「一次創作が売れない」「文フリで売れない」を考察する話

はじめに 誰向けの記事なのかという話

この記事は、「一次創作 売れない」「文フリ 売れない」と検索してこのページに辿り着いた方に向けて書かれています。出藍文庫は2023年に文学フリマ京都に出店したことがあります。その時に記録などは以下の通りです。イベント当日は一部しか売れず、非常にしんどい思いをしました。

文学フリマ京都にはじめて出店しました

初めて作った一次創作同人小説30部が文フリで1部しか売れなかったけど通販で完売した話

その時の新刊はこちら→「夏恋 他三篇

2025年現在は新人賞に向けて執筆を続けながら、2026年ではひとり出版社「出藍文庫」として動き出そうと準備しているところです。一次創作を中心に、小説やエッセイを扱おうと考え、文学フリマへの出店再開も視野に入れております。「なぜ売れないのか」を真面目に解き明かしてみようと思います。

四つの視点から考え、改善点を深め、出藍文庫のやり方を紹介します。


そもそも、何部売れたら「売れている」のか?

まず前提として、「売れる/売れない」は相対的です。イベントで1部も売れないことに悩んでいる方もいれば、50部完売してなお「思ったほどではなかった」と感じる方もいます。

文学フリマでの売れ行きは、他ジャンルに比べて控えめです。特に純文学や一次創作を扱う場合、「読者がそのジャンルを求めてきている」前提が崩れることもあり得ます。

以下に、売れ行き別の印象を具体的に示します。

1〜50部:売れ行きから見る「段階別の手応え」

  • 1〜2部: 最低ライン。ただし0部との差は大きく、誰か一人が買ってくれたという事実は希望になります。
  • 3〜5部: 友人・知人を除いた“完全な初対面購入”があれば、一歩前進。価格・タイトル・ジャンルに最低限の魅力が備わっていれば到達可能。
  • 6〜10部: 「一次創作」ジャンルとしては上々。SNSでの事前発信や装丁・紹介文が機能している兆候あり。
  • 11〜20部: かなり好調な部類。リピーターの存在、もしくはWeb経由の既読者が現れる可能性があるゾーン。
  • 21〜30部: 注目サークルの一歩手前。声をかけられたり、SNSで見たという来訪者が出てきやすくなる。
  • 31〜50部: 文フリ全体でも目立つ部数帯。レビューや紹介が広がり、会場外でも読まれ始めるレベル。

なぜ売れないのか(1):読者がそもそも少ない

一次創作は、「物語が読みたい」人にしか届きません。漫画や評論、ゲームジャンルのように、即興的に目を引くビジュアルやネタ要素が少なく、ぱっと見で魅力が伝わりにくいです。

また、知名度がない場合、作者の名前ではまず集客できません。文フリでも、名の知れた作家や賞歴のある方は別ですが、大半の出展者は「誰だか分からない人」なのです。

「知らない人の小説を、1000円払って買う」ことのハードルの高さは想像以上です。1000円あれば文庫本のプロ作家の本が1冊買えます。この記事に辿り着いた方は、ご自身の家の本棚やPCやスマホの中に、どれほどアマチュアの作品があるでしょうか? 圧倒的にプロの作品が多いことでしょう。

だからといって、値段を下げたら売れるわけでもありません。無料で読めるものですら読まれないこともあります。そもそも僕達は、ポストに届いたチラシや、見ず知らずの広告リンクをどれだけ真面目に読むでしょうか? 読者にとっては、同人誌も「知らない誰かの作品」でしかないのです。


なぜ売れないのか(2):装丁・タイトル・紹介文で損している

小説は中身が全て――確かにそうですが、即売会ではまず手に取ってもらわなければ始まりません。

特に表紙デザイン。これは読者のジャンル感覚によって左右されます。

ラノベやなろう系作品を求める読者の方でしたら、キャラクターが配置されたカラフルで華やかな表紙を好むかもしれません。
一方、純文学系の読者は、むしろ無地の背景にタイトルと筆名が整然と並んだような静かなデザインの方が「信頼感」を覚えることもあります。あるいはもしかしたらですが、純文学系を好んで読まれる方は表紙にキャラクターがいることを認識していない可能性があります。表紙に書かれている題名などを読んでいる可能性が高いです。表紙デザインが優れているから中身が優れている、と考えているわけではないからです。

