描かれる夜

※本作品は、pixivのブックサンタ2024に投稿した作品となっております。

■ブックサンタとは
https://booksanta.charity-santa.com/https://booksanta.charity-santa.com/
「厳しい状況に置かれている日本全国の子どもたちに本を届けること」を目的に、NPO法人チャリティーサンタが、2017年から全国の子ども支援団体および書店と連携してスタートしたプロジェクト。
パートナー書店で子どもたちに贈りたい本を購入、レジでその本を寄付すると、日本全国の子どもたちに「サンタクロースから本が届く」というチャリティープログラムです。
書店に足を運ぶのが難しい方のために、専用オンライン書店とクラウドファンディングでも寄付が可能です。

■NPO法人チャリティーサンタ
https://www.charity-santa.com/
「子どもたちに愛された記憶を残すこと」をミッションとして掲げ、「子どものために大人が手を取り合う社会」を目指し、活動を展開しています。2008年に活動を開始し、2014年にNPO法人化を果たしました。
全国30都道府県42支部で行う「サンタクロースの訪問活動」をはじめ、全国779書店と協働する「ブックサンタ」、全国の困窮する子どもを支援する団体とのネットワークづくりなど多岐にわたって活動しています。現在は、クリスマスにとどまらず、1年を通じて困窮する子どもたちへ体験を届ける活動の仕組み作りをおこなっています。
※チャリティーサンタは、特定の国や海外の団体、特定の宗教とは一切関係はありません。



PDFファイル版(文庫サイズ・縦書き)

「描かれる夜」


 
「良ければ、コーヒーいかがですか? 二階で絵画の展示会をしております。よろしければ、ご覧ください。無料でご覧になれます」


 イベント会社に勤めていると、人に声をかけることに抵抗がなくなる。同じ男性であろうと女性であろうと変わらない。佐々木は浮かべ慣れている、口角だけを上げた微笑と共に言う。白い息が赤と緑の電飾で彩られた通りを流れ、宙を舞う雪に触れる。


 通りを歩く人々は、佐々木の声に歩調をゆるめ、佐々木を見て、その背後にある二階建ての喫茶店を見上げる。目の前で立ち止まった男女の二人組に、佐々木は湯気の立つコーヒーを用意する。赤いラインが入り、ハッピーメリークリスマスと英語で書かれた小さな紙コップに、ポットからコーヒーを注ぐ。

 二人の視線が、どこか戸惑うように、店内へと流れる。ドアの前にはオープンやクローズと書かれた看板は掲げられておらず、一階と二階の窓は全てカーテンで閉ざされている。幸せそうに綻ぶ頬に一瞬固いものが走る。ドア越しから覗けるキッチンスペースや二階までの動線だけ仄かに明るい。

「一階の喫茶店は、本日に限り、十八時で閉めてます。申しわけありません。これからの時間帯は二階の展示のみ、ご案内できます」

 男女は、佐々木の言葉に背中を押されるようにドアを開ける。光へと導かれるように二階へと上がる。

「暗くなっておりますので、足元にお気をつけください」

 二足のブーツが、階段をゆっくりと登り少し軋む。

 佐々木の前から人がいなくなる。

 通りには先を急ぐ男女のカップルがいたり、近くの洋菓子店で買った袋が揺れないように慎重に歩いているサラリーマンが佐々木の前を通り過ぎる。子供と手を繋いで帰る親子連れの姿もある。洋菓子店では、佐々木と同じような恰好をした従業員が声を張り上げ、列に並んでいる客を誘導している。全てが、明るい光の中にある。

 雪が混ざった風が通りを吹き抜ける。佐々木の被るサンタクロースの帽子が、風に揺れる。明るい街並みとは相反するように夜空は色の暗い雲に覆われ、雪を降らせている。

 明日になっても降り続けるのだろうか。降り続けるのであれば、明日の出勤は少し早く家を出た方が良いのかもしれない。あるいは、別の通勤方法で出勤した方が良いのかもしれない。世間はまるで休日のように振る舞っているのだから休んでも良いのではないか、しかし今日が終われば今度はすぐに年末年始の催事の司会や進行の予定がある。休むのは難しい。イベント会社に勤めるようになってから、この時期はいつも忙しい。ようやく一息をつけられるかもしれないと思えば、今度はすぐにバレンタインデーと雛祭りが控えている。それが終わったと思えば、年度が新しくなり、ゴールデンウィークとなる。休めるのは六月頃になるだろう。今から半年程度先だった。沈んでしまいそうな気分を誤魔化すように佐々木は少し乱れたサンタクロースの衣装を整える。

 とある会社がどこかのホテルで開催している食事会の司会に立候補した方が良かったかもしれない。しかしあの食事会の司会は担当者から、可能であれば食事会に華を持たせられるような方がいい、と希望があったので、佐々木のような男は適任ではないだろう。部署の中で最も華のある女性が、円滑に事を進めていることだろう。

