最近読んだ本の話

最近というか年が新しくなった頃から、人から色々と漫画・小説を問わず本を薦められる機会に恵まれてます。幸いなことです。ありがとうございます。

自分で本を買うとどうしても近代文学が多くなってしまい、こうして薦められないと他分野の本は知らないものばかりになってしまいます。読んだ時に新鮮な驚きと喜びに出会えますので、知らない分野を読めるのは良いことではありますが、最初の取っ掛かりを作るのは自分一人、自分だけだと難しいものがあります。

 

どの本も思うところがありましたので、つらつらと書き進めていこうと思います。

 

猫を抱いて象と泳ぐ(著:小川洋子)

 

小川洋子さんの名前を初めて見たのは、「博士の愛した数式」が映画化された頃だったような気がします。初めて氏の作品を読んだ頃から、今までその印象は不思議なことにずっと変わってません。

何なんだろうこのタイトル? と手に取った時に思うフックと、フックからは全然想像できない物語全体に漂うやさしさと静的な筆致。

僕は多くの本を本棚の棚差しから抜き取って、買います。だからか本の背幅に書かれているタイトルと作者と出版社ぐらいしか知らないことがあります。「猫を抱いて象と泳ぐ」というタイトルのこの本が、そんなタイトルでありながらチェスで指す少年の物語だなんて気づくのは、いつも少し後のこと。物語を読み終え、本を閉じて、再びタイトルと向き合った時、この本のタイトルはこの名前しかないと確信できます。

チェスを指す少年の物語と聞いて、将棋を指す方々の過酷で残酷な世界をイメージされるかもしれないが、この話は徹頭徹尾チェスを指す少年の物語であり、そこに対局する人間との駆け引きなどは感じにくい。だからといって、対局する(した)人間へのリスペクトに欠けているというわけではありません。確かな敬意と尊敬が、駒の動きから伝わってきます。

目で文章を読んでましたが、途中途中でそんな行動がまどろっこしく感じてしまいます。二人の、少年と相手とが駒を動かす音に耳を欹てて聴き続けたい。そんな物語。

 

熊の敷石(著:堀江敏幸)

 

この作者のことは、一つも知らなかった。名前も勿論、作品のことも。それでも「熊の敷石」を読んだのは、人と話していて、この人の名前が挙がったから。

この本は「熊の敷石」と「砂売りが通る」と「城址にて」という三つの短編が収録されてます。

「熊の敷石」はどこか翻訳文章を思わせる文章が続き、人によっては合うこともあれば合わないこともあると思います。堀江敏幸さんの経歴を見た時、作家でありながら仏文学者であると知れて、こういう文体なのも理解できました。残りの二つは「熊の敷石」のような文体で展開されるような様子は見て取れず、程よく曖昧で分かりにくく過去と現在を絡み合わせていきます。

ここに収録された三つの短編は、いずれも上で書きました通り、程よく曖昧で、時として分かりにくくあります。ミステリー小説のような事件が起きて、犯人と動機が明らかになって……という作劇としての面白さは少し削られている印象を受けました。ですが、削られた面白さがマイナスに作用しているかとなると、そんなことはなく、作品の全てが現在から過去を描くことがあり、人間の感覚が描かれていると思います。

 

職業としての小説家(著:村上春樹)

村上春樹さんの印象はかつてより良くなった。何故かというと、過去の雑記にまとめているのでそちらを参照してほしい(→「村上春樹の印象が変わった話」)。

その後の一冊目として選んだのが、この「職業としての小説家」です。小説を選ばなかったのは、心のどこかで「風の歌を聞け」の感覚を引きずっていたからだと思います。

このエッセイを読んで真っ先に思ったのは、村上春樹の語る言葉はどうも八方美人的というか、自分をどこのポジションにも置きたがらない人だなぁ……という不快感でした。分かりやすく表現しますと、回りくどい言い方ばかりして、というやつです。けれどもこの、回りくどい表現の数々は、とあるページの一文を見て、納得できました。

第五回「さて、何を書けばいいのか?」の内で、村上春樹さんは、こう書きます。

まあ世の中は世の中として、とにかく小説家を志す人のやるべきことは、素早く結論を取り出すことではなく、マテリアルをできるだけありのままに受け入れ、蓄積することであると僕は考えます。

この本は小説家になる方法を書いている本ではありません。読んだところで、良い作品を書き上げる方法やヒントは書かれておりません。

ならば何が書かれているのかと言いますと、職業として小説家を続けるコツみたいなのが書かれております。職業としての小説家は、作品を一つ書き上げて終わりというものではありません。次があります、もしかすれば、次の次があります。何作も作品を書き上げる必要があります。

サラリーマンの方々が毎日働きに出るように、小説家は書き続けなければなりません。

書き続けるには何が必要で、どういう生活を送ってきたのか。村上春樹さんは自身の体験と考えを元にして、全十二回のエッセイで教えてくれます。

 

雪沼とその周辺(著:堀江敏幸)

「熊の敷石」を読んだ時、その作者のことを教えてくれた方と話した。その人が良いと思った作品がこの「雪沼とその周辺」でした。

この本は、「雪沼」という架空の町とその周辺で暮らす人間の営みを描いた連作短編。人と人との繋がりを描いている一方で、それより濃く、繋がりを思わせるのは、人と道具との関係。

堀江敏幸さんの作品は「熊の敷石」の時でもそうだったと思えるのだけど、分かりやすくありません。使われている言葉や表現が難しいというものではなく、物語として読んだ時、突然にぷんと幕が下ろされたような感覚を覚えます。どこか不親切な……しかし、人間の営みの、極めて一部分を描いているとすれば、この終わり方は良いような気がします。

この作品について語ることは多くありません。「分かりにくさ」を覚えたから、素晴らしい作品ではなかったというわけではありません。断じて。

全くの反対で、非常に良かった。作品世界が完成されたものの前に、読み手である僕が語ることは何もない。

何も語ることなく、ただこの世界に、言葉でのみ描き語られる雪沼という町で浸っていたいです。誰にも何にも邪魔されず。

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