芥川龍之介と河城にとりの関係について

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河城にとりのテーマ曲である『芥川龍之介の河童~ Candid Friend 』は、その名の通り、芥川龍之介の『河童』である。テーマ曲以外にもどれほど芥川龍之介と関係あるのであろうか。本論は、河城にとりと芥川龍之介の作品である『河童』および芥川龍之介自身との関係を今一度考える試論である。
芥川龍之介自身にも踏み込みため、『河童』が書かれた芥川龍之介の周辺状況を整理した後、『河童』や河城にとりへと言及する。
『河童』が書かれた一九二七年の芥川龍之介は『歯車』からでも分かる通り、義兄の鉄道自殺があった。それから、『火災保険、生命保険、高利の金などの問題』(佐佐木茂索宛、一九二七年・一・三十)もあった。『或る阿呆の一生』の『四十七 火あそび』に書かれるような自殺未遂もあった。一九二一年には病を押して大阪毎日新聞社の海外特派員として中国視察の旅をしてことが引き金となってか、帰国後、『小生の胃腸直らずその為痔まで病み出し床上に机を据えて書き居る次第この頃では痩躯一層痩せて蟷螂の如くなっています』(薄田淳介宛、一九二二二年・九・八)にあるように病気がちになっている。帰国後の一九二一年から死の年である一九二七年の書簡を見てみると、主治医下島勲が持病として胃アトニー、痔疾、神経衰弱に関する訴えが多く見られる。
このような状況下で書かれたのが『河童』であり、芥川龍之介はその時の様子を、『河童百六枚脱稿。聊か鬱懐消した』(佐佐木茂索宛て、一九二七年・二・十六)と伝えている。
この時の芥川龍之介の心情は、『羅生門』を書いてた一九一五年頃の、『自分は半年ばかり前から悪くこだわった恋愛問題の影響で、独りになると気が沈んだから、その反対になるべく現状とかけ離れた、なるべく愉快な小説が書きたかった』(『あの頃の自分の事(別稿)』)という心情に近いものがある。
しかし書かれたものは全く違う趣きである。『羅生門』では下人という人間を用いて書いている一方で、『河童』では河童を用いて人間を書いている。この描き方について、『新潮合評会』(『新潮』一九二七・四)で片岡鉄兵は『河童を使っているのをいつの間にか忘れて、人間を使って人間を描いているというような所がだいぶある』と評し、横光利一は『河童を描いていて人間を描いているから好いのだと思う』と評す。
片岡と横光の評にある通り『河童』の中心となっているのは、人間の戯画化であり、人間生活の風刺である。このような手法を採ることにより、芥川龍之介にかつての、『眼高手低』(『あの頃の自分の事』)であった時の自意識から逃れ、『河童など時間さえあれば、まだ何十枚でも書けるつもり』(斎藤茂吉宛、一九二七・三・八)と告白している通り、伸び伸びと書くことができた。
片岡と横光の評、すなわち、人間と河童の対比という構成、人間の戯画化について、一九二七年に『河童』が書かれるよりも早く、芥川龍之介が同名の『河童』という小説を書いていることは無視できない。
一九二二年に「新小説」に発表した『河童』は後に登場する『第二十三号』は登場せず、一匹の河童を主人公として書き進めれられている。「序」において、河童の存否を書き、先行研究を紹介し、『以上は河童の話の一部分、否、その序の一部分なり、ただし目下インフルエンザのため、いかにするも稿を次ぐあたわず。読者並びに編集者の諒怒を乞わんとするゆえんなり。作者識』と記し、未完に終っている。
しかし病床に伏していようが、回復すれば書けるはずであり、それがこうして五年後に同名の小説として発表されたということは、一匹の河童を主人公としただけでは、書けなかったことがあったと考えられる。
前年の一九二一年に、『この頃、河童の画をかいていたら河童が可愛くなりました。故に河童の歌を三首作りました。君の画の御礼に僕の画をお目にかけ併せて歌を景物とします』(小穴陸一宛、一九二一・九・二十二)として河童に関する短歌を詠んでいる。
赤らひく肌ふりつつ河童らはほのぼのとして眠りたるかも
この川の愛し河童は人間をまぐとせしかば殺されにけり
短夜の清き川瀬に河童われ人を愛(かな)しとひた泣きにけり
という短歌からも、芥川龍之介が河童という動物に相愛の至福を詠み、人間と河童の異次元的世界での恋を成し遂げようとして罰せられる河童を詠んでいる。
