと?」
納得がいかず渋るように幽香を見ていると、幽香はメディスンに歩み寄り、丁寧にしゃがみ、視線を合わせ、メディスンの小指と己の小指との絡めた。
「約束するわ」
「そこまでするなら……」
「ありがとう、優しいのね」
「べ、べつに、おれいのためじゃないから、幽香がそんな顔するから、手伝うだけだから!」
急いで準備をし外へ出た幽香を追いかけるようにメディスンも家を飛び出ると、幽香は膝を折り、雪をしずかに払い、また歩き、適当な所の雪を払う……。
「幽香だったら、能力でできるんじゃないの?」
「だめよ」
「どうして?」
「自然の内に咲くからいいのよ。咲く花があれば、咲かない花もある。土を変えたり、水をあげる時間を変えたり、そういう一手間があるから、いいのよ」
「でも不便じゃん」
「不便でもいいのよ。私もメディも長く生きるんだから、ゆっくりすればいいじゃない」
「そういうものなの?」
「そういうものよ。メディ、あっちを見てきてちょうだい」
同じような風景が続いていると思ったが、そこには、ちいさなあかい花が、藁を編んだ屋根の下で、風に揺れ震えていた、きっと幽香が用意したものなのだろう。
メディスンは大きな声で幽香を呼んだ後、つめたい手を引き、走りだした、幽香の戸惑う声に耳を傾けず、メディスンは笑顔で走り、花の前へ幽香を案内する。幽香は震える手でやさしく雪を払い、花弁に触れ、メディスンを一瞥した後、こういう歌を詠んだ。
――雪ふれば見わたすもののなにもなく待ち人のぞむ紅椿かな――
メディスンは歌についてふかい知識をもっていなかったため、幽香の言葉がどういう意味をもっているのか、どうしてそんなことを口にしたのかということはまったく分からなかったが、そういう歌を詠われて全然悪い気はせず、むしろ、心のどこかで胸を張っている自分自身の見出していた。
メディスンはあかい花に微笑を送り、花畑を歩きまわり、きよらかながらわずかに刺のある朝の空気を胸一杯に吸い込み、幽香に声をかけた。
「幽香、探しに行こーよー」
幽香はひとりぼっちの花との別れを惜しむようにしばらく動かず、朗らかに花を見ている。メディスンはまるで自分自身が偉業を成し遂げたようなうれしい錯覚を覚え、幽香の元まで走っていった。
「幽香、幽香、どういう意味?」
「何が?」
「さっきの」
「いずれ分かるわ」
「今、知りたい」
「嫌よ」
「幽香だけ分かってるなんてずるいー」
「いずれ分かる時が来るわよ」
「そういう話じゃないの」
「すぐに分かろうとしても、頭で分かっているだけなの。もったいないわ」
「むずかしいのだめ」
「今は難しいかもしれないけれど、夏がきて、秋が訪れて、冬に包まれて、また春が来た時、メディも分かるわ」
「一年も先のこと言われても……」
メディスンは人形から妖怪になった存在であるゆえ、その在り方は幽香やアリスといった存在とは異なる、年に一度のアリスの検査が必要になったのも、そういう在り方が関わっており、その在り方とメディスンの記憶について関係があるかはメディスン自身はもちろんのこと、幽香もアリスも、そして八雲紫にも分からないことであろう。
メディスンの表情が沈んだ時、幽香は彼女を励ますように手を取り、朝日で輝く雪解けの花畑を歩きながら言う。
「心配しなくて大丈夫よ。時が移ろい、生じ、消えるものは確かにあるわ。でも、そういう流れでも消えないものがあるのよ」
「……むずかしい」
「私もアリスもいるから、メディがちょっと忘れていも平気よ。今もそうだったでしょ?」
メディスンは心の奥でまるで火が灯ったようにあつくなった、幽香の手をつよく握り、二人はしばらくの間、花畑を歩きまわり、春の芽吹きを探すことにしたのだった。

梅雨が明け、花畑に降り注ぐ光はいっそうつよく、窓の近くで鳴く蝉は夏の到来をよろこぶようにかんだかく鳴き、メディスンは朝から一歩も外を出る気が訪れず、幽香の家に引きこもり、少しでも冷たいところを求めるように、床を寝転がる。
幽香は春のように積極的に出かけるのではなく、すだれの掛かった窓から花畑へ視線を投げ、何も異変がないことを知ると、河童に冷やしきゅうりと引き換えに作ってもらった扇風機の前に戻り、氷の溶けたアイスティーをすすり、適当に本を読んだり、メディスンと同じようにごろごろしているため、メディスンは気軽に出かけようとは言えず、涼を求めるように扇風機の前へ割り込もうとしたが、
「寄らないで」
という幽香の拒絶と同時におおきな団扇を渡され、メディスンはついに幽香の背中に荒らげた声をぶつけた。
「ひまだよ! ひまだよ、幽香。ひーまー、どこか行こうよー。……ねぇ、幽香、聞いてる?」
「聞こないわ」
「ひまだよ、ひーまー」
「そ、私は暇じゃないわ」
「客人をもてなさい主人ってどうなの?」
「冷たい紅茶も、軽食も出したじゃない」
「お客さんがひまって言っているんだよ?」
「私はメイドでもバトラーでもないのよ」
「じゃ、幽香は何なの?」
「花を見守る妖怪よ」
「夏の花でも見に行こうよ」