 室内であれば、このような寒さに身体を震わせることもなかっただろうし、通りを歩く人々の温かな笑顔や声に接することもなかっただろう。

 佐々木は零れそうになる溜め息をぐっと飲み込み、イベント用として浮かべている微笑を顔に貼り付ける。どこで誰が見ているのか分からない、こういう接客が新しい仕事の依頼のきっかけになる、という上司の言葉を思い出す。二階の受付で喫茶店のマスターから手渡されるリーフレットに、佐々木の勤めるイベント会社のことが簡潔に記載されているので、新しい契約が生まれるかもしれない。新しい契約が生まれるかもしれないが、そこに駆り出す人材が社内に残っているのかと考えると、話は変わってくる。イベントに大きい小さいもないとフラットに考える社長やその考えに同調している者は、凄まじいスケジュールで仕事をしている。佐々木もあんなふうになるのだろうか。ああいうふうになりたくないと思う。

 こんなふうに思ってしまうのは、きっとおそらく、量の問題なのではないだろうか。佐々木一人が味わうイベントの多さに問題があるのかもしれない。普通の社会人であれば、年末年始は仕事を納めている。年が明けた三が日も休み、七日頃から出勤し十分なリフレッシュ期間を得ている。佐々木の場合は、イベントの本番まで準備期間である。準備と本番の間に、辛うじて、休みがある。世間とは正反対な日常。

 先ほど案内した男女が降りてきた。佐々木に見せた表情とは違う、新鮮な驚きと安堵を顔中にありありと浮かべている。佐々木に礼を述べる男女の声は、随分と弾んでいる。佐々木は分かりやすい微笑を浮かべ、彼等が去るのを見送る。続けて、店内から靴音が降りてきた。雪が入らないようにそっとドアが開き、

「佐々木さん、そろそろ閉めましょうか」

 と、眩い夜に似合わない控えめな女性の声がした。このイベントを主催し、佐々木の勤めるイベント会社に集客の相談してきた女性。彼女はこの喫茶店を経営しながら、空いている二階のスペースでイベントを主催したり、人に貸し出したりしている。佐々木の勤めるイベント会社に定期的に相談に来る人で、彼女の言葉を借りるのならば、常連のような存在と呼んでも差し支えないだろう。

 いつ見てもすらっとした人だった。長い手足に固い恰好をするのが似合う。今日は襟のついた白いシャツに、落ち着いたボルドーのジャケットを羽織っている。

「え、宮本さん、もうですか?」

 佐々木の不安を即座に感じ取ったらしい宮本の黒い瞳が、快活に揺れる。

「もうです」

「早くありません?」

 佐々木が腕時計に目を落とすと、時刻はまだ二十一時だった。聖夜のイベントとしては、まだ全然これからなのではないだろうか。

「良い良いの、早くて」

 宮本は短く切り揃えた黒いショートカットを揺らして、笑う。

 佐々木は釈然としなかったが、イベントの主催者がそう言うのあれば従うことにした。佐々木自身も、もう多くの人が訪れることはないだろうと思っていたので、彼女からそう切り出してくれるのは助かった部分がある。しかし、こんなふうに早く切り上げるのならば、普段と変わらない喫茶店を営業した方が良かったのではないだろうか佐々木は思う。集客の相談を受けたイベント会社の一員として考えると、成功とは言い難い。

 宮本はドアの隙間から手を出し、クローズと書かれた看板をドアに吊るす。そうしてキッチンまで歩み、一階の電気を全て点けた。たちまち明るい室内が姿を見せた。天井に取り付けられた暖房が、すぐに音を立てる。暖かく乾いた風が、室内に流れる。

 入って正面に広がる長いカウンター席は全て一人掛けの赤いソファ席になっている。カウンターの棚には光を受けて輝く陶器のカップとソーサーが仕舞われている。カウンターの左右には、対になるようなソファ席が一つずつ並んでいる。全てが、明るい光の中にある。

 外に出していたテーブルや備品を室内へと運ぶと掃除と消毒を済ませ、宮本の指示通り、片付ける。

「二階はどうします?」

「二階は明日するから、そのままで大丈夫です」

「分かりました」

 宮本はいつの間にかジャケットを脱ぎ、着慣れた黒いエプロンを身につけ、ポットを洗っている。大きな乾燥機に入れると、カウンターに立って清潔な微笑を浮かべている。まだ仕事をするかのように。