重要なのは、“読者の求める雰囲気”と、“装丁が発する情報”が一致していることです。僕の出した同人誌はほとんど、タイトルの文字だけの表紙が多いです(同人誌一覧から確認できます)。読者が見たら、素っ気なく、無愛想であると思われることでしょう。ですが、中身が純文学系ですので、そういう表紙でも何とかなっています。

多くの人は、小説を買う前に中身を読むことはありません。彼らが判断するのは「紹介文」や「キャッチコピー」、つまり「この作品は読む価値があるか」を数秒で決める材料です。

一次創作の多くがこの紹介文に力を入れていないか、または「作品の内容を正確に伝えていない」紹介文になりがちです。

たとえば――

  • 物語の世界観だけがふわっと語られていて、人物や葛藤の軸が不明
  • 「静かに進む物語です」など抽象的すぎる言葉ばかり
  • ネタバレを恐れるあまり、何も分からないまま終わってしまう

こうした紹介文は、読者に「これは自分に関係ある物語だ」と感じてもらうことが難しくなります。

どうすれば伝わる紹介文になるのか?

読者は「自分ごと」として興味を持つかどうかで判断します。以下の視点で紹介文を整えると、伝わりやすさが向上します。

  • 主人公が誰で、何に悩み、何を選ぶ話かを明記する
  • 感情の軸を見せる(失恋、喪失、怒り、再生など)
  • 読了後の読者の気分(余韻、切なさ、衝撃など)を想像させる
  • 作品に通底する問いやテーマを言葉にする

紹介文は「作品の要約」ではなく、「読者の心を動かすスイッチ」です。単なる説明文にせず、感情や問いかけの力を込めてください。


なぜ売れないのか(3):内容が伝わっていない

「読めば分かる」では遅いのです。即売会においては「読む前に伝わる」工夫が求められます。

ジャンルやテーマがはっきりしていない、ターゲット層が曖昧、キャッチコピーが弱い。こうした要素は、選ばれる機会を逃します。

読者は「自分に関係あるかどうか」で判断します。逆にいえば、自分の関心に刺さると分かれば、初見でも買ってもらえる可能性が高くなります。

「百合の短編集です」「社会人女性の生活を描いています」「大学時代の友情を再構築する話です」――このような説明がひと目で伝われば、読者は安心して本を開いてくれます。中身の難解さよりも、入り口の明快さが大切です。


なぜ売れないのか(4):作品が単純に弱い

これは一番言いづらい話かもしれません。しかし、避けて通れない本質でもあります。

作品が未完成、プロットが曖昧、文章が粗い、テーマが見えない――こうした点があると、どれだけ丁寧に装丁しても、SNSで話題にしても、手に取って読まれない作品になってしまいます。

「完成している」ってどういうこと?

意外と見落とされがちですが、「印刷できる状態になった=完成」ではありません。以下のような視点で、自分の作品が本当に完成しているかを見直すことが大切です。

  • 物語の核があるか?主人公が何に悩み、何を選び、どう変化するのかが明確か。
  • 構成が整理されているか?山場のないまま淡々と進んでいないか。冗長になっていないか。
  • 文章が読みやすいか?表現にムラはないか、文体はブレていないか。誤字脱字は丁寧に除かれているか。
  • 感情が伝わっているか?読者が共感するための導線があるか。感情の起伏や心理描写に説得力があるか。

なぜ「読まれない」のかを検証する

「誰にも読まれない」と感じたとき、落ち込む前に冷静に分析してみましょう。以下のような点から、原因を特定できることがあります。

  • 最後まで読まれない → 冒頭が弱い/読者の関心を引けていない
  • 感想がもらえない → 感情が伝わっていない/印象が薄い
  • SNSで拡散されない → 一言で言い表せる魅力がない

また、他人に読んでもらい、フィードバックを受ける機会も非常に有効です。批評や感想を恐れず、受け取って自分の糧にできるかどうかが、創作の上達に直結します。

純文学を書かれている方は、いやいや自分の作品はそういうのとは違うんだと思われるかもしれません。僕も純文学の作品をよく書くので気持ちは分かりますが、内容の弱さについて今一度考えてみようと思います。