「そこから見えるじゃない」
「ひまわりだけじゃない……」
「文句ある?」
「あるよ、とってもあるよ! ひまわりだけじゃないでしょ?」
「そうね」
「見に行こうよー、ねー、ゆーかー」
「そうね、だったら、メディはどんな花が見たいのよ?」
花にくわしくないメディスンは言葉に詰まり、幽香にすずしく笑われ、春のように出掛けられると思ってい期待を大きく裏切れ、怒りをしずめるかのように氷の溶けたアイスティーを飲み干し、夏にまけた幽香の腰に飛びついた。
「ちょ、ちょっと! 何よ!」
扇風機の風で自慢のやわらかい髪が乱れようとも、肌にまとわりつくあつさですぐに離れたくなったが、幽香が出かけようと言うまで離れまいと幽香の腰に手を回す、幽香はメディスンが思っていたよりもずっとずっと冷たく、心地良かったが、あまりの体温の違いに一瞬、幽香を見上げると、底冷えするような声が降ってくる。
「離れなさいよ」
「出掛けようよ」
「嫌よ」
「じゃ、離れない」
「何でよ」
「何でも」
「何でもじゃないでしょ」
「じゃ、内緒」
扇風機の羽音だけが広がる家、幽香はこれ以上メディスンに触れられ、暑苦しいのが続くのが嫌なのか、
「仕方ないわね……」
と、ようやく音を上げ、そのまま流れるように、夜になったら、とちいさな声で付け加える、メディスンは目を輝かせる。
「ほんとだよ! 絶対だからね! やっぱりやーめたとかなしだよ!」
「はいはい」
「はいはいじゃない!」
「元気ねぇ」
「ねぇねぇ幽香、何がいるの? 準備しよう、準備」
「準備?」
「そう、準備」
「まだしなくても平気よ」
「準備は大事なんだよ。アリスも言ってた。準備や設計の段階でイメージできてないと、いくらよくても後に活かせないって。何でも、記憶はあやふやだからだって」
「アリスも熱心ねぇ……」
「でしょ、でしょ! あ、幽香、話反らしちゃだめだよ。準備、準備」
「準備って言ったって、夜に出掛けるのよ?」
「そうやってぐーたらしてたら、ぎりぎりで慌てるんだよ?」
「帽子ぐらいでいいんじゃない?」
メディスンは幽香の言葉を聞きすぐにクローゼットの側に置いてある帽子掛けから、つばのひろい、おおきなしろい帽子を被り、姿見鏡の前に立つが、すとんと目深となり、影が落ちる。救いを求めるように幽香の方へ振り向いたが、幽香のだらしなく伸びた足しか見れない。
「幽香、帽子」
「合わないでしょ?」
「うん……」
幽香はメディスンの持つ帽子をかろやかに持ち去ると、クローゼットの奥を漁り、見慣れた麦わら帽子を一つ取り出し、メディスンに手渡す、メディスンは姿見鏡の前で、幽香やアリス達がするように品良く回ると、夏用の薄い白地のスカートが花のように舞いひろがり、帽子は勝手に目深になったり、ずりおちることなく、メディスンの頭に行儀良く座り、幽香はそんなメディスンを脇目に、自分用の帽子を選んでいる。
「ぴったりだ!」
「当たり前じゃない。私が作ったんだから」
「そんなことあった?」
「あったわよ。アリスが夏バテでダウンしたでしょ?」
「あ、あの時!」
「思い出した?」
「うん、思い出した、思い出したよ。あの時は魔理沙も霊夢も咲夜も来て、大忙しだったね」
「そうね、あなたが駄々をこねなかったら、私も作ることはなかったんだけどね」
「そうだったね、ありがとう、ごめんね」
「一回聞いたから十分よ」
「でも、嬉しそうだよ?」
幽香はメディスンにそれ以上探られるのを断るように帽子を選ぶのをやめ、靴棚にしまった何本もの日傘を閉じたり、開いたりを繰り返しては、小首を傾げるが、その頬にやわらかい笑みがひrpがっているのを見て、メディスンは駆け寄る。
「私もおしゃれしたいー」
「帽子あるからいいでしょ」
「幽香みたいなの欲しい」
「私みたいな物?」
「うん、こう、オトナ! ってやつ」
「……は?」
「え? あるじゃん、こうほら、こう……」
「似合わないからやめておきなさい」
「にあうもん!」
「服に着られるだけよ」
「そんなことないもん、アリスに頼めば、作ってくれるもん。アリス、やさしいんだよ? このスカートだって、アリスが作ってくれたんだもん」
「もう聞き飽きたわ」
「だから、アリスに言えば、ぜったい、にあうもん」
「それじゃ、アリスに頼んでみなさいよ」
「……でも、なんて頼めばいいの? 幽香みたいな服、で伝わる?」
「落ち着いた夏服が欲しいって言ってみたら?」
「おちついた夏服……? 幽香、だいじょうぶ? 服はおちつかないよ?」
「分かってるわよ、アリスもそれで理解してくれるわ」
「ほんと? 幽香、アリスのこと馬鹿にしてない? アリスはすごいんだよ。私のことも、魔理沙のことも分かるんだよ」
「でしょうね」
「やっぱり、ともだちのことは分かるの?」
「やっぱりって?」
「アリスも幽香のこと、よく話してくれたよ」
「意外ね」
「幽香みたいな顔するんだよ」
「どういうことよ?」
「言った通りの意味だけど?」
「……そう」