「……宮本さん?」

 佐々木は閉ざされたドアへと向ける。吊るされた看板には、クローズという文字が踊っているはずだ。

「はい、何でしょうか?」

「クローズ、ですよね?」

「そうですね。今日はもう閉めます」

 宮本には宮本の日常がある。クリスマスイブのイベントは終わり、日常へと帰る。佐々木とは違う、普通の日常へと帰る。展示会も何もない喫茶店を営む。

「でしたら、お店を閉めていいのではないでしょうか?」

 宮本は、佐々木を揶揄うように大袈裟に目を見開いた。普通の日常へと帰れる宮本への羨望なようなものが見透かされたような気がして、佐々木は微かな不愉快さを味わった。イベント後の疲労感も合わさってか、苦い声が佐々木の口から転がり落ちた。

「閉めないんですか?」

「ええ」

「何か作業があるんでしたら手伝いますよ」

 喫茶店の店主として何かしなければならないことがあるのだろうか。点検や確認という作業が残っているのかもしれない。彼女が彼女の仕事ができないのは、佐々木のせいなのかもしれない。佐々木が機敏に動こうとした時、宮本は流れるように戸棚の端に立て掛けているメニューを手に取り、カウンターへと置く。華やかな外見とは裏腹に、優しい声を、佐々木にかける。

「佐々木さん、何を飲まれます?」

 深い黒々とした晴れやかな瞳が、佐々木の顔を見る。

「……はい?」

「今夜、手伝ってくださったお礼です」

「良いですよ、そんなの。僕は僕の仕事をしただけです」

「ですが、手伝ってくださったことには変わらないでしょう?」

 仕事ですから、と同じ言葉を返す気にはなれなかった。佐々木は黙って、カウンターの席に腰掛ける。ソファが沈む。宮本の言葉の奥底には、クリスマスイブだからこそ働く佐々木を労う気持ちがあった。

 メニューに目を通すと、コーヒー、紅茶、オレンジジュース、グレープフルーツジュースというシンプルなメニューが並んでいる。この仕事に就いて働くようになってから、コーヒーばかり飲んでいるような気がした。気がしただけではなく、実際に一日の間に何杯も飲んでいる。そうやって自分を奮い立たせ、イベントの準備期間を乗り切るように。

「……こういう時、コーヒーの方が良いんでしょうか」

 自分の何かを否定してほしいと希う声が、佐々木の口から零れ落ちていた。宮本は何も言わず、メニューに細い指を滑らせ、一つの飲み物を指差す。ホットココアが、そこにはあった。佐々木はその飲み物の名前を見て、困ったように口の端に笑みを乗せる。

「こんな時に、ですか」

「こんな時だから、です。身体の中から温まって、良いと思います」

「でしたら、それを」

「かしこまりました」

 宮本は慣れた手つきで、カップを温め、一杯の飲み物を準備する。小さな片手鍋にココアパウダーと砂糖を入れる。水を少量加え、ペースト状になるまで丁寧に混ぜ合わせる。金属が触れ合う軽い音が響く。佐々木は無言のまま過ごすのが気まずくなり、声をかける。

「来年も、展示会されるんですか?」

「多分、開催すると思います」

「どうしてでしょうか?」

 本来ならば会社でしなければいけない反省を、佐々木はこの場でしようとしていた。今してはいけないという意識は働いていたが、依頼主と話せる機会はここしかないように思えた。

 クリスマスイブに喫茶店の二階で絵画の展示会を無料で開催するというのは、集客や売り上げという観点から考えると、赤字を垂れ流すだけの行為だ。行うべきではないように思う。もっと別のことに使った方が有意義だろう。アーティストのライブだとかそういうことに。

「どうしてと言いますと?」

「同じ時間、喫茶店として営業した方が客入りは良いですよ」

 集客や売り上げのことを考えると、二階も喫茶店として使った方が良い。期間限定のアルバイトを雇ったりすれば、接客も行える。売り上げは十分に見込めるものがあるのではないだろうか。

「そうかもしれませんね。でも、私はこのままで良いと思います」

「それ、本心から言ってますか?」

「ええ」

 宮本は片手鍋に少しずつミルクを注ぎ、ダマができないように注意深く混ぜながら火にかける。少し顔を伏せ、視線も下がっているその表情は、何か言い難いことから逃げようとする気配を感じられる。

「非日常が、欲しいんです。今日展示していた絵は、芸大の学生の方々が有志で描いてくださった作品です。人をもてなす、コーヒーや紅茶といった飲み物を提供することとは違った、非日常が、私達にはあっても良いと思います」

 宮本は火を弱める。ココアの表面に小さな泡が立つようになり、宮本は火を止めた。温めカップに注ぐ。

「お待たせいたしました、ホットココアです。今日はお寒い中、手伝っていただき、ありがとうございます」

「僕の日常は誰かの非日常で、宮本さんの日常は誰かの非日常なんですね」

「そうですね」

「ありがとうございます、久し振りに思い出しました」

 佐々木はココアを飲んだ。熱いものが胸の内へ広がり、安らかな気分になった。外は雪が降り続いていた。〈了〉


 

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