先週や今週の頭頃から、随筆を書こうという気持ちがあった。サイトの雑記が、創作支援とかひとり出版社に関することとか、あまりに外部を意識した投稿が増えたためだ。外部というか、所謂、SEO対策やそれらを意識したもので、別にそれが悪いとは思わないけれど、書いていて書いている楽しみがない。
書き手が書いている楽しみを感じていない文章は、読み手にもじんわりと伝わる。読めるし役に立つ記事ではあるけれど、何だか面白味に欠ける感覚を味わったことはないだろうか?
雑記という小説以外の私的なことを書くカテゴリーであるのにも拘らず、あまりに私的なことが少なくなっていないか、とすら思う。小説以外で我を出したくないタイプなので、これで良いのかもしれないが、であれば、私的という言葉を外した方が良いと思う。ただそうなると、今度は私的なものをどうしようか、という思いが芽生えてくる。
堂々巡りが続きそうだったので、善は急げというわけではないけれど、とりあえず雑記の中に随筆というカテゴリを設けた。
ひとり出版社としての活動を2026年から本格的に行うが、ずっと非営利で運営していこうと考えている。非営利といっても全く全然収益を得ないで良いという考えなのではない。事業を行うことによって得られた収益は、事業継続のために使う。第一目標を商業的成功にするのではなく、純文学の小説を書き続けることにする。
ひとり出版社という立場なので、利益が出る確率は他の事業よりもずっと低いが。
そういうところも踏まえて、非営利でも良いかという方向性を得ている。もっと分かりやすく書くのならば、自分の活動を利益を最優先にするのではなく、文化活動に優先しようというわけだ。
商いの観点から考えて、出版社や本屋にツテも何もないアマチュア小説家の小説が売れることはない。そんなことはないのでは? と思われるかもしれないが、自分の家の本棚を眺めると、岩波、新潮、ちくま、講談社、集英社、小学館……と大手や老舗の出版社ばかりである。左右社が辛うじて、小さな出版社に入るか……? という程度だ。
それに他のひとり出版社が出版している書籍は、絵本、詩歌、日本語に翻訳した書籍、エッセイ……といったように、小説ではない書籍が多い。これは大いに納得できる。小説のクオリティー、巧拙を考えると、大手出版社から出版される小説の方が安定している。今更自分達が出版社を起業して、小説を出版しても……という気持ちになるわけだ。
自分も少しはそういう気持ちはある。あるけれど、だからやめよう、という気にはなれない。それはそれでやるし、ひとり出版社としても自分の小説を出版する、を選んだ。
幸いにも自分が書いている分野は純文学である。失礼な物言いになるが、畢竟、純文学というのはエンタメ的な面白さが求められない分野である。エンタメ的な面白さよりも優先されるものがあるのだ。それが、作者のこれだけは読者に伝えたいという熱意であり、これだけは社会に問いかけたいという気持ちである。
この熱意や気持ちというのは、時として商いと相反することがある。商い、商業という形に合わせることだってあるだろう。それほど形を合わせたところで、売れるかどうかは分からない。売る努力を注がなければ売れない。
売れない作品を書けない人間の扱いがどうなるかは、歴史という残酷な時の流れが証明してくれている。十年前の純文学の作家を、何人覚えているだろうか? 何人が今も書き続けているだろうか。
そういうことを考えて、自分の活動を商いや商業的活動を意識するよりも、純文学の作品を伝えることを意識することにした。純文学という文化を伝えるための活動である。
非営利の活動を選んだが、これは何も書籍が売れなくて良いというわけではない。売れた方が良い。自分の書いた書箱にお金を払っても良いという方がいた、ということは何よりも嬉しいとこである。次の書籍を印刷する費用にもなるし、赤字経営にならなければ、事業継続も容易である。