幽香のしろい耳たぶがほのかにあかくなった頃、メディスンはどこに出掛けるか教えてもらっていないことを思い出し、出掛けるところが分からなければせっかく選んだ服もだいなしになってしまう、急いで声を上げた。
「どこに出掛けるの?」
「川辺を通って、人里よ」
「人里?」
メディスンは人里というものがどんなものなのかあまり知らず、かろうじて知っていることといえば、人間が住んでおり、妖怪も時々人里に足を運ぶ、そんなところにメディスンも足を運んでもいいのだろうか、メディスンはまだ自分の力を完璧に操れる自信はなく、せっかく幽香が誘ってくれたというのに暴走してしまう恐れがある。
「大丈夫よ、何かあったら、私が何とかするから」
あいかわず傘や帽子や服を選ぶのにいそがしい幽香は何気ない調子で、メディスンの不安をぬぐう、わざわざ出かけようと言ってくれたということは、きっと何か良いことがあるにちがいなく、メディスンはまだ真昼間だというのに楽しみがとめられなくなり、目的を訊いてみるも、幽香はまるで出し惜しむように何とも答えてくれない。
「どうして、人里なの?」
「今、言う必要ないでしょ」
「知りたいよ、ゆーかー!」
「いやよ」
そうして、時はメディスンが思っているよりもゆるやかに流れ、ようやく日が暮れ、丸い月が薄墨の空にのぼりはじめ、幽香とメディスンは迷子にならないように手を取り合い、家を出る。ひまわりの花畑は日の光を洗い流すかのように真っ直ぐ天へ伸び、月光を目一杯に浴び、鈴虫のたかお鳴き声がひまわりの隙間から流れてくる。
「あついね」
「お昼よりはマシでしょ?」
「それでもあついよ」
メディスンはあつさを凌ぐように胸元を開け、手でかすかに風を送ってみるもすずしく思えず、無駄な労力を用いてしまいさらにあつくなち、風はどこからかおもたい空気を運んできて、顔をしかめる。幽香から何も言わずに扇子を手渡され、あおいでみたところ新茶の香りが鼻先から全身にひろがり、メディスンは汗をぬぐいながら笑顔を浮かべた。
メディスンはだんだんとたのしみを隠しきれず、幽香の手を離れ、一人でさきを歩く、十字路を前にようやく立ち止まり、日傘を片手にゆっくりと歩いてくる幽香を待たず、走って彼女の元に戻る。
「幽香、どっち?」
「分からないのにどうして先を歩くの?」
「わかるよ、右でしょ?」
「あら、知っているの?」
「……言ったじゃん?」
右に折れて歩き続けると、メディスンたちが迷子にならないように、蛍のやさしい灯火が点々とひろがっている、メディスンはふたたび幽香の手から離れ、灯火の方へ駆けると、蛍たちは逃げるように草木や川の方へ散り散りになり、まるいちいさな光はどんどん遠くへ飛んで行く。
「メディ!」
幽香の焦ったような心配したようなくらい声を受け、本来の目的を思い出し、幽香のところまで戻ってくる、幽香は眉をひそめたが、メディスンを見るとすぐに微笑を浮かべ、やわらかい声をかけてくれた。
「また見えるわよ」
「でも、蛍はあまり長いこと生きられないってリグルが言ってたよ」
「じゃ、明日、また見つければいいじゃない」
「いるかな?」
「いるわよ。リグルと一緒に虫カゴと網でも持って、探せばいいじゃない」
「だめだよ。そんなことしちゃ、かわいそう」
「そうかしら?」
「そうだよ。私たちの都合で捕まえちゃだめだよ」
ふたりはしばらく何も話さず、虫の音に耳を傾けていたが、
――虫の音に耳をすませば胸が鳴り――
不意にメディスン自身の口からそんな言の葉がすべりおち、何かを求めるように幽香を見上げる。残メディスンの胸にはもはや、残りを詠い、紡ぐほどのものはなく、ただ、純粋な困惑が胸の内にずっとずっとひろがる。
メディスンは歌というもの知らないため、自分のような無学者が詠うようなものではなく、ただ詠われた歌に対して、なにかを知っているように笑うことしか許されない、貴い存在同士で心通わせる遊戯。現に、幻想郷で歌を詠むのも、幽々子、紫、輝夜、霊夢、阿求……とそのどこにもメディスンをはじめとしたかよわいものの名前はない、しかし、メディスンの心にひろがった十七文字はだれが聞いて歌であろう。
彼女たちのように巧みでなければ、こまやかな心情が歌に流れていることもないであろうが、それでもメディスンはメディスンなりに歌をしたためようとした、残り十四文字が音となれば、和歌と呼ばれるものになるが、ちぢこまってしまった思いをふたたび歌にするような技術を持っていなかった。
――光追いかけひた走るかな――
幽香はそんなメディスンのこころを写し取ったかのように詠った、メディスンは羨望の眼差しを幽香に送ったが、すぐに歌の意味を理解してあかい顔をした。
「私、そんなことしないもん!」
「さっき、あぶなかったじゃない?」
「さっきの話じゃない。大体、幽香が人里しか言わないのが悪いんだからね」
「美味しいものを食べに行くだけよ」
ようやく目的を教えてもらったメディスンは、急いで幽香の手を引き、走りだした。
「そういうことなら急がないとだめじゃない。幽香のばか!」