小説は言葉でできている

純文学は、あらすじではなく、言葉そのものが魅力であるジャンルです。つまり、読者は展開や事件を追うのではなく、「書きぶり」に触れている。文章の呼吸、比喩の精度、間の取り方、声なき声の掬い上げ――そういった細部が評価の対象になる世界です。

しかしだからといって、綺麗な言葉を並べただけの小説が優れているわけではありません。そういう綺麗な言葉だけを並べた小説を読むのでしたら、もう少しお金を出して、辞書や類語辞典を買うという選択をする読者が多いのではないでしょうか。あるいは、自分の慣れ親しんだ小説を読み返すのではないでしょうか。

構成やプロット以前に、「書き方」によって作品の強度が決まります。

  • ありふれた心情に、いかに固有の言葉を与えられるか。
  • 読者の内面に沈殿するような、余韻を残せるか。
  • 無駄な装飾ではなく、削り取ることで意味が滲み出る文章を書けているか。

純文学では、物語の面白さよりも、書き手の「眼差し」が問われます。世界をどう見るか。その見え方を、どう言語化するか。

「弱い」作品の共通点

僕自身、何作も「読まれない」作品を書いてきました。隔週で一万字程度の小説を書くということを三年半続けておりますので、読まれない作品も当然あります。あるいは作者自身、買いている作品の限界を感じ取り、僕は小説が下手だ……と痛感してしまうこともあります。

読み返してみると、どれも共通してこうです:

  • 観察が浅い。人物が観念的で、血が通っていない。
  • 書きたいことはあるが、書く必然性が伝わらない。
  • 文体が揺れる。整いすぎているか、あるいは制御不能。

読者は、文体のズレや心理の嘘を敏感に察知します。作者が心血を注いだような一文よりも、なにげない比喩のひとつに、むしろ作家性が宿るのです。

批評的視点を持つということ

自己の作品を見直すとき、「感想をもらえなかった=つまらなかった」ではなく、「なぜ届かなかったのか」を考える必要があります。

  • 誰の視点で書かれているのか?
  • 誰に対して語られているのか?
  • 何を伝えようとしていたのか?

このような問いを、書いた後に必ず立ててみる。それは苦しい作業ですが、作品を「言いたいことの羅列」から「読者に届く文章」に変えてくれます。


どうすれば売れるのか:改善の視点

  • タイトルに力を入れる:「誰向けなのか」が明確に伝わるタイトルにする。
  • 装丁やデザインを整える:ジャンルに適した見た目を用意する。豪華である必要はない。
  • 紹介文・POPを用意する:読者目線で「これがどうして面白いか」を言語化する。
  • 既刊を並べる:シリーズや同ジャンル作品を並べることで、訴求力が増す。
  • 試し読みやWeb公開:無料で読める導線があると、安心して買ってもらいやすい。

出藍文庫のやり方

僕は、作品を全て公式サイトに全文公開しています。その上で、気に入った人が紙媒体でも買えるようにとしています。

この形式は「まず作品に触れてもらう」ことを最優先にした形です。売り上げよりも読まれることを重視し、リピーターを少しずつ増やしてきました。

ですがこの方法が絶対的な正解であったりするわけではありません。商いという観点から考えますと、作品が全て無料で読めるというのは損です。過去作の一部をアーカイブとしてまとめて有料版とする方法もあります、サンプルとして一部しか公開しないということもあるでしょう。

独自ドメインを取得して作品を公開する場を持つよりも、noteやカクヨムや小説家になろうなどの多くの読者がいるプラットフォームに移ることもあると候補の一つだと思います。

同じような方針で活動される方の参考になればと思い、こうした考察記事を定期的に出しています。


まとめ:“売れない”を恐れずに、試し続ける

売れないことは恥ではありません。むしろ、なぜ売れなかったかを考える姿勢こそが、次の一歩になります。

自分の作品の価値を信じつつ、より多くの読者に届くように工夫を重ねていく。そのプロセスこそが、創作者としての成熟に繋がるのだと僕は考えています。