「新小説」に発表された『河童』は、河童を主人公とし、河童と人間の対立構造、悪としての人間世界、愛すべき河童世界を描かこうを試みようとしたのであろう。が、それは未完に終り、五年が経ち、『河童』という同名の小説として発表されるに至った。
こうしてようやく書かれた『河童』は、序と一から十七の全十八章で成り立っている。「序」で、一からの語り手となる『或精神病院の患者――第二十三号』が紹介され、物語は始まる。以下、要約を掲げる。
「一」で「僕」――序である『第二十三号』――が河童の国へ偶然行くことが語れる。
気がつくと「僕」はチャックという医者の河童の診察を受けていた。「特別保護住民」となった「僕」はチャックや最初に梓川の谷で出会った河童の漁師のバッグ、硝子会社社長のゲエルなどと親しくなった「二」。
河童なる説明がある「三」。
人間とは逆な、とんちんかんな習慣がわかってきた「僕」は、河童の国の育児制度の問題を語る。お産の時に、父親が母親の生殖器に口をつけて、腹の子にこの世界に生まれてくるかどうかよく考えて返事をしろと言うと、胎児は、生まれたくない、お父さんの遺伝は精神病だけでも大変で、その上僕は河童的存在を悪いと信じているから、と答える。そこで液体を硝子管で注射すると、大きかった腹がしぼんでしまう。大学生のラップが語る、悪遺伝子撲滅の義勇隊の話もある「四」。
詩人トックは家族制度のがかげていることを語るが、平和な家庭への羨望も隠さない「五」。
河童の恋愛は、雌が雄を追いかける形をとるが、醜い哲学者のマッグもまた、半面おそろしい雌の河童に追いかけられたい気持ちのあることを告白している「六」。
音楽会で高名なクラバックが演奏中、警官が演奏禁止を怒鳴って混乱するが、絵画・文芸には発禁がなく、耳のない河童には分からぬ音楽だけにはそれがあるとマッグは語る「七」。
驢馬の脳髄の粉末を流し込む書籍製造会社があり、失業者は職工屠殺法により食肉となる。人間の国でも第四階級の娘達は売笑婦になっているのではないかとゲエルは語る「八」
ゲエルはクオラックス党首ロッペやロッペの支配する新聞社長クイクイ、クイクイの支配するゲエル、ゲエルの支配する美しいゲエル夫人等を語り、河童と獺の戦争が、ある雌の河童から起こったことなどを話す「九」。
学生ラップと共にクラバックを訪問、クラバックはライバルの音楽家ロックの存在に苦しみ、ラップは憂鬱なあまり、股のぞきでさかさまに世の中を眺めたりする「十」。
哲学者マッグの「阿呆の言葉」の何章かの紹介がある「十一」。
裁判官ベップは、犯罪を行わせた事情が消失した後は、その犯罪者を処罰できぬと語る。犯罪の名を言うだけで死ぬほどに、河童は人間よりも神経が微妙だともある「十二」。
詩人トックはピストル自殺を遂げ、「僕」は残された雌や子供の河童に、たった一度の涙を流す「十三」。
学生ラップが案内した近代教(生活教)の大寺院では、長老の河童が、発狂しようとも救われたり自殺したりすることもなく生活教を信じて苦闘した聖徒(国木田独歩が唯一の日本人としてあげられている)の半身像を「僕」に紹介するが、長老はそのように生き得ない自身を告白する「十四」。
詩人トックの幽霊が出るという話があり、心霊学協会会長ペックらがホップ夫人をなかだちとしてトックとの問答を記事を「僕」は読む。死後の名声や全集の売れ行き、家族の運命などが語られる「十五」。
憂鬱になった「僕」は人間の国へ帰りたくなり、だんだん若くなった年寄りの河童に、出て行かれる道はここへ来た道しかないと教えられ、網梯子を攀じ登って行く「十六」。
河童の国から戻ってきた「僕」が一年後に事業に失敗したため再び河童の国へ帰りたいと思うようになったことが語れ、早発性痴呆症と診断され精神病院に入れられる経緯が明らかにされるが、河童の国の医者曰く、病人は第二十三号ではなく読者の方であるという「十七」。
このようなサイクル形式で展開される『河童』であるが、その世界というものは、寓意の世界である。
作者である芥川龍之介が河童の世界という寓意を用い、芥川龍之介達人間が生きている実世界を風刺している。河童の国の出来事として挙げられるのは、要約でも分かる通り、風俗・習慣・出生・恋愛・家族制度・芸術・自己の才能・自殺・宗教等々といったものであり、そのどれもが、芥川龍之介達の世界だけではなく、芥川龍之介自身と密接な繋がりを持っている。