「急がなくても大丈夫よ」
「美味しいものは私達を待ってくれないのよ」
「作る人間がいるんだから待つわよ」
「だめ! そういう問題じゃないの」
「そういう問題よ」
「幽香はすぐそういうことを言うのだめだよ!」
そんなことを言い合いながら、流れる汗を拭うことなく人里まで走った、人里は一部を除けば、夜に身を寄せつけるように火の落ちた民家が連なり、メディスンはまるで別世界に来たようなふわふわとした感覚を味わい、現実を思い出すように駆け抜けてきた川辺や丘の方を見返してみたものの、蛍のうすい光は闇に喰われ、暗闇が広がっている、時折むっとした熱を帯びた風が、森を揺らし、不気味な笑い声がこだまする。
メディスンは背中を伝う汗に不快感を覚えながら、幽香の手をはなさないように強く握りしめたが、すぐに幽香が幽香ではないような違和感を覚え、確かめるように見上げると、幽香は汗を拭い、
「こっちよ」
と、メディスンの腕を引っ張り、人里へ踏み込み、大きな歩で目的地へ向かう。
メディスンは幽香に引っ張られるまま、どんどんと知らないところへ向かう、くらかった人里は踏み入れると、所々の窓から橙色の明かりがひそかにこぼれ、その光と共に流れてくる人間達の声は、メディスンの感情をいざなうように次の家からも、その次の家からも流れ、きっとこの光のどこかへ案内してくれるのだろうと期待に胸がふくらむ。
幽香がとある民家の引き戸を開けると別世界が広がっていた、浴衣姿の人間達があからら顔でおおきな声を上げ、外とは全然ちがうあつさに満たされ、目の前の光景に目を奪われる、人間達のテーブルには何本もの酒が置いてあり、カウンターには洋酒の類を黙々と飲む老年や熱のある調子で店員に話しかける女の姿もあった、幽香は彼等に目もくれず、店員に目を配らせ、奥へと向かう。
「お酒?」
「私はね」
幽香は氷の入ったグラスに洋酒を注ぎ、飲みながらやさしい調子で教えてくれる。
「私は?」
「この夏にぴったりのものを持ってきてくれるわ」
「何それ?」
「もう少し待ちなさいよ」
「言ってくれてもいいじゃん」
「面白くないじゃない」
「たいくつだよ」
「メディも飲む?」
「にがいのきらい」
「知ってる」
「知ってたら訊かないでよ……」
こどものように頬をゆるめ、ちびちびと舐めるように琥珀色の液体を飲む幽香を眺めることしかできないメディスンは、つまらなく、やれ物価がどうとか新聞記事がどうとか流れてくる話に耳を傾けていたが、
「お待たせしました」
と、店員に声をかけられ、メディスンの前に透明な皿が置かれたと思えば、幽香の顔が見えなくなるぐらい氷の塊を持ってきた。透明な氷の塊はブルーに色付き、室内の強い灯りをきめこまやかに受け、メディスンの瞳のようなこまやかな輝きを放っている。
スプーンでつつくと、もろい音をかなで、幽香の髪の毛が見えそうになり、メディスンは慌てて、しかし崩れないように細心の注意を払いながらかぶりつく、ブルーの甘みの直後、身体中に心地いいつめたさが響き渡る。
「おいしい!」
メディスンはあつさを忘れるように無我夢中で食べ続ける。微笑する幽香が見え、幽香は夢中に食べるメディスンの口の端に飛んだブルーをぬぐう。
「頭、痛くなるわよ」
幽香の忠告通り、途中、慣れない頭痛に襲われた、しかし、懸命に耐え、一気に食べ終えた頃、メディスンは満腹感と満足感を交互に味わった。
幽香はまだ、一杯の洋酒を飲んでいる、グラスが傾けられると、からんとしずかに音が生じ、メディスンは食べ終えたばかりの自分の姿と、まだまだゆっくり飲んでいる幽香の姿を比べ、
――虫の音に耳をすませば胸が鳴り光追いかけひた走るかな――
という歌が蘇り、急激にはずかしくなった。メディスンは火照りを沈めるように幽香に声をかける。
「もっと食べたい」
「適当に、何か食べましょうか?」
「うん!」

幻想郷に実りの時分が訪れると、幽香はいそがしくなり、便箋などが置いてあった丸いテーブルは花とハサミで埋まる、おだやかだった幽香の顔はだんだんとけわしいなものとなり、メディスンは幽香を怒らせないように花を包んだり、アリスに密かに教えてもらった疲労に効くお茶や軽食を振る舞い、一日でも早く前のような日常が戻ってくるように手伝うのであった。
花の注文がおおくなるのが、この時期なのである。夏の間に準備ができればいいのだが、
メディスンは早い段階から準備をした方が良いと思ったのだが、幽香の仕事であるため強く言うことができず、幽香と一緒にだらしのない一夏を、のうのうと過ごしていたのである。
メディスンと幽香の間には事務的な会話のやりとりしかなく、一息ついて、ティータイムで花を咲かせるようなことはない。
一日、また一日と過ぎ、丘や山の木々が色付き、幻想郷全体が黄昏に染め抜かれた頃、メディスンは幽香が選んだ花をきれいに包み、幽香の指定したリボンとメッセージカードを結びつけ、幽香は凝り固まった身体をほぐし、ながい息を吐いた。
「ありがとう、お疲れ様、これで、おしまい」