『河童はあらゆるものに対する――就中僕自身に対するデグウから生まれました』(吉田泰司宛、一九二七・四・三)という言葉通り、自虐と嫌悪によって書かれた。
出生や風俗であれば、芥川龍之介は、父敏三数えで四十三歳、母フク三十三歳という、厄年に生まれたため、旧来の俗習に従い、捨て子にされたことや、母フクの発狂もある。
宗教であれば、切支丹ものやキリスト教のことがある。
恋愛であれば、塚本文との結婚もあれば、吉村チヨとの初恋もあり、吉田弥生との結婚を考えた恋もあった。
家族制度であれば、自身の夫婦生活のこと、長男・比呂志のこと、あるいは家族の反対を受け、吉田弥生との交際を終えたこと。
自殺や残された家族であれば、芥川龍之介はこの年に自殺している。
習慣であれば、検閲がある。
主人公である『第二十三号』が狂人であることは、芥川龍之介の生母フクの発狂があり、友人である作家の宇野浩二の発狂という、近しい人間の発狂を見た故、芥川龍之介自身も、狂人の息子であるがため、同じように発狂するのではないか、という自意識が働いていたことだろう。芥川龍之介自身が狂人になるよりも早く、『河童』において狂人を描くことにより、自身の嫌悪を表現しようと試みたのであろう。寓意の世界に落とし込むことによって、検閲を逃れようとした節も考えられる。
ここまで、作者である芥川龍之介の周辺や『河童』本文を見てきたが、いよいよ、東方Projectに登場する、河童・河城にとりとの関係を見ていくこととする。
河城にとりは『東方風神録』ステージ三で登場する。妖怪の山に侵入しようとする霊夢等に警告するが聞き入れられなかったため、対決する。という初出であるが、このステージ三自体が、『河童』の「一」のパロディとしている。
「一」で「僕」は、『上高地の温泉宿から穂高山へ登ろう』としており、『梓川を遡って』いるところだった。朝霧は晴れることなく、『反って深く』なるばかりであり、帰ろうか迷っていたが、霧が晴れなければ帰るに帰れず、待っていたが『霧は一刻毎にずんずん深くなるばかり』であり、「僕」は「ええ、一そ登ってしまえ」と、『熊笹の中を分けて行きました』とある。こうして歩き続けるようになったが、『足もくたびれて来れば、腹もだんだん減りはじめる』ようになり、「僕」は『とうとう我を折りましたから、岩にせかれている水の音を便りに梓川の谷へ下りることにしました』。そうして、「僕」が食事を摂ろうと準備をし、『ちょいと腕時計を覗いて見た』時、『気味の悪い顔が一つ、円い腕時計の硝子の上へちらりと影を落としたのです』とある。これが、「僕」と河童との初めての出会いである。
「僕」は河童に『躍りかか』るが、河童も逃げ、『忽ちどこかへ消してしまったのです』といった調子で「僕」の手から逃げ続け、やっとの思いで「僕」が『河童の背中にやっと指先がさわったと思うと』、穴に落ち、河童の国へ行くこととなった。
『東方風神録』では、「未踏の渓谷」と称する谷の河畔で、三度、河城にとりと出会う。渓谷での遭遇、途中で姿を見失いながら逃走劇。
他にも類似点は見受けられる。姿を見失うというところであるが、は『河童』の場合、『河童は我々人間のように一定の皮膚の色を持っていません。何でもその周囲の色と同じ色に変ってしまう――たとえば草の中にいる時には草のように緑色に変り、岩の上にいる時には岩のように灰色に変るのです』とあり、にとりの場合、光学迷彩スーツを着用している。
人間と河童の関係においても、似ているところがある。『河童』の場合、『河童は我々人間が河童のことを知っているよりも遥かに人間のことを知っています。それは我々人間が河童を捕獲するよりもずっと河童が人間を捕獲することが多い為でしょう。捕獲と云うのは当てはまらいなでも、我々人間は僕の前にも度々河童の国へ来ているのです』とあり、『河童は未だに実在するかどうか疑問になっている動物です。が、それは僕自身が彼等の間に住んでいた以上、少しも疑う余地はない筈です』とある。
霊夢や魔理沙は、にとりを見て、疑問の声を上げるが、にとりは主人公達を初めとした人間達を盟友と呼んでいる。にとりのテーマ曲である『Candid Friend 』を翻訳すると、率直な友達、といった意味になることから、人間との関係は友好であると考えられる。キャラ設定のテキストにも『河童は人間を隠れて観察していた為、仲が良いつもりでいる』と書かれている。