「幽香こそお疲れ様。大変だったね」
「そうね、何か淹れてくれる?」
「むーりー」
幽香はメディスンの軽い言葉に微笑を送ると、ベッドに倒れ込むと、少ししてやわらかい寝息が聞こえてくる。
作業の間、メディスンは幽香にこれほどの仕事をずっと一人でやっていたのか、と尋ねた、幽香は最低限の言葉で肯定し、再び、誰かから誰かに送られるであろう花を選びはじめた。
メディスンが手伝うまでの間、幽香は一人で黙々と花を選び、切り、包むということを繰り返していた、一日に何件も作業を続けたところで、一人でできることは限られており、全ての仕事を終えた頃、木の葉が散り、枝が震える頃になっていたかもしれない。
幽香にとって、この時分は春や夏のようにゆっくりと時の流れに身を任せるような時分ではない、葉が散った頃には幽香は急いで花々が雪にまけないように囲いの作るのだろう、花がひらけば、出かけ、夏はそれまでの疲れをとるように家にいる、涼しくなれば人里でお酒を飲む、メディスンが来るまでの幽香の生活はそんなことの繰り返しだったのかもしれない。
ベッドに伏した幽香は、思い出したように顔を上げた。
「アリスに手紙は書いたの?」
「……あ」
山の紅葉が枯れた頃、メディスンは幽香の家を出て、ふたたび花ひらくまでの間、アリスの宅で過ごす、完全自立型の人形であるメディスンだが、定期的にメンテナンスを施さなければならず、一人では時間がかかるため、アリスの研究を手伝うという名目で、アリスの宅へ向かう。
アリスもアリスで暇ではない、日々、研究に勤しんでいる、そこに、メディスンがなんの連絡も入れずに行ってしまえば、非常に失礼であり、研究が山場となっていれば、追い返される可能性も高く、メディスンは必ず、訪れる前に一筆執ることとした、幽香とアリスの手紙のやりとりを見て、メディスンも彼女たちを見習ったのである。
幽香は起き上がり、数枚の貨幣をメディスンに渡した。
「お礼よ」
「お買い物してくる!」
メディスンはすぐに人里へ行き、アリスに似合う便箋を探すが、彼女にそこまで花が似合うとは思えない、幽香に送る手紙であれば、メディスンはすぐに秋色に実った便箋を買えたのだが、今回の相手はアリスである。
アリスに無地の便箋ではシンプル過ぎ、だからといって全体に柄の入った便箋では魔理沙のようであり、精々、ワンポイント描かれたものが良いのだが、メディスンの思うようなものが見当たらず、メディスンは何件もののれんをくぐる。
いつしか烏や雁が群れをなし、茜色の中を飛び、ちいさな影を通りに落とし、吹き抜ける風は肌寒くなり、日が落ちてしまう前に帰ろうと急いだが、全然良いものが見当たらず、結局、時間に負け、シンプルな白い便箋とペンを買い、帰りに貸本屋に寄り、手紙の書き方に関する本を借りて。

「……何があったのよ」
くらい面持ちのメディスンは、幽香が淹れてくれた甘い温かなアップルティーを飲みながら、便箋とペンを取り出す。
「売ってなかった、アリスに似合うのが」
「どんなのが欲しかったの?」
「とうもろこしみたいな色、アリスの髪もそんな感じだし……でも、全部が全部とうもろこしじゃなくて、こう、かわいいのが……」
「去年に買ったのは残っていないの?」
「ないよ」
「結構、買ってたじゃない」
「ないよ」
去年、憧れだけで筆を執り、貸本屋で借りた本とにらめっこをしながら、山のように失敗作を作り上げ、ようやく満足のいく手紙が書けるようになったのは、北風が木々を揺する頃であり、メディスンは急いで荷造りをして、幽香に別れの言葉を告げられず、アリスの家へ行った。
手紙と一緒にきたことを大笑いされた記憶は新しく、同じような失敗をしたくなかったため、幽香に頼む。
「あー、……そうだったわね」
「幽香も、手伝ってくれるよね?」
「手伝おうかって言ったら、だめ、って言ったのあなたじゃない」
「去年と今年はちがうの……だめ?」
「だめじゃないけど」
「けど?」
「私が手伝って間に合うの?」
「間に合わせるの!」
メディスンはそう宣言して、去年と同じように、秋の実りを思わせる暖かい色で書きはじめたが、『拝啓』を書いただけで手はすぐにとまり、すなおな目を幽香に向ける。
「どうしたの?」
「去年みたいな秋色の便箋が見つからなかったことってどう書けばいいの?」
「探したけど、見つかりませんでした、って書けばいいじゃない」
「失礼じゃない?」
「そう思うんだったら、失礼だと思われないように書けばいいじゃない」
「簡単に言わないでよ、幽香、お手本」
「お手本?」
「書けるでしょ?」
「そうやって……人に頼るのはよしなさい」
たしなめられたメディスンはすぐに反対しようとしたが、幽香の瞳にひろがるやさしい色を見て、暴れ出ようとしていた言葉はすぐに胸の内へ帰っていき、そういうことを頼む自分自身を当たり前のようにはじだと思った。
「あなたが、自分の足で便箋とペンを買って、教本を読んで、アリスのことを思って、言葉を綴る。……心配しなくても、伝わるわ。アリス、すごいんでしょ?」