にとり達河童のエンジニアが幻想郷の中で高度な技術力を持っているところは、『河童』の『今更のように河童の国の機械工業の進歩に驚嘆しました』といった部分や『この国では平均一箇月に七八百種の機械が新案され』といった部分からの一致を見ることができる。『河童』「十七」でバッグが「僕」に言うように「檀那はお忘れになったのですか? 河童にも機械屋のいると云うことを」という発言も忘れてはならない。
こうして登場したにとりは以降、『ダブルスポイラー』にてターゲットとして登場することもあれば、『東方地霊殿』にて魔理沙をサポートすることもあれば、『東方心綺楼』にて自機として登場する。
ここで、宗教を扱った『東方心綺楼』におけるにとりに注目した。というのも、芥川龍之介と宗教――キリスト教――との関係が色濃く、『河童』にも宗教が描かれ、その影響下にある、にとりがどのような行動を採ったのか見て行きたいのである。
芥川龍之介と宗教、『河童』の宗教を見た後、にとりの活躍を見て行くこととする。
芥川龍之介と宗教の関係は、芥川龍之介とキリスト教の関係と言い換えることもできる。彼とキリスト教との出会いは早く、第一高等学校在学の時、生涯の友となる井川恭から「THE NEW TESTAMENT」という英訳の聖書を贈られる。日本近代文学館の<芥川龍之介文庫>に所蔵されているが、中には赤インクによるアンダーラインがかなり見出だせる。
第一高等学校在学から始まった聖書との出会いは、大学に入学してからも続いたことは、『芥川龍之介未定稿集』(葛巻義敏編)にも、『それは彼がはじめて「新旧両約聖書」を熟読した頃の、或情熱に似たものである。――それはほぼ大正三年頃であったろう』にも明らかだ。こうして、数々の切支丹ものが書かれ、『暁』という戯曲が書かれ、『西方の人』と『続・西方の人』が書かれるようになった。
芥川龍之介の聖書受容を考えると、『或阿呆の一生』の「五十 俘」の『しかし神を信ずることは――神の愛を信ずることは到底彼には出来なかった。あのコクトオさえ信じた神を』という一節から、芥川龍之介の聖書受容が一筋縄では行かなかったことが見えてくる。何故、芥川龍之介は神の愛を信ずることができなかったのか、そこには、吉田弥生との恋愛が関わっていると考えている。
吉田弥生との恋愛は、『順調に進んでゆけば結婚という極めて平凡な道程を辿る筈であった』という恋愛であったが、養家の人々の反対を受け、破れてしまう。吉田弥生に求婚したいことを養父母と伯母フキに告げ、激しい反対にあったのである。この失恋の様子を、井川恭宛に同年一九一五年・二・二十八日に書いている。それからしばらく経った、三・九日には、こんな手紙を送っている。
『イゴイズムをはなれた愛はあるかどうか。イゴイズムのある愛には人と人との間の障壁を渡る事は出来ない。人の上に落ちてくる生存苦の寂寞を癒す事は出来ない。イゴイズムのない愛がないとすれば人の一生程苦しいものはない。
周囲も醜い。自己も醜い。そしてそれを目のあたりに見て生きるのも苦しい。しかも人はそのまま生きる事を強いられる。一切を神に仕業とすれば神の仕業は悪むべき嘲弄だ。
僕はイゴイズムをはなれた愛の存在を疑う。(僕自身にも)僕は時々やりきれないと思う事がある。何故こんなにしてまでも生存をつづける必要があるのだろうと思う事がある。そして最後に神に対する復讐は自己の生存を失う事だと思う事がある。
僕はどうすればいいのだかわからない』
吉田弥生との失恋は、第一高等学校に入学した後、聖書を井川から贈られた後の出来事であり、芥川龍之介は聖書の愛を知っていると考えられる。が、その愛が、家により引き裂かれ、愛の内にイゴイズムを見た芥川龍之介にとって、神の愛というものは信ずるに値しないものとなった。
この失恋は、愛の内にイゴイズムを見た芥川龍之介に大きな衝撃を与えたことだろう。以降、愛とイゴイズムに関する問題は小説の内にも登場する。『羅生門』や『鼻』といったイゴイズムを捉えたものや、『開化の殺人』や『開化の良人』や『秋』や『路上』のように、直接、愛とイゴイズムを主題とした作品として登場する。
このような体験を経て、『或阿呆の一生』が書かれるようににもなり、芥川龍之介にとって、キリストは『西方の人』に書かれているように、ジャーナリストであり詩人であり、人の子という見方になった。
芥川龍之介と宗教の関係を見たが、それでは一体、『河童』の内ではどのような宗教観が広まっているのか見ていこう。
先の要約にも掲げた通り、河童の国にも近代教――生活教とも呼ばれる――という宗教があり、その大寺院へ「僕」を案内する。大寺院で長老の河童が龕の中にある大理石の半身像を説明するが、そこには聖徒であるストリンドベリイ、ニーチェ、トルストイ、独歩、ワグネル、ゴーガンといった像が並んでいる。
ストリンドベリイはあらゆるものに反逆し、さんざん苦しんだ聖徒で生活教を信じようとしたが自殺未遂者だった。ニーチェは自身が造った超人に救いを求めたが、やはり救われずに狂人になった。トルストイは誰よりも苦行をし、キリストを信じようと努力したが、晩年には嘘つきだったことに堪えられず、「この聖徒も時々書斎の梁に恐怖を感じた」と言う。
彼等全ては、生活教を信じようとして、キリスト教等に救われようとせず、自殺未遂に至るまでぎりぎり苦しんだ人間達として捉えられている。
河童の国の宗教も「十三」末の、「僕」とマッグの
『「我々河童は何と云っても、河童の生活を完うする為には、……」
マッグは多少恥しそうにこう小声でつけくわえました。
「兎に角我々河童以外の何ものかの力を信ずることですね」』
という会話にある通り、信仰の先として宗教が存在している。が、その信仰の中心となるものは『旺盛に生きよ』というもものであり、生活教は『食えよ、交合せよ、旺盛に生きよ』と、この人生を生きねばならない重荷を背負わされているだけだということに気付く。
ここにおいて、芥川龍之介は宗教自体も『旺盛に生きる』ための一つの手段ではないか、と風刺しているのである。
ならば、芥川龍之介と『河童』をモチーフとして作られていることを確認している河城にとりは、宗教をどう捉えているのかという考察に入るが、まず注目するところは、『興奮と熱狂はそのまま信者を生む。
それでは、宗教家に良いように利用されるだけだ。
一部の河童は宗教を嫌う文化を持っていた』という記述であろう。この「文化」は、『河童』で見たような『宗教を信ずる訳には行かない』を下地とし、芥川龍之介や『河童』の宗教観を引き継いでいるように見える。
心綺楼におけるにとりの言動を追いかけてみると、祭りが金になるという部分や「熱狂も決闘も宗教なんぞに利用するなよ」という発言、霊夢から「人気を集めてどうするの?」と訊かれた時の「まあ、商売には役に立つ。そういう事にしとこう」という返答。
宗教戦争の間に貫かれるにとりの信念は、『河童』の生活教の教えである『旺盛に生きよ』という教え、『旺盛に生きる』ため宗教を利用、あるいは芥川龍之介自身の宗教観に通じるところがある。
以上、足早であるが、芥川龍之介と『河童』と河城にとりの関係を見直したが、いかに、河城にとりというキャラクターに関係しているか明らかになったであろう。
ZUN氏が、河城にとりというキャラクターを作り上げる上で、既に河童のイメージが固まっていたことは『キャラ☆メルvol.2(二◯◯七年十二月) 風神録インタビュー』からでも明らかである。
『懐かしいなあ。あのCMが好きなんですよ。子供の時からよく見ていましたけど、本当にお酒を楽しく飲んでいるなっていう感じがしますよね。僕の頭の中では河童はあのCMのイメージです』や『僕の中では技術者のイメージがあるんです。河童という妖怪は中国や高麗や百済から来たような、迫害されて川に住んでいた人たち優れた技術を持っていたことが起源かもしれませんし、そうじゃなかったとしても、なんとなく調子がいいけど偏屈で、技術に対しては頑張る感じがイメージとしてあるんです』と河童のイメージを語っている。
こうした河童のイメージと芥川龍之介の『河童』に登場する数々の河童達、そこで語られる世界が、河城にとりを創造に一役買っていると私見であるが結ぶこととする。

参考文献
芥川龍之介『芥川龍之介全集』岩波書店 一九七八年
葛巻義敏編『芥川龍之介未定稿集』岩波書店 一九六八年
平岡敏夫『芥川龍之介』大修館書店 一九八二年
関口安義『芥川龍之介とその時代』 筑摩書房 一九九九年
関口安義『芥川龍之介 永遠の求道者』 洋々社 二◯◯五年


 

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