幽香のやさしさの底には、何とも言いがたい彼女独特な、なにものをも寄せつけないような感情が広がっているようで、その感情の正体を知るためにもそばを離れたくなかったが、人間の心に疎いメディスンが、歌も満足に詠めず、分からないメディスンでは、幽香に自分の気持ちを伝えられないように思った、だから、アリスのことを話した。
「うん、アリス、すごいんだよ。あの森で一人で暮らしてて、いろいろ知ってるだよ」
「よく知っているわ、ともだちだから」
「じゃ、ティータイムだ!」
「これから?」
「うん!」
「嫌よ、さむいじゃない……」
「じゃ、春になったら、アリスといっしょに来るよ」
「ずいぶんと気が早いのね」
「だって、幽香もそのほうがたのしいでしょ? アリスも言ってたんだよ、ひとりよりふたりの方がたのしいって!」
「……そうね」
「絶対たのしいよ」
次の春のことを考えると、メディスンはとてもたのしくなったが、心の端にすこし、ほんのすこしだけ痛みを覚えたのは、幽香がひとりぼっちで冬を迎えるからであろうか。
幻想郷は眠る、静かに、きびしい冬が過ぎるのを目をつぶって耐え凌ぐかのように眠る。
幽香は春が来るまでの間、ひろい花畑と家でひとりで過ごす気でいるのかと考えれば、メディスンはとてもおそろしく思えた。
「急いだ方がいいんじゃないの?」
幽香にやさしく声をかけけられたが、やさしさやぬくもりすらおそろしく、この手紙を書き終えてしまえば、幽香と離れてしまうのが、メディスンにとってはもちろんのこと、幽香にとっても、とてもかなしいことであるように思えた、しかし、幽香はそんな感情をひとかけらも見せない、つよい妖怪だった、つよくあろうとするがあまり、ひとりでいることに慣れてしまったようだった。
「……幽香は、いいの?」
「何が?」
「私、春まで帰らないよ」
幽香は窓へ目を遣って、黄昏を眺め、
――夕暮れに揺れ落つ思い秋霖に洗い流されひとり待つかな――
という歌を詠んだ。メディスンも幽香のように窓を見たが、空には雨雲一つなく、茜色が丘や山までかなしいほどに伸びており、幽香の歌に流れる雨の意味を知り、彼女がつよい妖怪であることを理解したメディスンは、ペンを置き、目をほそめて夕焼けを見る幽香に、一言送る。
「秋のせいだよ」
「……そうね」
メディスンはそれから幽香に話しかけず、アリスへ送る手紙にペンを走らせるこまやかな音だけが、しんとした部屋にひろがる。
秋はいじわる、夏と同じようで全然ちがったかたちで気力を奪うだとか、一年振りに会うが元気にしているか、とか互いのことを書きながら、家に行けば幽香が寝ていたこと、幽香が一番動くのは秋ということ、春も夏も充電期間のように動かないこと、それでも嫌々ながら話してくれること、そういう幽香が知れたこと、この手紙を書いている時も幽香にさまざまなことを教えてもらったこと、冒頭の秋のことはだから書いたということ、そんなことを書きながら、思いだしたかのように、アリスに似合う空色か秋の実りを思わせる色合いの便箋を買おうとしたのだがみつからなくて、ごめんなさいということも書いた。
月が出てきた頃、メディスンは結びの言葉を書き終え、ペンを置く。
「できた! 幽香、できたよ!」
「お疲れ様、今日はもう遅いから明日、天狗の所まで行ってきなさい」
メディスンは翌朝から手紙を読みなおしたり、これまでと同じように幽香と話をしたり、紅茶をたのしんだ、それもこれも幽香とはなれるのを惜しい、メディスンは幽香に悟られないように、可能なかぎり、ゆっくりと同じ時をいっしょにいた。幽香は何も言わず、それまでとおなじようにメディスンのそばにいた。
アリスの家に行く前夜、メディスンはそれまで床にふるいベッドを敷いて寝ていたが、幽香のベッドへもぐりこんだ、ふれた手が一瞬驚いたようにはねたが、幽香はメディスンに背を向け、せまいことに不満ひとつもらさず、ささやくように声をかければ、落ちついた声が返ってくる。
「幽香」
「どうしたの?」
「手紙、書いてよ」
「手紙は書かせるものじゃないわ。アリスに、書いてって頼まれて書いたわけじゃないでしょ?」
「うん」
「だから、私も、書きたくなったら書くわ」
「ほんと?」
「ええ」
「ってことは、……書きたくなかったの?」
「どういうこと?」
「この前、書いたじゃん」
「忙しかったのよ」
「寝てたじゃん」
「私にも、しないといけないことがあるのよ」
「そうなんだ」
「疑っているでしょ」
「だって……」
「いいわよ、別に」
「いじけなくてもいいじゃん」
「いじけてないわよ」
「いじけてるよ!」
「今日ぐらい、早く寝なさい」
布団から出て、起きあがり、幽香の顔を見ようとした時、意外なまでに低い声で叱られ、メディスンはしゅんとなって、するすると布団へ戻った。
話したいことはほかにもあったが、布団の中でそっとふれ、にぎった幽香の手のぬくもりに安心し、メディスンは次第に落ちつき、眠りへ落ちていく、幽香はメディスンの手をいっさい拒まず、つつみこむようにやさしくだきしめた。

ようやく月が傾き、太陽が昇りはじめた頃、メディスンは幽香の用意してくれたコート、マフラー、てぶくろをまとい、雪にふられても大丈夫なようにという幽香の置き手紙といっしょに用意されたおおきな傘と長靴を持って、アリスの家を目指す。
「久しぶり!」
「いらっしゃい」
おおきなテーブルには去年と変わらないように、人形や魔導書や封が切られた手紙があり、せっせと動く上海人形や蓬莱人形を見ると、これから片付けるつもりなのだろう、メディスンは動く人形たちの邪魔にならないように部屋の端にちぢこまっていると、アリスが申しわけそうに声をかけてくれた。
「ごめんなさいね」
「私も手伝おうよ」
「お客さんの手を煩わせるわけにはいかないわ」
宙を舞う人形の数はどんどんと増え、目まぐるしくはやさでものが片付けられていくと、ベッドがよみがえり、部屋の端に折りたたまれたテーブルやチェアが中央に移され、カーテンがあけられた窓からはすんだ光が入ってくる。
アリスはふたり分のティーセットに温かい紅茶を用意し、額に浮かんだうすい汗をぬぐう。
「おまたせしちゃったわね」
メディスンは身の丈に合ったチェアを用意してくれるアリスが、砂糖と少しのミルクを入れたあまい紅茶が好みであることを知っているアリスが、微笑を浮かべ、メディスンの話を聞き、時々声を上げて笑うアリスが、好きだった、一方で、どうしようもないほどこの冬、ひとりでいる幽香のことが気にかかり、アリスとの再会を嬉しく思いながら、嬉しくないと思う自分自身を見つめていた。
「幽香と何かあったのかしら?」
アリスの声にメディスンは顔を上げた、アリスは微笑を浮かべているが、何かメディスンを気遣うよな不思議な笑みだった、アリスもアリスでメディスンのことだけではなく、幽香のことを心配しているような気配を覚えた。
「幽香、ひとりなんだって」
「ひとり?」
「うん」
「幽香が言っていたの?」
「言ってないけど、そんな気がする」
「メディはどうして、そう思うの?」
「わかんない」
「幽香のところに戻る?」
「それはやっちゃいけない」
「どうして?」
「約束したんだ、次はアリスといっしょに行くって」
「……そう、それじゃ、我慢しないといけないわね」
いつあたたかくなるのか、メディスンもアリスも幽香も知らないだろう、二ヶ月、三ヶ月とかかるかもしれない、その間、メディスンはアリスとふたりで過ごし、幽香をたったひとりで過ごさせていいのだろうか、ひとりがどれほどのことなのか、メディスンはくるしいほどに分かっている、だからこそ、ひとりにさせたくはなかったが、そういう幽香を救えるほどの知能をメディスンはもっていなかった。
もし、メディスンが人形ではなく、アリスのような魔法使いであれば、幽香のような妖怪であれば、彼女たちのように人間のこころを知っていれば、きっと、幽香を助けられるひとつやふたつは浮かんだことだろう。
それからしばらく時が流れ、ふたりで早朝のティータイムを楽しんでいた頃、幽香から手紙がきた。全文を読み終えたアリスは、メディスンに手紙を受け渡す、アリスに送られたきものを読んでいいのかためらっていると、
「私たち宛てよ」
と言われ、メディスンはすぐに手紙を読む。
幽香の手紙は簡単な挨拶から始まり、去年と同じように変わらずひとりで花を見ながら、雪に備えながら、秋の疲れを癒やすようにゆっっくりしている、二人は変わらず元気で過ごしているでしょうか、春を楽しみにしています、という短いものだった。
「やっぱり、幽香は良いのを書くわね」
しかし、メディスンは幽香の手紙がいいものだとはまったく思えなかった、彼女の手紙の節々には何十にもつつんだ幽香の感情がにじみ出ていた、つよい妖怪だったところで、ひとりでいることが平気なのではない、アリスはそういうことをわかっているのだろうか、訊いてみたくなかったが、かしこく、やさしいアリスがそういうことを正直に答えるとは思えなかった。
「いい?」
「ええ、メディと違って、要領よくまとめられた手紙だわ」
「私も書こうと思ったら、書けるんだよ?」
「本当?」
「ほんとだよ。幽香に書き方、教わったんだから」
「じゃ、返事、書く?」
「書く、アリスは見ているだけでいいからね」
「それじゃ、失礼じゃない。私も一筆執るわ」
アリスとメディスンはべつべつの便箋に幽香への返事を書く、メディスンは幽香に伝えたいことがいっぱいあった、そのすべてをそのまま書いてしまえば幽香に失礼なように思え、どれを書こうか、と考えると、すべて書いてしまいたく、すらすらと書くアリスとちがい、ペンは動き気配を見せなかった、メディスンのペンが動くようになったのはアリスが返事を書き終え、紅茶をおかわりしようとしたところだった。
『元気にやってます、幽香も元気? 手紙の文面だけを追うと、元気そうに見えるだけにとても心配。心配っていうか、不安です。いきなり、ひとりになっても幽香は何も言わなくて、まるで、ひとりでいるのが当たり前みたいで、なんだか、私、すごく心細くなったよ。
幽香が悪いわけではないんだけど……わかるかな? きっと、アリスに話せば、わかってくれると思うので、この手紙を書き終えたら、アリスといっしょに、幽香についてしっかり話します、やめて、なんて言っても、おそいからね! 文句はぜんぶ、春に聞くよ。私も言いたいことがあるから。
ほんとなら、ここで歌のひとつでも詠めたら、私も幽香やアリスみたいなおとなになれると思うのだけど、そんなことできません。だから、春になったら、そういうことも教えてもらうからね。次の春は、たのしいことでいっぱいにしようね』
ペンを置き、メディスンはすぐにアリスの方を見た、アリスのあおい瞳の知的な輝きに、メディスンは当たり前のように、彼女ならばメディスン自身の心に流れる幽香への思いも、幽香のことも答えてくれるだろうと確信した。
「今、幽香はひとりなんだよ」
「そうね」
「幽香、嫌だとか、そういうこと言わなくて、なんだかんだで付き合ってくれて、でも、ひとりになって、私……すごく失礼かなって思って、幽香のこと、ひとつもわかってなくて……手紙、書いたけど、書けば書くほど、何を書いたらいいかわかってなくて、幽香がひとりだって思ったら、手紙なんて書いている場合じゃなくって……でも、でも。歌でも詠めたら、幽香にそのことを伝えられるけど、私、そんなことできないから……」
「メディは、寂しいのね」
「さびしい?」
「ええ、幽香がひとりになって、寂しいと思っているのよ。寂しいから、かつての自分と同じだから、そういう感情を知っているから、メディは幽香に対して何とかしたいのよ。……違う?」
「わかんない、でも、幽香がひとりなのは、いや」
「そうね、私もあまりひとりなのは好きじゃないわ。ねぇ、メディ、春になったら、いっしょに幽香のところに行きましょう」
こどもっぽく笑うアリスに、メディスンはアリスといっしょに幽香のところに行けば、メディスンと幽香ふたりだけの時よりも、ずっと楽しいような未来が思い描かれ、メディスンはおおきく笑顔を浮かべ、急いで、返事に書き加えた。
『春になったらアリスと一緒にまた遊びに行きます。アリスには美味しいサンドイッチを作ってもらうから楽しみに待っててね。幽香は紅茶をよろしくね!』
ある早春の頃であった。メディスンはまだ日がのぼっていない頃にアリスを起こし、すぐに準備へとりかかった、幸い、サンドイッチは昨夜から仕込んでいるため、そう時間はとられないことだろう。
「アリス、急がないと。幽香、寝ちゃうんだよー」
「メディ、待って、ほら、マフラー忘れてるじゃない。あ、てぶくろ! 耳あても!」
「そんなに厚着しなくても大丈夫だよ」
「雪降ってるじゃない」
「へーきだって」
「駄目よ、風邪でも引いたらどうするのよ」
「アリス、おばあちゃんみたい」
「メディは紅茶だけでいいのね、そう」
「サンドイッチも食べたいよ! ごめん、ごめんなさい、アリス、聞いてよー」
「そう言うなら、準備手伝ってちょうだいね?」
「分かった、何したらいいの?」
「切り分けてあるから、バケットにはさんで」
「うん、任せて」
「紅茶は幽香?」
「うん、任せてって」
「でも、この時間、寝てるんでしょ?」
「朝になったら起きているんだって」
「え? どういうこと?」
「幽香が言ってたよ。日がのぼったら来て、って」
「……まだまだ時間あるじゃない」
「大丈夫だよ、幽香は起きているよ。幽香だし」
「信じていいの?」
「うん、大丈夫、幽香だもん」
ふたりはそんなことを話しながら、着々とサンドイッチをバスケットに詰める、外に出てみると、アリスの言った通り、さむく、メディスンは慌てて部屋に戻り、コートをはおり、マフラー、てぶくろ、耳あてをしっかりつけ、完全防備で出ると、さむくなく、準備を終えたアリスの腕を引っ張り、幽香のいる花畑へ向かう。
「メディ、そんなに急がなくても大丈夫よ!」
「急いでないよ」
否定したメディスンだったが、心踊るのを抑えきれず、満面の笑みを浮かべながら、どんどんと歩む、森を抜け、人里の前を通り、雪化粧の山に目もくれず、花畑についた頃、日はのぼり、うらかな光を浴びる幽香の姿が見え、メディスンは手を挙げ、叫んだ。
「幽香!」
幽香もメディスンの声に気づいたらしく、微笑を浮かべる、ふと後ろを見ると、アリスの手はなく、息も絶え絶えな様子で、ゆっくりと向かってくる、メディスンはアリスに見えるようにおおきく手を振る。
「アリス、おそいよー!」
メディスンは幽香のそばに一輪の赤い花が咲いているのを見て、
――雪ふれば見わたすもののなにもなく待ち人のぞむ紅椿かな――
という歌を思い出し、ようやくあの時の幽香の言葉、幽香の言っていた意味がわかり、すがすがしい気持ちで幽香の胸へ飛び込んでいった。〈了〉


 

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